振り払うための行動

最近の自分にとって、文章の読み書きや音楽を聴く行為は「何かを振り払うための行動」になっている。

「雑念」や「現実」を振り払うために本を読んだり文章を書いたりする。
雑念に囚われて眺めるSNSの中の現実には、やっぱりゲンナリさせられる。
それでも自然と携帯に手が伸びてしまう自分に嫌気がさす。
そんな自分とおさらばするために、本を読みnoteに文章を書く。

「周囲の人々」を振り払うために音楽を聴く。
図書館の“隠れらないもの”から逃げるために、電車の中で攻撃的な人たちを自然に無視するために、音量を上げて聴く。

カフェにいる今も雑念に取り憑かれているので、メモがてら今後書こうと思っている題材(タイトル)を挙げてみる。

・見たくないものを掘り出す行為
・ネットから得る情報は本当に“取捨選択した結果”なのか
・「おバカキャラ」の行方
・デジタルディバイド2.0
・持たざる者の悪意なき嘘
・どちらでもよい、は大抵失敗に終わる
・中野駅よくするプロジェクト
・小学校と自分
・望んでいないことをする人たち

これらについて、「書かなきゃ」という感情になったら、それはもうnoteをやっている意図と反するので、ゆるりゆるりと「何かを振り払うため」に書いていきたい。

あ、もし「こんなテーマについて論じてくれ!」などあればコメントいただけるとありがたいです。
難しいものでなければ喜んで書くと思います。

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