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先生主体は悪?

どうもさいころじっくです。
いきなりですが、みなさんは学校の先生がどのような授業をしたいか分かりますか?

ぶっちゃけ今は情報が溢れているので分かると思いますが、ざっくり言えば

生徒が主体的に考える授業です。

今回はそんな授業について考えてみます。


○「主体的な授業」とは何か?

そもそも「生徒が主体的に考える授業」とはどんな授業でしょう?
私は生徒の好奇心が沸く授業だと思います。「何でそうなるの」とか「早く解決したくて仕方ない」という生徒の気持ちを持たせられれば、先生とすれば良いと思うでしょう。

でも実際はどうでしょう?難しいと思いませんか?

聞き方を変えましょう。そのような授業を受けていたらその授業の1つ2つは印象に残っていませんか?みなさんが印象に残った授業はありますか?

多くの人がない、もしくは覚えていないと思います。おそらく全員が学校行事などの思い出が楽しいと考えており、授業中のことなど忘れているからです。授業は学校生活の半分以上を占めていますが、実際は授業というものはかなり薄っぺらいものと言えるでしょう。

つまり先生はかなり難しいことを追及しようとしているのです。でも言われてみれば生徒が関心のないことを関心を持つように授業を作る必要があるのは大変ですよね。

○「主体的な授業」への疑問

ここで1つ大きな疑問があります。いつでも主体的に生徒を動かすことなど可能なのでしょうか?確かに主体的に動かすことが理想であり、「学習指導要領」にもそのような主旨のことが書いてあります。

しかし「いつも」できるのでしょうか?

時には先生主体で教え込むことも必要ではないですか?少なくとも自分はそのように感じます。

そもそも授業をスタートさせるのは先生です。授業の「めあて」や「発問」というのは先生が書くことがほとんどです。その中で「主体性」を何かと追及するのはナンセンスな気がします。

○系統主義と経験主義

教育学の用語に「系統主義」と「経験主義」というものがあります。端的に言うとこんな感じです。

系統主義・・先生が知識を教え込む考え
経験主義・・生徒の考えを主体とする考え

こう2つ並べてみるとどちらも必要な気がしませんか?しかしながらどこか今の教育は「経験主義」に重きを置きすぎていると私は考えます。

よく「アクティブラーニング」とか聞きませんか。これも経験主義の考え方ですが、これに固執しすぎて

授業中に話し合い活動をすればいい

という安直な発想になるのは私は嫌です。

どちらの考え方も必要だと私は思います。

みなさんはどう思いますか?
今回はこの辺で。
楽しい日々になりますように。

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