なぜ太陽は6時に出てくるのか?

こんにちは。理系大学生です。

皆さんはなぜ太陽は6時に出てくるのか疑問に思ったことがあるでしょうか。もっと言うと、なぜ太陽が出てくる時間を0時にしなかったのでしょうか。

諸説あるかもしれませんがぼくが調べた中では、南中する時刻(太陽が最も高くなる時間)を12時と定めたから。日が昇るタイミングは月別で大きく変動するが、南中するタイミングはほぼ同じであるため、太陽以外に時間を把握する要因がなかった時代にこのような決まりになった、とありました。

身近にある疑問としては他にも「白物家電(冷蔵庫、洗濯機etc…)はなぜ白いのだろう」「アイロンは冷たいとシワが伸びないのに熱いと伸びるのだろう」とか様々なものがあります。

さて、最近周りのものや出来事に対してなんでだろうと思うことはあるでしょうか。少なくなった、無くなったという方がほとんどではないかと思います。僕もこの記事を書くためにひねり出しました。でも小さいときは”なんで”って思うことが多かったように思います。単純に昔に比べて知識量が増えたからでしょうか。

僕は、”わからないことをわからないままにしても生きていける”と知ったからだと思います。例えばスーパーのチラシで、いろいろ写真付きで見やすい広告と黄色などのいつ使うかわからないような紙に文字と簡単なイラストだけ描かれたチラシがあります。今は書いている情報(どこのスーパーの何が安いか等)を注視しますが、僕が子供の時になんでこんなにチラシの種類があるのだろうと思って親に理由を聞いた記憶があります。そしてなんでだろうねとはぐらかされたような気がします。気になってパソコンで調べたか地域の人に聞きまくった結果インク消費量を減らす、という答えを手に入れることに成功しました。親は特に何も調べませんでした。

親にとってチラシの違いは、生きてくうえで必要のない情報であると判断したのではないかと思います。でもそんなことを子供は考えません。”わからないことをわからないままにしておくのがイヤ”なだけなのです。

おそらくたくさんの人が同意していただけるであろうこの”なんで”を思わなくなったという現象。これは成長なのでしょうか。それともサボっているのでしょうか。はたまたそういう評価軸で考えるものではないのか…

少なくとも”なぜ太陽は6時に出てくるのか”という自分がわからない事象があることに気付くことで、このnoteの記事のネタを見つけることができました。そういった点で今は”なんで”と思うことが大切だと思います。そして、”なんで”と思わなくなることが成長だと考えているときは、こんな疑問は最初から思いつかないんだろうなと思います。

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