植村直己について
こんにちわ、だいちです!
今日は植村直己について話していきたいと思います。
「植村直己」を皆さん知っていますか?
平成世代の人は知らない人も多いと思います。
彼は世界で初めて5大山脈を登頂した冒険家です。
5大山脈とはマッキンリー・アコンカグア・エベレスト・キリマンジャロ・モンブランです。
植村さんはこの5大山脈を登頂し
更にグリーンランド3000キロ犬ぞりで探検成功
北極圏へ12000キロの距離を犬ぞりで探検成功
数々の偉業を達成した後
1982年にアルゼンチン軍の協力が得られることとなり、長年の夢だった南極点単独犬ぞり探検を計画し、南極のアルゼンチン軍基地に待機し出発を待つが、直後にフォークランド紛争が勃発し軍が協力を撤回したため断念。
2度の失敗に初心に戻る決心をした植村は野外学校設立を夢見て、勉強を兼ねてミネソタ州にある野外学校「アウトワード・バウンド・スクール(OBS)」に参加するため渡米。
ついでにマッキンリー冬期単独登頂を目指しました。
1984年2月12日、43歳の誕生日に世界初のマッキンリー冬期単独登頂を果たしたが、翌2月13日に行われた交信以降は連絡が取れなくなり、消息不明となった。
彼の実績・年表を記します。
・1941年(昭和16年):兵庫県豊岡市で生まれる/7人兄弟の末っ子
・1960年(昭和35年):明治大学農学部に入学し、山岳部に入部
・1964年(昭和39年):大学卒業とともに片道切符を持って外国に出かける
・1968年(昭和43年):エル・プラタ、アコン・カグア単独登頂
アマゾン川6000キロをイカダで下る/日本に帰国
・1970年(昭和45年):日本人として初めてエベレストに登頂する。
マッキンリーに単独登頂して、世界で初めて五大陸最高峰登頂を達成。
・1972年(昭和47年):グリーンランド最北の村で1年暮らし、犬ぞりを習う
・1974年(昭和49年):野崎公子と結婚
・1974年~1976年:北極圏1万2千キロの犬ぞりの冒険に出発
・1978年(昭和53年):世界で初めて北極点にひとりで到着する。
グリーンランドを北の端から南の端まで3000キロ犬ぞりで走る。
・1984年(昭和59年):世界で初めて真冬のマッキンリーにひとりで登頂する
下山中に行方不明になる/国民栄誉賞を受賞
植村直己を知るきっかけになる著書
彼の半生を描いている映画を【釣りバカ日誌】で有名な西田敏行さんが演じています。
他にも実際に日本では2箇所の冒険館があります。
地元兵庫県豊岡市に植村直己冒険館
東京都板橋にも冒険館があります。
ぜひ、興味がある方は足を運んで見て下さい。
僕自身、登山をしての経験
僕自身、昨年初めて富士山に登りました。
日本で1番高い山で3776mあります。
現在、富士山は世界遺産に認定されており、外国人観光客も多く登頂し、日本でも初心者でも登りやすい山と言われています。
しかし、僕の初登山では天候が悪く雨、暴風の中でも登頂で低体温症になったぐらい寒かったです。
「本当に山を舐めてはいけない」思いました。
そんな山登り初心者が感じたくらいですから、植村直己さんの功績は凄いと改めて思います。
世の中にはお金だけではなく、自然と立ち向かったり、冒険心をもとに大自然に挑む人もいます。
植村直己が子ども達に残した最後の言葉
君たちに僕の考えを話そう 僕らが子どもの頃 目に映る世界は新鮮で、すべてが新しかった
やりたい事は何でもできた ところが年をとってくると疲れてくる 人々はあきらめ、みんな落ち着いてしまう
世界の美しさを見ようとしなくなってしまう 大部分の人は、夢を失っていくんだよ
でも、僕はいつまでも子どもの心を失わずに この世を生きようと思う
不思議なもの、すべての美しいものを 見るためにも......
いいかい、君たちはやろうと思えば何でもできる
僕と別れた後も、そのことを思い出してほしい
やろうと思えば何でもできるんだ
1983年「ミネソタ・アウトワード・バウンド・スクール」にて 植村直己(42歳)
今回は日本が誇る冒険家「植村直己」の話でした。
彼の功績や人柄・行動力は後世に語り継がれるべき人です。
ぜひ、興味を持った方は紹介した書物などご覧になって感じてみて下さい。
これで「植村直己」について話しを終わります。
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