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『ダブドリ Vol.3』 インタビュー06 MC MAMUSHI(バスケットボールMC)

2018年5月31日刊行(現在も発売中)の『ダブドリ Vol.3』(ダブドリ:旧旺史社)より、MC MAMUSHIさんのインタビューの冒頭部分を無料公開いたします。なお、所属等は刊行当時のものです。

ストリートボールを代表するMCであり、最近ではジャンルを超えて活躍しているMC MAMUSHIにダブドリカメラマン・石川元がインタビュー。MC MAMUSHIの誕生秘話から、普段はサングラスの内側に隠すバスケットボールに対する情熱も。

始めから進んでMCになったわけじゃないんですよ。むしろ嫌々だった。こんなの嫌だよ、俺はバスケがやりてえんだよっていう気持ちでしたね。

石川 MAMUSHIくんといえば、いまやSOMECITYALLDAYといったストリートボールのMCとしてよく知られた存在だけど、実はストリート以外にもすごく色んなことをやってるんだよね?
MAMUSHI そうなんですかね。もちろん主戦場はストリートボールだけど、バスケのMCなら、オファーがあればプロでも学生でも3×3でも何でもやってますよ。1月にもB.LEAGUEのオールスターのライブビューイングイベントがあって。熊本のゲームを恵比寿でライブビューイングやったんですけど、面子も良かったし派手で面白かったっすね。ミニバスからもオファーがあったりしますよ。
石川 へえ、ミニバス。
MAMUSHI あとね。ずっとやりたかったナレーションの仕事が最近できるようになって。RAKUTEN TVでNBAデイリーハイライトのナレーション。毎日NBAのことを喋れる。そんな感じで全体の内バスケ関連のことが半分、それ以外のカルチャーのイベントやパーティーのMCが半分って感じでやってますよ。
石川 話を聞いたのだと、ちびっこの徒競走だっけ。そんなのもあったよね。
MAMUSHI ああ。随分前のニューバランスのやつかな。「50メートル宇宙一決定戦」っていうタイトルで(笑)。ニューバランスのキッズ向きのシューズのキャンペーンで。DJ MIKOとMC MAMUSHIのセットがショッピングモールで、ひたすら子どもたち……、っても本当に幼児みたいな子たちを、フルパワーでいじりながら50メートル走させるっていうわちゃついたやつでしたね。
石川 それぐらいの子でも、煽れば全然違う?
MAMUSHI どうかな、本人たちは何が何だか全く分かってなかったと思うけど(笑)。親御さんやギャラリーは大喜びですよ。結構そういう、「おもしろそうなんだけど、これ、どうさばいたらいいの?」系のイベント案件のMCを振られることが多いっすね。おかげで日々やりがいを感じて生きてますよ。
石川 ストリートのMCの形がしっかり確立できてるから、そういう応用も効くんだろうね。
MAMUSHI そう言ってもらえるとありがたいっすねー。ただ最近は、いろんな現場をこなしながらも、もっとこうしたいなとかって思っちゃうことが多いですけどね。ALLDAYとかSOMECITYとか、ずっとあのスタイルを何年もやってるから、そろそろアップデートしていかないとなと感じてるっす。
大柴 現状維持が積み重なっちゃうとね。
石川 そういう意味ではALLDAYとかSOMECITYとかどうなるか分かんないものをずっとやってきて、「変わらなきゃ」というステージまで上がってきたっていうこと?
MAMUSHI そうっすね。今や、もう両方とも10年以上やってきてるから。
石川 開催できれば御の字みたいなイベントも多い中で、そういう段階は抜けてきたよね。
MAMUSHI ありがたい成長っすね。ALLDAYに関しては完全に主催側に回ってずっとやってきてるから。ALLDAYって名前にしたのもボクだし。
大柴 え、そうなんですか。知らなかった。
MAMUSHI KOMPOSITIONっていうNPO法人があって。渋谷の、とにかく元気な若者のやりたいことを実現させるぞ、みたいな団体で。当時はランナーとか、グラフィティアーティストとかをサポートしてたんだけど、その中でストリートボールも食い込んで。その時期にちょうど、渋谷には「ジョーダンコート」ができて、代々木公園がちゃんとしたコートにリニューアルされた時期で。そういう場所ができたから、やっぱ大会をやりたいよね、ってなりますよね。それがALLDAYの始まり。シンプルな発想ですよ。あのときは、前例がなかったからとにかくやらなきゃダメだろ、みたいな感じだった。だからそんなに難しく考えてなかったっすよ。
石川 でも逆に今は、悩むことも出てきた。
MAMUSHI そうそう。同じことばっかりやってもしょうがねえな、飽きるなっていうふうに思うようになってくるっすね。13年もやっててなんだけど。ちょっとずつでも変化が必要っす。
石川 同時にMAMUSHIくんも知名度が上がってきてる。たまに俺、「MAMUSHIさんの知り合いなんですか」って言われるぐらいだから。
MAMUSHI 本人は全然自覚ない、そういうことは本人に言って欲しいよ(笑)。
石川 初めてMCをしたのはALLDAYの1回目だっけ?
MAMUSHI 厳密に言うと2004年、ジョーダンコートでやったのが最初かな。オレ、大学の同級生がTANAで、彼を追うように自分もFAR EAST BALLERSに練習生として在籍していたんです。そこで、なんか「イベントやるから喋れ」って言われたのが最初のMCっすかね。
石川 実は俺、そこ知っちゃってるから、聞き方が黒柳徹子みたいになっちゃう。
MAMUSHI・大柴 アハハハ。
石川 プレーヤーとしてやってたのに、MCやれって言われて、悔しくて泣いたんだよね。
MAMUSHI それはもう、さめざめとね(笑)。
石川 ちょっと一発もらっていいすか。この話、めちゃくちゃ面白いですからね。
MAMUSHI ハードル上げるなー。えっと、いかにしてMC MAMUSHIっていう存在ができあがっていったかですよね。それを説明するには、僕の半生を語らないといけないんですけど時間大丈夫っすか?
大柴 お願いします。
MAMUSHI 元は僕も東京出身のバスケ少年だった。10歳からバスケ始めて、中学・高校はキャプテンもやってた。結構張り切って声出してる系のね。でも、全国大会とか行けるような高校でもプレーヤーでもなかったから、大学でバスケするっていう発想は全然なかったっすね。
大柴 なるほど。
MAMUSHI ちなみにSOMECITY TOKYOにいる420のkyoshiは高校の同級生。で、中高の仲良かった先輩の大学の連れがK-TAで。オレ、高3の夏ぐらいにはもうK-TAに会ってて、そっから一緒のクラブチームでプレーし始めて。その後、まーいろいろあって、じゃあムサビ(武蔵野美術大学)に行って楽しいことやってみっかな、ってことにしてムサビに進学したらTANAがいて。「あぁ、俺よりバスケに狂ってる変なやつがいるなぁ」って思ったのが第一印象。
 すぐに仲良くなって、TANAが先にFAR EAST BALLERSに入った。「トライアウトっていうのがあるらしいから、MAMUSHIも一緒に受けようぜ」って誘われたんだけど、なんか当時はまだあんまりイメージできなくて、1回目は受けなかった。TANAはしっかり受かってました。僕はその後、3回目のトライアウトを受けて練習生になって。それで一緒に練習させてもらう傍ら、チームのスタッフ的な手伝いもやってた感じですかね。
 その頃の自分は、とにかくFAR EAST BALLERSの正メンバーになりたかった。とにかく正メンバーになって、がっつり活躍するぞって思いが、ひたすらに自分を突き動かしていたと思う。だから実力もキャリアも金も何にもないんだけど一生懸命頑張って、1on1トーナメントで準優勝したり、3on3大会はTANAとかと組んで出て日本チャンピオンになったり。
 それである日、FAR EASTのリーダーたちに呼ばれたんですよ。AJとDJ MIKOに。あ、これはきたんじゃねえの、とうとう俺も正メンバーかと思ったら「お前なんか喋りもいけるしあれだから、MCやんない?」みたいな話になって。
大柴 ハハハハ。
MAMUSHI はー?マジかよって感じで。確か2005年の1月だったと思う。その翌日に確か、TANAとかK-TAとか、あと岩佐潤さんっていう先輩ボーラーと、アメリカのフロリダで開催される3on3の世界戦、Hoop It Upに出場するっていうときだったんだよな。そんな大事な大会の前日のFAR EAST BALLERS練前にそんなこと言われて、むっちゃテンション下がったっすよ。
大柴 フハハハ。
MAMUSHI だから実は、始めから進んでMCになったわけじゃないんですよ。むしろかなり嫌々。こんなの嫌だよ、俺はバスケがやりてえんだっていう。だから最初はなかなか抵抗してました。
大柴 あ、そうなんですね。
MAMUSHI うん。で、その後結局別の理由でのすれ違いもあって、オレはFAR EAST BALLERSから抜けることにしたんですね。たかが練習生の分際なんだけどさ。
大柴 へー。
MAMUSHI  FAR EAST BALLERS抜けて入ったのが、さっき話したKOMPOSITIONっていうNPO団体。そこでジョーダンコートの鍵を開けたり閉めたり、コートがあった美竹公園のごみ拾いやったり、ホームレスと仲良くやったりの日々。それで代々木がリニューアルしたから、あそこのコート使ってなんかやりたいね、みたいな企画チームにいました。そこからALLDAYをやろうって話になった。やっぱ5on5のね、Rucker Park EBCみたいにやりたいよねって。
大柴 それってまだ学生の時ですか。
MAMUSHI まだ学生だったかな。ほとんど大学には行ってなかったけど。で、ALLDAYが始まって最初の頃は予選はMCするけど、決勝トーナメントはボーラーとしてプレーするって感じでやってて。当時は決勝トーナメントを今はオーガナイザー、コミッショナーをやってもらってるJIROさんに喋ってもらってた。
大柴 あ、そうなんですか。
MAMUSHI TEAM-Sの一員としてね、5~6大会目くらいまでは自分も出てたかな。
大柴 あ、TEAM-Sだったんですか。
MAMUSHI そう、FAR EAST BALLERS抜けた後に、TEAM-Sに拾ってもらって。だからALLDAY主催しながら、予選はMC、でも本戦はTEAM-Sとして出るという勝手なスタイル。
大柴 ハハハハ。
MAMUSHI MCやるんだけど、なんか抵抗してた部分があったんでしょうね。ボーラーでありたいんだって。でもいつしか、もういよいよMCに専任しなきゃいけないってことになった。多分それが、LEGENDが始まるタイミングだったのか、そのあとか覚えてないけど。さぁ、これがいよいよオレにとっての最後のALLDAYの出場だっていうときに、結局優勝できなくて。
大柴 はい。
MAMUSHI すげー泣きました。一番泣いたなー。ゲーム負けた悔しさもそうなんだけど、自分のボーラーキャリアが終わっちゃうっていうのが悲しくて。んで、そこからっすかね。LEGENDも本格的に始まって、そこからは完全に「MC」になっていったと思う。未経験者だし、自己申告制なんだけど。
石川 喋りもいけるからやってみろ、って話だったけど、練習生でありながら、そういうしゃべりの仕事もやってたってこと?
MAMUSHI いや、別にそういう役割とかじゃなく、普通にただそのコミュニティーの中で、一番喋って仕切るキャラだったってだけですよ。
石川 じゃあ、おまえしゃべれるからMCやれよっていう、ほぼ無茶振りから始まったんだ。
MAMUSHI そうそう。AJがそう言ってきたんだろうな、きっと。いつもAJはそうだ(笑)。でも、まぁ結果的にはよかったんですけどね。そのときはすげー抵抗したけど、やってみたらやりがいあるし向いてるかなと。
大柴 向いてたと。
MAMUSHI うん。今も昔もすごい目立ちたがりの子どもだったんで。MCってなんだかんだ目立っていいじゃんと。ボーラーはその時代時代で競争が超大変なんだけど、オレには常に出番がある、悪くねえじゃん、みたいな(笑)。
大柴 ハハハハ。でもそんな状態で、どうやって上達していったんですか、MCとしては。
MAMUSHI いやー、もう、やりまくってましたからね。LEGENDが始まった最初の2年間くらいは毎週末、3カ月ぐらいぶっ通しとかばっかり。最初の頃は、土日に公式戦を2セットずつやったりしてるときもあったから。とにかく現場があった。しかも前例のないストリートボールのリーグだから、正解も何もないわけじゃないですか。
大柴 確かに。
MAMUSHI だから、自分らがやったようにしかなっていかない。今、当時の様子はもう恥ずかしくて見れないけど(笑)。でもまあ、僕だけじゃなくてボーラーもリーグ運営する側もみんなが手探りだったから、あんまり当時は気になってなかったけど。
石川 手本がいなかったわけでしょ? 海外のでも、参考にしたものとかある?
MAMUSHI ストリートボールのMCで言ったら、当時からAND1とかは随分観てましたからね。やっぱりAND1のMCデューク・タンゴは一番聞いたかな。あとはニューヨークだと、EBCずっとやってるHANNIBALっていうMCがいたりとか。いわゆるアメリカのストリートボールで人気とされてるMCはチェックしましたね。ただ英語だし、アメリカの中での盛り上げ方だから、そんなに自分の現場に対してぴしゃっとは参考になりませんでしたね。彼らと同じことやっても日本じゃスベることなんてたくさんあったすから。
大柴 ハハハハ。まあ、そうですよね。
石川 逆に、日本でこれやってみて、ぴしゃっときたって感覚があったものってある?
MAMUSHI うーん、立ち振舞とかは分かりやすく参考になるんですけどね。海外のストリートボールMC、その後NBAのアナウンサーとかもチェックするようになるんだけど、そのやり方がそのままぴしゃってきたのはないのかなー。なんか、こうありたいお手本を見出すためのサンプルとしてしか見てなくて。その後、バスケのMC以外のMCをやるようになってから、他のジャンルのMCたちと会うようになっていったんですけど、そういう人たちの影響のほうが、具体的なスキルとして自分の中に蓄積されたかもしれないっすね。他のジャンル、ダンスのMCとかクラブのMCとか。
大柴 なるほど。
MAMUSHI いろいろっすよ。スケートボードのMC、BMXのMC。
大柴 ああ、なるほど。同じMCっていっても、ストリート分野のMCですね。
MAMUSHI そうそう。同じような感じ。たまたま出会う機会が多かったし。あとは、音楽のアーティストたちとか、その辺からは、だいぶスキル盗ませてもらいましたね。芸能人とか芸人さんとか、テレビのアナウンサーまでチェックしたかな。喋るってキーワードでお手本を広く探しにいってましたね。
大柴 なるほどね。僕らが「え? この人なんか参考にしたの?」って思うような人います?
MAMUSHI ああー、綾小路きみまろとか。一時期ハマりましたね。
大柴 ハハハハ。へえー。
MAMUSHI なんでこの人は、こんなにばあさんたちから爆笑取れるんだと。あとMAMUSHIつながりでいったら毒蝮三太夫も一応見ましたけど。
大柴 アハハハ。
MAMUSHI おい、ババア!生きてるか?って、これをそのままやっちゃオレの現場じゃ駄目だわと思ったけど(笑)。
石川 それこそマムシになっちゃう。
大柴 フフフ。
MAMUSHI その辺ですかね。逆に、残念ながら日本の中で、バスケを喋ってる誰かの何かを参考にしたことはないかな。

元々はムサビのバスケ部という小さなコミュニティーの中でだけの呼び方だった。でもそこにTANAがいたから、この名前がストリートボールの世界でも浸透した。

大柴 そういえばMAMUSHIってどこからきたんですか。名前の由来は。
MAMUSHI ああ、それいいですね。いっつも聞かれる話なんで、書き記しといてもらって。
石川 デカ文字で書きます。

MAMUSHI アハハハ。ボクがMAMUSHIって呼ばれるようになったのは、それこそムサビで、TANAと出会った直後の話なんすよ。ムサビには一応バスケ部があって。実態としてはサークルみたいな感じなんだけど。で、まあバスケやりたいし入ろうやってTANAと一緒に入った。そしたら最初、上級生対1年生のゲームがあってね。上級生からすると新入生がどんなもんか腕試ししてやるわ、って感じじゃないすか。でもそこで自分も結構頑張って、そもそもTANAもいたんで、1年生が上級生をボコボコにしてね。圧勝だと。どうだと。

大柴 あらら。


MAMUSHI 先輩からしたら、「こいつらは生意気だ」ってそらなりますよね。その後、新歓行くぞって言われて飲みに行って、そこで鬼のように飲まされた。TANAは当時、あんまり酒が強くなかったから早めにダウン。でもオレは結構飲めたんで、瓶ビールを2本同時に一気飲みしたりして、かなり大暴れしてたらしいんですよ。で、酔いが回ってきて、くだを巻き始めてみたいな(笑)。先輩たちに対して、あんたら俺に飲ませてばっかりだけど、全然バスケがなってないじゃないすかみたいな感じで、すげー生意気なことをワーワー言ってたらしく。

大柴 ハハハハ。


MAMUSHI ベロベロなんですけどね。たくさん喋るし口も悪いし、酒もたくさん飲むわってことで、次の日から先輩たちはMAMUSHIって呼び始めてましたね。


大柴 ハハハハ、へえー。

MAMUSHI ただ、そもそもはそのムサビのバスケ部という、ちっちゃいコミュニティーの中で呼ばれてるだけのあだ名だったんです。でもそこにはTANAがいるから、TANAは俺のことMAMUSHIって呼ぶんですよ。その後、あんまりムサビに行かなくなって、FAR EAST BALLERSの練習とかに行ってた頃、そういうストリートボールのコミュニティーでTANAと一緒にいるときに、彼がMAMUSHI、MAMUSHIって言うから、おのずとMAMUSHIになっていった。

大柴 なるほどね。あ、じゃあムサビのほうはもう辞めちゃったんですか、途中で。
MAMUSHI ムサビはもうほとんど行ってなかったですね。結局3年の時にダブっちゃったし。TANAはなんとか進級してましたけど。TANAが4年生、僕が2回目の3年生をやってた夏に、あいつとムサビの体育館の前で、LEGENDが始まるけどどうするって話をしたんですよ。いわゆるプロのストリートボールリーグが始まるぞと、TANAは選手として、オレはMCとしてどうしよっかって話になって。
 その時、学生としてリーグと契約するのと、プロとして契約するので、全然条件・サラリーが違ったんですよね。ボクは3年生2回目だから大学に対してはかなりモチベーション下がってる。TANAはあとちょっとなんだけど、「卒制(卒業制作)、俺できっかな」みたいなこと言ってたところにつけ込むように「TANA、学校辞めて契約しちゃおう」って。そそのかしたのは完全にオレですね(笑)。
大柴 ハハハハ。
MAMUSHI あいつはあとちょっとで卒業できたのに。「……、そうやな」って(笑)。
大柴 じゃあ今一緒にやってるメンバーとは、形になる前からつながってたんですね。
MAMUSHI そうっすね。確かに、今でこそストリートボールの世界でそれぞれが仕事にしてるけど、元々をホント昔からの友達。ストリートボールって何なんだーみたいな時代からつるんでる連れ。最初は全然使命感とか、仕事とかって感じじゃなかった。普通に楽しくて、みんなとやってきたようなことが、ここまで大きくなっちゃったって感じですよ。

MAMUSHI 締め用

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このあとも、Bリーグの選手に思うことや、恒例の(?)「ストリートとは何か」などまだまだ続きます。続きは本書をご覧ください。

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