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【短編】スポンジのような人材

「うちはね、入社面接で必ず『自分を物にたとえるとなんだと思いますか』と聞かせることにしているんです。ここだけの話ですが『はい、スポンジです。スポンジのようにものごとを吸収して身につけられるからです』なんて答える志望者は絶対に落としますよ(笑) うちはクリエイティブな人材を求めていますからね。そんな判で押したような人はふさわしくないと、こういうわけです」


 巻頭の見開きインタビューを読み終えた山本は溜息を漏らした。社長のやつ、また無責任なことをべらべらと喋りやがって。そんなことを言ったら、その質問の「人避け」としての意味がなくなってしまうじゃないか。そうやって苦労を肩代わりするのが誰だと思っている。何度ネットで軽率な発言を繰り返し炎上しても、やつは学ばないらしい。

 山本は広告代理店D社の人事部で働いている。D社といえば広告産業において知らない者はいない大企業で、業界シェアの半分はD社及びそのグループ企業が占めているほどだ。当然、クリエイティブな職を求める就活生が毎年大挙して押し寄せてくるが、使い物になりそうな志望者は一握りしかいない。山本はその群れから原石を見分ける役割を背負わされていた。

 案の定、山本の懸念は的中した。

 社長の発言は就活生の間でまたたく間に知れ渡り「スポンジと答えてはいけないらしい」「この質問で個性をアピールできたやつが受かる」という噂を作り出した。その結果、多くの質問者が奇をてらった答えを返すようになってしまったのだ。

 グループ面接などした日にはひどい有様である。

「私をものに例えるなら二酸化マンガンです。なぜなら……」
「あのっ、私はフォッサマグナです! 」
「聞け、俺は鳩サブレだ」
「我は、煮玉子」
「ミーアキャットでやんす」

 前衛的な学芸会か。山本が呆れて黙っていると、志望者たちが我も我もと自己アピールを始め、収拾がつかなくなってしまった。

 もとよりこの業界、個性をアピールすればあわよくばいけるのではないか、という輩が多い。大抵は悪目立ちに過ぎないのだが、社長の発言はこの傾向に拍車をかけたようだ。

 もはや問う意味なしと、その質問をすること自体をやめてみたこともある。しかし、面接を終わろうというときになって「な、な、なんで、物にたとえるやつ、やってくれなかったんですかっ。僕はもう不合格ってことですかっ」と叫びながら掴みかかってきた志望者が現れ、警察沙汰になりかけた。そのため、質問項目の削除は見送られた。業界の花道とあって、志望者たちも入るために必死なのだ。

 人事として、山本は思った。もう個性とかクリエイティビティとかどうでもいいから、とにかく話が通じる、社会性のある奴が来てくれればそれでいい、と。


「私は、物に例えるとスポンジです」

 面接中、山本は耳を疑った。どうせまた「カブトエビです」とか「薄めた筋弛緩剤です」とかわけのわからない繰り言が返ってくると思い、半分寝ながら質問したのだが、一気に目が覚めた。おずおずと山本は聞き返す。

「ええと、それはなぜですか?」

「はい。スポンジのようになんでも知識を吸収することができるからです」

 パーフェクトだ。パーフェクトにテンプレートな回答だ。本来なら聞き飽きた質問がここでは新鮮で仕方がなかった。凝った料理ばかり食わされた後に頬張る塩むすびが一番うまいのと同じだろうか、山本には、目の前にいる志望者の青年が急に好ましく見えてきた。これといって個性的なところはないが、受け答えに危なげもない。結局のところ、会社に必要な人材は「これ」なのではないか?

 山本は名簿に「可」と小さくメモした。合格である。


 もともとD社は社長の趣味で変人ばかり好んで入れていた。彼らは確かにクリエイティビティは溢れているのかもしれないが、社会性に欠ける人材が多いのも事実であった。そこで、スポンジですと答えた彼は入社してすぐに目ざましい活躍を見せた。社会性の欠落を見事に埋めてみせたのだ。ただ普通に電話を取り、普通に会議をこなし、普通に責任を果たす。それだけのことができる人材は案外少ないものだ。

 なにが個性だ、馬鹿野郎。山本は心の内でほくそ笑んだ。これからもそういう「スポンジのような人材」ばかり採っていくことにしよう。

 しかし、またしても社長が雑誌インタビューでやらかした。この「スポンジ事変」を面白おかしく言いふらしたのである。これを知り、就活生たちは騒然とした。そうか。結局D社はスポンジのような人材を求めていたのか。噂は常に歪められて広まるもので、いつしか「D社はスポンジのように個性的な人材だけを求めている」という話になってしまった。

 その結果どうなったか。

 スポンジのように個性的な人材とは一体なんだろう。就活生はそれぞれ頭をひねり、己を「スポンジ」に近づける努力を始めた。D社に入れれば新卒で年収1000万円も夢ではない。歴史的不景気の今、スポンジのようになることは就活生にとって暗闇の奥に輝く希望の光であった。


「次の方……うわっ!?」

 面接が始まってすぐ、山本はのけぞった。

 入ってきた男の顔が、鮮やかなイエローに塗りたくられていたのだ。顔どころではない。ブリーフ一丁で、全身が黄色いのである。

「日本で最もスポンジに近い男、サトウヨウスケです。よろしくお願いします」

 男の頭は短いパンチパーマで、真緑に染め上げられている。最初は狂ったコジコジのコスプレかと思ったが、なるほどスポンジに見えなくもない。

 しかし、だからなんだというのか。

 スポンジそのものになれば入社できると思っているのか。

 こいつらは、バカなのか。

 彼らはバカなのではない。本当は若者を追いつめる不景気が悪いのである。しかし山本にとっては同じことだ。今年の面接は荒れるぞ。彼は孤独に覚悟を決める。

 だが、そんな山本の覚悟など、現実の前では甘いものであった。志望者たちは、常に彼が予想もしないパフォーマンスを見せつけてきたのだ。


「私は、物に例えるならばスポンジです。スポンジは水を吸い込みますよね。さあ、ご覧ください」

 ある志望者は面接中にボトルの天地を返し、ものすごい勢いで水を飲み始めた。ウォーターサーバー用の12リットルボトルを抱えて入室してきた時点で山本は嫌な予感がしていたが、まさか本当に飲むためだけに持ってきたとは。目分量で7リットルほど飲んだ時点でその志望者は滝のように透明な嘔吐をし、水中毒になって搬送されていった。

「私は、物に例えるならばスポンジです。スポンジはお掃除に使いますよね。おやこんなところにホコリが。見ててくださいね。べろべろべろ……」

 ある志望者は面接中、おもむろにひざまずいて床を舐め始めた。やめてください! と制止しても「スポンジに耳はありません、べろべろ」とか言いながら一心不乱にホコリを喰い続ける。パトカーと救急車、どっちを呼ぶのか迷った山本は、10秒悩んでからどっちも呼んだ。

「私は、物に例えるならばスポンジです。見れば、おわかりですね」

 たしかに彼はスポンジそっくりであった。全身に小さな穴があいているのである。命に別状がないところを狙って穴を空ける外科手術をたっぷり施してから、この面接に挑んだらしい。彼が顔の前で手を広げると、手のひらに空いた大穴の向こうに同じく穴だらけの顔がニヤついていた。あまりにグロテスクな光景に、集合体恐怖症の山本は吐き気をこらえきれなかった。

 彼らは広告代理店よりも幻影旅団のほうが向いているのではないかと思うが、もはやこの暴走を止めることは誰にもできなかった。山本が彼らを落としても「じゃあ、もっとスポンジに近づこう」と志望者は張り切るので、逆効果なのだ。そもそもそんなやつ、書類で落とせよと言いたいところだが、どいつもこいつも書類の時点では怪しさを巧みにカモフラージュしているところがたちが悪い。

 志望者たちはこのように、あの手この手で「スポンジ」に近づこうと画策した。

 あるものは自らの名前を「ボブ」に改名してきた。あるものは頭に大量の生クリームを乗せてやってきた。あるものはおぼつかない足取りでイスに倒れ込み、焦点の合わない目を白黒させながら一枚のMRI写真を差し出してきた。スポンジのように変わり果てた脳の断面図が写っていた。すぐに彼は病院に担ぎ込まれ、やがてクロイツフェルト・ヤコブ病であることがわかった。どうやっていま狙ってBSEに感染することに成功したのか、医師は首をかしげるばかりであった。

 シリコンの埋め込みによって、全身の輪郭がほぼ直方体の志望者が入ってきたとき、山本は乾いた笑いを漏らすほかなにもできなくなっていた。


 しかしこの状況は、またしても気分屋の社長によって打ち破られることになる。

 最初に「私は例えるならばスポンジです」と言って入社した彼が、入社数年目にして競合他社に移ったのである。それも、社内の有能なスタッフをそっくり引き連れ、社内の機密やノウハウをたっぷりと吸収してからの所業だ。社長は激怒し、産業スパイめと罵った。

 もう二度と「スポンジ社員」は採用しない。財産までも吸収されてはたまったものではない――雑誌に社長の提言が載ってから、面接の名を冠したビックリ人間ショーは幕を閉じた。大手広告代理店に入れないのなら、スポンジに人体改造する意味はまったくない。

 山本はホッと胸をなでおろした。これで平穏が戻ってくる。


「あなたを、物に例えるとなんだと思いますか」

 中途採用面接で、山本は志望者に問いを投げかけた。もう何年、何回この質問をしてきただろうか。もはやどんな答えが返ってきても驚くことはあるまい。

「はい、私は――」

 目の前の男は見るからに緊張している。汗びっしょりだ。しばらく考えるような素振りをしてから彼は答えた。

「潤滑油に似ています」

 平凡な回答だ。だが、奇抜すぎるよりずっと良い。スポンジに例えられるよりは、さらにいい。

「それはなぜですか?」

 山本が形式的に問うと、男はパイプ椅子からゆっくりと立ち上がった。

「なぜかって?」

 山本のほうへ近づいてくる。

 男の手が山本の顔に触れた。ぬるり。粘度の高い液体が頬に付着するのがわかった。驚いて見上げると、男の顔が蛍光灯に照らされてテカテカと光り輝いている。汗にしては光りすぎだ。

「なぜかって? こうやってよく滑るからですよ」

 化学臭が鼻をつく。この男は体にオイルを塗っているのだと、山本は察した。

「前は、どうして僕を落としたんですか。あんなに頑張ってスポンジになったのに」

 男はポケットから銀色のスキットルを取り出し、フタを開け、山本の頭に液体をかけた。山本は透明でべたつく液を浴びながら、目の前の男が過去落としたどのスポンジ男だったのかを思い出そうとしていた。

「知ってますか、エンジンオイルも潤滑油の一種なんですよ」

 いつの間にか男の手にはライターが握られていた。

 ふたりの体が炎に包まれた。

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