Happiness is the highest form of health.

人生で初めて体づくりをしている。主に「筋肉をつける」という方針でやってるんだけど、ムキムキになりたいわけではないからプロテインとかは飲んでない。ダイエットすらしたことがなく筋肉と食事に関して無知だったために、得られる知識も新鮮で楽しい。体づくりは同時に脳づくりであることを知った。これもひとつの知識である。

実は「筋肉をつける」ことに少し前まで抵抗があった。その理由は松本人志である。まっちゃんは今やM-1、キングオブコント、すべらない話、IPPONグランプリ、ドキュメンタルといったほぼ全てのお笑い賞レースを取り仕切っており、芸人はもちろんおじさんたちの憧れの的である。そしてそれはこの男性社会の頂点に君臨していることを意味し、実際これまでのまっちゃんの発言にも男性主義成分は豊富に含まれている。

そんな彼があるときいつのまにかマッチョになっていた。ずっとテレビに出ているのに誰も途中の変化に気づかないのが不思議だなと思っていたが、冷静に考えてみるとずっとテレビに出ているからこそその変化に気づきにくいのだ。そしてまっちゃんがマッチョンになったとき僕は思った。こうして男性主義というのは具現化されるのかと。僕は「筋肉をつける」ことを嫌うようになった。

それから月日は流れる。コロナ禍で否が応でも「健康」について考えさせられる機会が増えた。以前もnoteに書いたことがあるけれど、その渦中で出会った「ウイルスを排除して健康を守る」のではなく「ウイルスに感染しても健康を保つ」という考え方が僕の健康観に影響を与えた。そのときに植えつけられた思想の種が、いま「筋肉をつける」という発想の芽を出し、いずれ「筋肉がつく」という現「実」として結実する。

だけどこれはまっちゃんがしていることと何が違うのだろう?もしかしたら僕は肉体のみならず精神においてもまっちゃんに近づいているのではないだろうか?答えはYESでありNOでもある。以前に比べて僕の思想は保守化し始めているのを感じる。もちろん相変わらず自民党は大嫌いだし、日本は色々な面で遅れていると思う。でも一方で例えば以前は馬鹿にしていた「絆」がときどきあるのかもって思ったりするし、所詮社会制度としか考えていなかった結婚についてもちょっと真面目に考えることがある。疑ってばかりいた「普通」について考えるようになり、「普通」を模索し始めた。体づくりにおいてもたびたび「基準値」の三文字が現れ、体を健康にすることは体を「普通」に近づけることなのかもしれないと思うときがある。

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