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雨に濡れすぎる

さのだいち

親指で画面をスワイプしている時、ふいに思う。

「ぼくはいま、何を考えていた?」

たぶん何も考えていなかった。

Twitterを見て、ニュースをザッピングしていたが、ぼくの頭で考えていたことは1つとしてない。文字の羅列をなんらかの情報として目にいれた。以上だ。

そのとき怖くなる。浴びている情報を処理できていない、つまり無の時間だったことに気づく。

ぼくはいったいどれだけの時間を画面のスワイプに浪費してきたのだろうか。

雨が降っているときに外へでるか迷うが、一度濡れすぎたら気にならなくなるように、大量の文字列を処理できるわけもなく、流しこんでいるのだろう。

頭の中にあるものを意図的に、外の世界に出すこと。それが無の呪縛から解放されるひとつの術かもしれない。

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