ベナンにカレー屋さんができるまで⑥〜あんなに好きだったアフリカが嫌いになっちゃった話〜
こんにちは。
いよいよ、ベナンにカレー屋さんができるまで最終話です。
今回の記事は少し暗い内容になっています。
しかし、ボランティアやビジネスに関わらず、今後アフリカで活動しようと思っている方にとって、一つの事例として、こういった現実があるんだという意味で、少しでも参考になれば嬉しいです。
失意のどん底だった日本帰国
2019年11月にゼロからスタートして、2020年2月29日にカレー屋さんをオープンできました。
前回までの記事にあったように、いろいろありましたが、オープンイベントには、たくさんのお客様に来ていただきました。
オープン後も、JICAの方々、協力隊の後輩たち、たけし日本語学校の方々、日本文化イベントで出会った日本好きのベナン人たちなど、いろいろな方々にお越しいただきました。
これからは、
・ベナン人の中間層から富裕層にお店の存在を知ってもらい、たくさんの現地の方々に来てもらおう
・周辺はビジネス街なので、ランチで注文してもらえるように営業をかけていこう
・ベナンにもUber Eatsと似たベンチャーがあるので、そこを使って配達注文を強化していこう
・ベナンには中国人がいっぱいいる。彼らに営業をかけるのはどうだろう?
などなど。売上をこれからどんどん伸ばしていこう!と思っていた矢先のことです。
2020年4月4日、日本に緊急帰国
当初全く帰国するつもりはありませんでしたが、その時の、コロナの状況は刻一刻と変化していました。
しかし、彼女、両親、日本サイド、大使館の方々と話し合った結果、帰国を決めました。出国の3日前でした。
飛行機の中では、まさに失意のどん底。
まだまだたくさんやることがあるし、スタッフだけでお店を回してもらわないといけない。
しかも自分の無能さからスタッフの提案をペンディングしていた案件もあったので、とても申し訳ない気持ちでいっぱいでした。。
自分がトップじゃない方がよかったんじゃないか。。。
もっと優秀な人ならオープンまでの道のりももっとスムーズに、売上だってもっとあげられてたんじゃないかって。。。
日本に着くまでの間、ずっとそんなことを考えてました。
心が折れてしまった壁ひび割れ事件
帰国という理由だけでここまで落ち込んでいたわけではなく、実は日本帰国の1か月前から、かなり精神的に追い込まれていました。
当時のツイート見返してみてもかなり病んでたなーと。
オープンするために、フォローする案件が多すぎたのと、自分が現地トップだったので、ちょっとした細かいことでも何でも判断が求められるんですね。
判断や決断って、すごいパワーを使うので、それもかなりストレスだったんだと思います。
さらに、今思い出しても心臓がえぐられるような感覚になってしまう出来事がありました。
それが、心が折れてしまった壁ひび割れ事件。
カレー屋さんの隣には、Canal+の店舗があります。隣というよりもひとつ屋根の下にあって、壁を隔ててCanal+がある、といった感じですね(もちろん、出入り口は別で、お互いの行き来はできない)
*Canal+というのは、映画やらスポーツやら、もちろんニュースも、たくさんの番組を放送している、フランスの民間テレビ局。ベナンでは国営放送もあるが、中間層以上になるとCanal+に加入しているイメージ。民間のテレビ局としては、まさに一強。
ある時、Canal+の店員さんが、「あなたたちの工事のせいで、うちの壁にひびが入っている。そちらの責任なのですぐに直してください!」とのクレームが入りました。
私はすぐに工事業者に確認しました。
⇒工事業者「大家に確認してくれ!」
⇒大家「現場のことは工事業者に任せてある!」とたらい回し。
工事業者がなぜこう言うかというと、大家さん指定の工事業者だったからですね。(今思えば、そもそも自分たちで業者を探すべきだった)
おまけに、Canal+は、明らかに今回の工事が原因ではない古いひびも請求してくる始末。
日本サイドに聞くと、「当然、工事業者が払うべきでしょ!!修理代は絶対に払うべきではない!」とのこと。
もちろんそういうことを想定して、工事開始前に、工事業者と議論しておくべきでした。本当にここは反省してます。
ただ、まさか反対側の壁にひびが割れるとは予測できませんでした。
あの時の私は、工事業者、大家、Canal+に対しては、「みんながみんな責任を押し付け合ってるだろ! 日本人は金持ちだから、おれが払えばいいと思ってんだろ!!」と。
日本サイドに対しても、「工事業者が払うべきかもしれないけど、契約書も交わしてないし、この状況で裁判でもするんですか?そんなことしてたらオープン間に合いませんけど」という思いでした。
他にもTo doがどんどんたまっていく中、まさに四面楚歌。
全員が敵に思えました。。
それに加え、必ずオープンしないとけないプレッシャーから、真っ暗なトンネルの中にいるような感覚に陥っていました。
結局、自分のポケットマネーから修理代を出しました。
2万円ぐらいだったかな。
金額的には大したことないですよね。
だけど誰も味方がいない、その状況がつらかった。
アフリカ経験が長い方にからすると、「そんなの大したことないよ!」と言われてしまうかもしれませんが、当時の私は精神的にかなり追い込まれてました。
辛いという感情の他に、とても悲しいという気持ちもありました。
これをきっかけに、アフリカが嫌いになりかけていたのです。
あんなにアフリカが好きだったのに。
アフリカでビジネスするという夢は叶ってるのに、なんでこんなに辛いんだろう。
これって、自分はアフリカ向いてないってことなんじゃないか。。。
今後、アフリカでやっていく自信も失くし、日本で勤めていた時の上司に愚痴をこぼしたりしてましたね。(彼は現在あるメーカーのウガンダ&ケニア販社のトップを務めている)
『自信もなくなり、アフリカが嫌いになりかけている。これから何を目指して生きていけばいいんだろう』
そんな気持ちでした。
今思うと、悲劇のヒロイン演じてたのかもしれません。
ただ、当時は本当に辛かったし悲しかった。。。
日本に帰国してからは、リモートでカレー屋さんのスタッフに指示を出して、売上などを確認していました。
そして、他の日本人の方がベナンに渡航し、私は2020年10月をもって、カレー屋さんの運営からは離れることになりました。
今後の新たな挑戦
2021年3月上旬にベナンに戻り、ずっとやりたかった農業関連ビジネスを始めます!!(下記ツイートで宣言したことです)
日本帰国当初は、アフリカに戻ることに恐怖心がありました。
でも、”時は無情な程に 全てを洗い流してくれる”(「終わりなき旅」より)と桜井さんが言ってくれたように、数か月も経つと、ベナンに戻りたいという気持ちがむくむくと湧きあがってきました。
人間、不思議なものですね。
帰国してからは、徐々にこういう想いに。
「この帰国は、神様がくれたチャンスなんだ。帰国できたからこそ、本当にやりたかったことができるし、その準備もできる。カレー屋の経験で得た学びを次に活かして、自ら事業を立ち上げ、ベナンの発展に貢献しよう」
そして、2020年9月から本格的に、次の挑戦のための準備を進めてきました。
この農業関連ビジネスについても、noteを書いていこうと思うので、是非よろしくお願いします。
最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
それでは。
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