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マナーのツボ

 日本は世界一安全な国だと言っても過言ではありません。なぜならば、たとえ世界広しと言えども、電車の中に財布や貴重品を忘れても本人に無事に戻って来る国は日本くらいしか無いからなのです。ファストフードの席取りに、ルイヴィトンのバッグを置いても無くならないお国柄も日本ぐらいなのです。
私もニューヨークの博物館で席にビデオカメラを置いたまま席を離れた事があったのですが、ウエィターに盗まれてしまうからと、厳しく注意をされてしまった経験があります。
 世界中の誰もが争い無く、安全に生活する為のキーワードは礼儀でもある「マナー」を守る事なのです。皆がマナーを守れば争いごとも起こらりません。
ですから「マナー」の先に平和が来るのだと考えます。
 明治時代の親日家、ラフカディオ・ハーン氏も言っていたように、日本人は平和を実現する為の様々なアイディアを実践してきました。
それら日本人の「平和への知恵」を世界平和に生かさなければ、まさに「もったいない!」 のです。
 ところで飛鳥時代には、蘇我一族と聖徳太子が飛鳥の地に、シリウス信仰を持ち込みました。
唐の時代になると中国ではゾロアスター教的な宗教感から道教そして仏教的な思想へと変化が起きてきました。
聖徳太子はあくまで宗教の自由化を促進しつつ、それら時代の流れを取り入れ、仏教の導入にも力を貸したのだと私は理解しています。
日本人の知恵として、白か黒か1か0かの絶対的な判断では無く、「良い所は取り入れ、良い伝統は残す」といった考え方で、宗教的な思想を守ってきたのだと考えます。
したがって現存する仏教の中にも、神道の中にもキリスト教などのさまざまな宗教色が混在しているのだと考えます。
それは、宗教的な弾圧政策を乗り越えて、宗教を守り続ける知恵とカバラの奥義が日本人にはあったからなのだと考えます。
 そのことによって日本は、大きな宗教戦争を回避する事が出来たのではないかと私は考えるのです。
また現代のキリスト教が日本に根付かない理由は、初詣やお宮参り等、すでにキリスト教の本質的要素が神道には取り込まれており、多神教が日本には根付いているため、改めて一神教であるキリスト教に改宗する意味が無いからなのかもしれません。
日本国憲法は平和を重んじる平和憲法だという事は、学校でも習ったはずなのですが、日本は神武天皇の時代から、家族主義と平和を国是としている国だったのです。
2月11日は建国記念の日で国民の祝日にもなっていますが、日本の精神「家族主義」は意外と知られていません。
そして飛鳥時代にも聖徳太子が十七条の憲法で、「和を以て尊しとなす」と宣言していたのです。
これは日本人なら誰もが知っている常識なのですが、それだけ長い時間平和を訴え続けて来た国民こそが日本人なのです。
 八紘一宇とは、『日本書紀』巻第三神武天皇の条に書かれた「掩八紘而爲宇」の文言を戦前の大正期に日蓮主義者の田中智學が国体研究に際して使用し、縮約した語なのです。これは「道義的に天下(世界)を一つの家のようにする」という意味なのです。
「第二次対戦中に日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた」言葉として、GHQにより「大東亜戦争」の語と伴に使用禁止となったのです。
GHQは、新聞などの報道機関を統制するためにプレスコード30項目という規則を作成し、検閲、規制したのですが、驚く事にこの規制は戦後70年以上を経た現在も事実上は存続しているのです。
プレスコードで禁止された30項目とは、以下の通りなのです。
1.SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
2.極東国際軍事裁判批判
3.GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
4.検閲制度への言及
5.アメリカ合衆国への批判
6.ロシア(ソ連邦)への批判
7.英国への批判
8.朝鮮人への批判
9.中国への批判
10.その他の連合国への批判、
11.連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
12.満州における日本人取り扱いについての批判
13.連合国の戦前の政策に対する批判
14.第三次世界大戦への言及
15.冷戦に関する言及
16.戦争擁護の宣伝
17.神国日本の宣伝
18.軍国主義の宣伝
19.ナショナリズムの宣伝
20.大東亜共栄圏の宣伝
21.その他の宣伝
22.戦争犯罪人の正当化および擁護
23.占領軍兵士と日本女性との交渉
24.闇市の状況
25.占領軍軍隊に対する批判
26.飢餓の誇張
27.暴力と不穏の行動の煽動
28.虚偽の報道
29.GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
30.解禁されていない報道の公表
そしてGHQは、国家神道、軍国主義、過激なる国家主義を連想するとされる用語の使用も禁止したのです。
 日本は平和を望み、公言する国家ですから、悪巧みの連中や国家からは、疎まれたり、嫌がられたりする存在なのかもしれません。本来ならば平和を阻む連中や国家こそが、疎まれたり、嫌がられたりする存在にならなければならないのです。
彼らから日本を見れば、目障りで余計な事を仕出かす邪魔な存在なのかもしれません。ですから日本人は嫌な目に遭うことも多い国民なのかもしれません。
しかしながら、たとえ原子爆弾を落とされ、人為的な事故にも疑われる福島原子力発電所の爆発事故が発生しようとも、黙って耐え抜く民族でもあるのです。
我々日本人は、平和を憎む連中を絶対に見過ごしたり、許してはならないのです。
 

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