”にわか○○”という文化?

6月は閑散期なので、割と時間に余裕があるおじさんです。こんにちわ。

さて、最近の試合後の配信コメ欄を見ていて思う事。
あれこれプレイ内容について言及するコメントが流れる事がある。
例えば「ローテが遅いんじゃない?」とか「1vs2で突っ込んで行き過ぎじゃない?」とか。
それに対して「そんな事は当の選手やチームは判っているはずだ、だから出来もしないで見ているだけの者がどうこう言うな。」というような反論コメントが流れる。
確かにそれはそうだろう。
出来ないから素人だし、できる力があるからプロだし。

でもおじさんは、本人達を罵倒したり人格を傷つけたりする内容でなければ、試合内容を云々言うコメントがあっても良いのでは?と思っている。
素人目線でどうこう言うのだって、ファンの立派な権利だろうと。
言ってる事が全くの的外れの場合や、誤解されている内容なら、くるたみさんや、うららさんがちゃんと訂正する事もあるだろう。
むしろ、擁護するばかりで、ただヨイショしているだけに感じるコメントこそどうかと思ってしまう。

ただし試合中は違う。

試合の最中は盛り上げていくのがサポーターの役割だ。
選手達がいかに気分よく、力を発揮できるかに注力すればいい。
如何なるシーンにおいても応援が人の力になるのは事実なのだから、好きなチームや選手には全力でポジティブなコメントだけをすべきだとも思う。

だが全てが終わった後はどうだろうか。
やっている側も思うことがあれば、見ている側も思うことはある。
それを「素人は黙っとけ」と言ってしまうなら、それは果たしてプラスなのだろうか?
意見の封殺の先には、“○○キッズ”などと揶揄される仲良し軍団だけが残り、何か得体のしれない気持ちの悪い集団のように見え始める可能性もないとは言えない。(それは更にアンチを生む温床になる)

私も旅館の支配人なので、一応はこの業種ではプロ意識を持っているが、「そんな事言われんでも判っとるわ!!」というようなご指摘は良くある事。(もちろん、中には目から鱗のご意見もあるので聞いていない訳ではない)
それを傍で耳にして「めんどうな事言われて大変ね」と慰めて下さる方もいらっしゃる。
そんな時は、ちょっとだけ困り顔をして「お気遣いありがとうございます(苦笑)」と答える。

でもね、はっきり言ってたいして気にしてない。むしろいちいち気にしていては仕事になんぞならない。
非難への耐性は付いていく。打たれ強くなる。
逆に言えば、プロは素人が思っている以上に、自分たちのやっている事(やってきた事)に自信と誇りを持っている。

ましてや、我々の応援するRush Gamingは幾度も世界で闘った経験を持つチーム。
いちいち素人コメントに反論し、封殺しようとするファンこそが、一番彼らの誇りと自信を信じてあげられていないのではないだろうか?

世の親父達は、プロ野球を見ながら誰もが“にわか監督”だし、サッカー日本代表のプレイに物申す“にわか代表選手”にもなる。
野球親父のにわか監督。素人親父のにわか日本代表選手。
国技の大相撲でさえ、テレビの前で「もっと頭からいかんと勝てんわ」と、のたまうおじ様やおば様達がいる。


これはきっと日本の文化だ!
連綿と受け継がれてきた素人の“にわか○○”文化だろうと!
いや、割と万国共通でそうなのかもしれない。
声援とブーイングは海外の方がもっともっとシビアかもしれない。

これから先、e-sportsが広がりを見せ、プレイしていない人たちをも魅了するような時代が来た時。
当たり前のように大手メディアで取り上げられ、テレビでも放映するような時代が来たなら、「ショルダー甘いんじゃ!」とか、「リスコントロールができてないな」などと言う声が街中でも聞こえてくるかもしれない。

そう考えると競技の認知の広がりと共に、素人のコメントや“にわか〇〇”が増えることは決して悪い事ばかりじゃないと、おじさんは思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?