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サッカー同好会

サッカー日本代表。悔しいけど今回もベスト8の壁は厚かった。

小学5年生のとき、
どういう経緯で誘われたのかハッキリとは覚えていないのだけれど、とにかく、当時かけっこの速かった生徒15人くらいが、体育の黒崎先生から声をかけられて「サッカー同好会に入らないか」と誘われた。Jリーグがまだ日本に無い時代の話。

もともとセンスのあった徳武君と高木君がツートップで、左利きの河内君が左ウイング、私は右ウィングだった。サッカー未経験だし、背も低くて体格も見劣りするけど、とにかくボール前に出すからお前は右サイドを走れ、みたいなポジションだったような気がする。

ひとつ上の学年がとても上手な先輩が多くて、特に同じポジションの11番の背番号を付けた先輩がいつも上手に右からセンタリングをあげていて羨ましかった。最初にもらったポジションのせいなのか、今でもサッカーの試合をみてると、特にウィングの選手に目が行く。日本代表で好きな選手をあげるなら、小倉や本山や松井、今だとまさに三笘のような、ドリブルで縦に仕掛ける選手が好きだ。

サッカー同好会、最初は男子だけのチームだったけど、途中で女子メンバーも入ってきたりして、合宿では男女区別なく一緒にリフティング何回できるかとか競争してた気がするから、少年野球や地域のサッカーチームとも違う、なかなか稀有なコミュニティだった気がする。附属大泉小は、当時バスケとサッカーだけはこの謎の同好会なるものが存在して、いわゆる”クラブ活動”とはまた別で、両方所属している感じだった。ちなみに正規のクラブ活動のほうは「マイコンクラブ」で、PC-9801やPC-8801mark2でゲームを作ったりドラクエの音楽を打ち込んで鳴らしたりしてた。

サッカー同好会では目立って活躍してた記憶はあまりないけど、夏の合宿がきつかった思い出と、山田センパイと広瀬センパイが超怖かったこと、初めて背番号をもらったときのなんともいえない紐で縛るゼッケンの感じ、一緒に練習した地域のクラブチームの「練馬FC」の年下の4年生の女の子がめちゃくちゃ上手でびっくりしたこと、奥寺康彦選手のサッカー教室で大学生くらいのアシスタントの選手が胸トラップからのバイシクルシュートを眼の前で見せてくれて感動したこと、などなど、まぁ30年前の話にしてはよく覚えてる気もしないでもないから、子供なりに貴重な体験だったんだと思う。

そこから中学ではサッカーを離れて、また高校でサッカー部に入るんだけど、相変わらず足はそこそこ速かったけど技術は進歩しないし、レギュラーでもなかったし、活躍の場は少なかったけど、ひょんなことからサッカーに興味を持つようになって、今こうやってワールドカップを毎回毎回楽しみに観られるのは、あのとき黒崎先生が誘ってくれたおかげだとしみじみ思う。

次にワールドカップが行われる4年後、長男は20歳になる。

今回の三笘や伊東のような、息子の世代のニューヒーローがまたこの先4年の間に現れて、次こそ日本代表がベスト8に入れることを今から楽しみにしている。


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