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五節句の食事 25

 日本には「五節句」といって季節ごとに健康や繁栄を祈念する行事があります。
健康的な日本食にも結びついていて、とても素晴らしい習慣だと感じます。五節句は、
1月7日 人日(じんじつ)「七草がゆ」
3月3日 上巳(じょうし/じょうみ)「桃の節句」
5月5日 端午(たんご)「端午の節句」
7月7日 七夕(たなばた/しちせき)「七夕祭り」
9月9日 重陽(ちょうよう)「菊の節句」となります。 
 五節句には、それぞれ食べるべき食事が付き物になっているので、本番前にその由来を知っていただき、お節句を楽しむとともに、ぜひご家族の健康や子ども達の成長を祈念するきっかけにしてみてください。
「七草がゆ」は、春の七草や餅などを具材とする塩味の粥で、その一年の無病息災を願って1月7日に食べられます。正月の祝膳や祝酒で弱った胃を休める為とも言われます。
「桃の節句」のひな人形には、生まれた子どもがすこやかで優しい女性に育つようにとの親の願いが込められています。ひな人形をその子の形代と考えて、どうぞ災いがふりかかりませんように、また、美しく成長してよい結婚に恵まれ、人生の幸福を得られますようにという、あたたかい思いを込めて飾ります。
ひな祭りのごちそうは、菱餅や菱蒲鉾です。また、お寿司とはまぐりのお吸い物がつきものです。はまぐりは、他のはまぐりのフタとは絶対に合わないところから、女性の貞節を教える意味で使われます。また、お寿司が好まれるのは、ちょうど新鮮な春の魚介類が出回るため、季節感を味わうのによいからです。
 端午の節句は、平安時代以降、菖蒲が「尚武(しょうぶ)」「勝負」に通じることから、男の子がたくましく成長する姿を喜ぶとともに、お子さまの将来の出世を願う行事として定着しました。
端午の節句の食べ物と言えばちまきです。
現在は笹に包まれている「ちまき」ですが、昔は菖蒲の葉でも包まれていたそうです。
「柏餅」を包む柏の葉は、新しい芽が出るまで古い葉が落ちないことから、子孫繁栄を意味するおめでたい食べ物と言われています。
「出世魚(しゅっせうお)」と言われているブリや「勝男」とかけた鰹、「まっすぐに伸びる」特徴と子どもの成長をかけた「たけのこ」も縁起が良い食べ物とされています。
 七夕とは、七月七日の夕方の意味で、なぬかのよと呼んでいたのが転じたといわれています。
七夕行事は、中国に古くから伝わる牽牛・織女星の伝説と、それから発達した乞巧奠の行事に、日本古来の棚機津女の信仰が混ざり合って形成されたものです。棚機津女とは 人里離れた水辺の機屋で、降臨する神に侍る神子で、翌日村人は禊を行ない、神に穢れを持ち去ってもらうと信じられていました。
 中国では、牽牛星は農業の時期を知る目安として、また織女星は養蚕等の仕事を司るという信仰があり、年に一回の出会いが語られ、逢瀬に波立つことがないようにと祈ったものです。この信仰が発達して乞巧奠となりますが、乞巧とは技巧の上達を願うことで、奠は祭りを意味します。
唐の玄宗皇帝のころ盛んに行なわれた行事で、「巧を之に乞えばその願いを得る」と女性は皆裁縫の上達を祈りました。
 七夕の食べ物は、中国から伝わった「索餅(小麦粉と餅粉をこねたものを揚げたお菓子)」を食べていたようですが、形が似ているそうめんを食べるように なったようです。
「そうめん」を天の川に見立てたり、盛り付けで川の流れや、彩のよい寒天やニンジンを星型にしてちりばめるなどして、見た目にすずやかな演出の行事食となっています。
 菊の節句には、邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていました。また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣がありました。
 江戸時代から重陽の節句には栗ごはんを食べる習わしがあり、「栗の節句」とも呼ばれています。


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