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「好きなことで生きていく」と一緒に伝えたいこと

Youtubeのキャッチフレーズや著名人による本のタイトル等、様々な局面で使われるこの「好きなことで生きていく」という言葉。

VUCAとも言われる予測不可能な今の時代において、安定なんて幻なのだし、そのメッセージは圧倒的に正論だと思う。「好きこそものの上手なれ」ではないけれど、好きなことであれば努力も続きやすく、その中にはきっと「その人が得意なこと」が隠されていることも多いように思う。

でも同時に思うのは少し「この言葉が軽く使われ過ぎていないか」ということだ。良い面ばかりが取り沙汰されているというか、好きなことをして成功した人のポジショントークばかりが蔓延しているように思う。

でも、物事には必ず良い面もあれば悪い面もある。その悪い面について語られていないと思っていた時に、前にも記事で紹介したプロゲーマーの梅原 大吾さんの講演の中に、「好きなことをやることの大変さ、辛さ」についてとても腹落ちする内容の言葉があったため、紹介したいと思う。

32:31〜

子供がいたとしたら、「自分の人生を生きるということ」を考えた時にどう言うんだろうなーって思ったら、まず「好きなものを見つけろ」って言いますね。

その好きなものっていうのは、「何か流行ってるなー」とか「なんか友達みんな始めたな」とかそうじゃなくて、自分で見て、自分で感じて、それで「本当に心から好きだなあ」って思えるものをまず見つけろと、まずそういう風に言うと思いますね。

で、そしたら、もしそういうものが見つけられたら、いろんな障害があるだろうけど、「迷わずやれ」と。「とことんやれ」、そういうふうに言いますね。

そうなると多分子供はこう言っていくんじゃないかな、と思うんですよ。
例えば、

(子供)「お父さん、あの好きなことやったらボコボコに殴られたよ」
(梅原)「あー関係ないそれは、(そのまま)やれやれ」

(子供)「好きなことをやってたら友達から変人扱いされて、周りから人がいなくなっちゃって、孤立しちゃったよ」
(梅原)「そっかー、それはきついね。でもまあ、ようやく第2段階だね」って。僕から言わせればようやく第2段階。

(子供)「なんか女の子からも全然相手にされないし、彼女にも振られちゃったよ」
(梅原)「惜しい、もうちょっと。あとちょっとで君、本当に好きなもの見つけられるよ」
ってこう言いたくなりますね。

まあ仕上げというか最後には、「もしお前が何か落ち込んだ時に、場合によっちゃ俺も敵にまわることがあるかもしれん。お前の好きなものを多分、ほら理解出来ないから。そうなれば俺も敵だ。もしかしたら幻滅するかもしれないし、感動するかもしれないし。でもそれでもやりたいって思うものがあるんだったら、お前それやんなきゃいけない。」

自分の人生を生きるって言うのは、自分の人生を生きるためにはそういう、「自分の好きなものを見つけて、とことんやってって言うのは、どうしても必要な準備期間」なんですよね。その準備期間を邪魔する相手っていうのは、仮にそれが親だったとしても戦わなきゃいけない。敵だと思わなきゃいけない。まあそういうふうにやってりゃ多分、いろんなものが不足してるなって感じると思うんですよ。

金がないよ、とか人柄褒められないよとか、友達ができないよって思うかもしれないけど。まあそんなものは後からどうとでもなるし、何よりお前が今足りないなぁと思っているものはいつか無くなると、どれも。絶対じゃないから。親だって絶対じゃないんだから。

でも「お前の本心というか、お前の好きなものっていうのは、お前は死ぬまで付き合っていかなきゃいけないから。他の何がなくなっても自分の本心というのは常についてまわるから。」

あんまりにも自分の本心を隠してずーっと生きていると、「あれ俺の本心なんだっけ」って。これが一番おっかない。

「俺これが好きだったような気がするんだけど。あれ、なんかそんなに好きじゃないかも。何が好きだったっけかな」ということが全くわかんなくなっちゃって、それを年食ってから取り返すのはちょっと骨が折れるぞと。

僕は子供に言いたいですね、もし伝えるとしたらそういうことを伝えたい。

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格闘ゲームっていうのはどんなにセンスがあって、どんなに努力したって、どっかでやっぱり勝負事だから。衝突が起きるんですよ。まあライバルってやつですよね。

で、やっぱり手ごわい。そういう時に、そういうやつ倒すのってのは。才能だとか、努力だってのはもちろん大事なんだけど、「結局気持ち」ですよね。

「俺、絶対この世界、これだけは譲れないんだ」って、そういう迫力っちゅうか、そういうもので結局相手っていうのが、なんとなく諦めていっちゃう。「馬鹿馬鹿しいや」って思っちゃう。

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「流行んねーよ」とか「金なんねーよ」とか人から馬鹿にされようと、対戦してても「なんだこの糞キャラ、こんなどうでもいいよ」とか。「ああこいつちょっと、ずっとゲーセン居るな、こんな奴に敵わなくても、しょうがねえや」っていう辞める理由っていうのはもうごまんとあるから。

だから僕はその若い人たちに対してやっぱり思うのは、「本当にそれ好きなのか」、「理不尽な思いしてもやれるのか」とか、またそういうことは、よく考えてもらいたいなという。

自分の人生ですからね。一回しかない人生だから、その辺はよく考えてもらいたいなと、思いました。

楽しい(たのしい)と楽(らく)は違う

好きなことで生きるべきだし、そういった生き方をした方が後悔もない。それに「何より楽しい」人生になる。正論だと思う。ただその生き方は決して「楽じゃない」と。

僕もサラリーマンではあれど、空いた時間で自分のやりたいことをやれている方だと思う。旧友からは会う度に「お前はやりたい事があっていいよな」とか「羨ましいよ」なんて言われることもある。

でもそんな生き方はそれなりの決意と覚悟なしにできることではないし、表面的には映らない苦労が結構あったりする。

好きなことをして生きろ、と言うのは簡単。でもそんな楽しい生き方をするのは楽じゃない、とセットで伝えないといけないように思う。

「好きなことをして生きていく」は言っていかないといけない

色々書いてきたけれど、「好きなことをして生きていく」という言葉は本当に大切だと思っているし、言っていかないといけない言葉だとも思う。特にこれからの時代には必要な考え方であり、新しい価値を生み出すために必要なマインドセットなのではないだろうか。だからこそ、その辛さや苦労もセットで伝える責任もあると思う。

あと、言葉は生き方と一致していないと意味をなさない。そういった言葉を言うことができるのは、実際にそうした生き方をした人だけだとも思う。自分自身が次の世代に対してこの言葉を説得力を持って伝えられるような生き方ができているのだろうか、と今回改めて自戒させられたような気がする。

来週も頑張ろうと思う。

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