「自由」とは嫌なことを嫌と言えること
こんにちわ!
だいちです。今日は自由とは嫌なことを嫌と言えることについて話しをしていきたいとも思います。
皆さんに質問です。
日本は「自由な社会」と思いますか?
そんなの当たり前だ。と思うかもしれない。
どこに住んでも、どんな仕事をしても、誰と結婚しても(それが法律で許されているのなら)好きなように生きていいのだから。
世界には、親の決めた相手と結婚しなければならなかったり、女性が働くことはもちろん、家族や夫以外に顔を見せることすら許されない社会があります。
いろんな国を旅してみればわかるけど、この時代の日本に生まれたというだけで、ぼくたちはものすごく幸運だと思います。
僕はバックパッカーで東南アジア1周した経験があります。
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そんな「自由な社会」であるはずの日本でも、大多数の日本人(おそらく9割以上)はなにかに依存して生きている。
「ビルから飛び降りろ」といわれた銀行員が辞められなかったのは、ほかに仕事のあてがなく、会社に依存して生きるしかなかったからだろう。
ドメスティックバイオレンス(家庭内暴力)の調査で、夫から骨折するほど殴られた妻になぜ離婚しないのかと訊くと、そのこたえは「経済的な不安」です。
彼女たちの大半は専業主婦で、家計を夫の収入に依存している。
退職した高齢者は、年金がないと生きていくことができません。
だから、毎月の年金が100円減っただけで大騒ぎする。
これは、人生を国家に依存しているということです。
「今日でクビだ」
「離婚するから勝手にやってくれ」
「日本国は破産しました」
といわれたら、このひとたちの「自由」は跡形もなく消えてしまう。
「自由」を経済的に定義するなら、「国家にも、会社にも、家族にも依存せずに生きていくのにじゅうぶんな資産を持つこと」になる。
これが「経済的独立」です。
ひとたび経済的に独立すれば、「家族を皆殺しにしてやる」と恫喝する上司には、即座に辞表を叩きつけることができる。
夫に暴力をふるわれたら、警察に訴えてさっさと離婚すればいい。
仮に日本国が財政破綻して年金がもらえなくなっても、「せっかく保険料を払ったのに」とぼやくだろうが、これまでと同じ生活をつづけていけるだろう。そしてこれは大事なことだけど、経済的に独立している人間に対しては、パワハラもセクハラもできない。
いじめと同じで、逃げられないと知っているからこそ、安心して好きなだけいたぶるのだ。
こういうことをするのは小心者で、相手に逆襲されると思うとなにもできなくなる。なにかに依存していると、逃げ場がなくなってしまう。
そこでしか生きていけないなら、なにをされてもひたすら耐えるしかない。
これでは、自由な社会における「奴隷」です。
経済的に独立していれば、理不尽なことが起きたらいつでも別の場所に移っていけます。
「自由」とは嫌な事を嫌と言えることなのです。
お金があれば、好きなブランド品や豪邸やプライベートジェットも買えるでしょう。
これは確かにその通りだけど、お金に囚われない「自由」に比べたらそんなものは価値は無いと僕は思います。
これで自由とは嫌なことを嫌と言えることについて解説を終わります。
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