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ものさしマン

さのだいち

拳を振り上げられなかったことが悲しい

ぶん殴りたいやつがいた。

中学時代のこと。部活後(サッカー)はいつもチームメイトの同級生(H)と歩いて帰っていた。
その日のプレーに関して、おれの思ったことをあれこれ話していたのだけど、かるくあしらわれた感じがしていた。

おれはHを殴りたくなった。
その瞬間、ぐわっと湧いてきた感情かのように感じたけど、振り返ってみると蓄積されて、ふつふつと大きくなっていた怒りのようだ。

なんの怒りか。

大したことではないというかのように、取り合ってくれないことも怒りの要因だ。
ただその根底には、おれの気持ちを知ろうとしてくれないことへの怒り。根に向かってたどってみると、悲しみが垣間見える。

人の気持をなんだと思ってんだ、とHにずっと言いたかった。
自分は被弾しない安全地帯にいて、人のことをあざ笑っている。そんなあいつのやり方が心底嫌いだ。

光とか闇とか(今でいう陽キャ、陰キャ)わけのわからない分類で人を切り分けて、Hの地位を上げてくれる人間にはすりより、価値がないと判断した人間を嘲笑する。

人を、上下のものさしで測ることを、めちゃくちゃ嫌うおれがいる。


ものさしを持ってる自分が嫌い


薄々かんじていた。

おれの中にも上下で人を判断するものさしがあるのだと。

Hに上下のものさしで測られていると感じている。
そしてネガティブな感情がはたらいているということは、自分が上下のものさしで測られたことに対して合意し、抵抗したことになるからだ。

今まで、人を上下で測るものさしに傷つけられてきたのに。
人を傷つけるものさしをまさかおれが持っているなんて。

そんな自分をとことん認められない。

おれには、上下のものさしで人を測って自分を価値ある人間だと自己評価することは、誰かを傷つけるひどい人だ。という認識がある。だから、おれは自分のことを価値ある人間だと評価しない。Hと同じようにはなりたくないから。


拝啓15の僕へ


当時中学生のおれは「殴ってみればいいよ」って言われたかった。

殴っていい、なんて思っちゃいけない。っていうおれの中にある硬いジャッジを飛び越えて、おれの心に素直に居させてあげたかった。


おれの中に潜む、たくさんのものさし。
これからは見てあげる。



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