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「書くことなんてもはやない」をまずは知れ!という無名作家の言い分。

意味もストーリーも不明な小説をなぜ書くのか?

 風でつじが旗のそこそこ荒鳴るうちに平打ちと五目中華をえらぶ勝手が干からびた足湯も底が黒い点滅にご注意くださいだった妻がもうすぐきたぼくは 突き破った中指を丁寧に洗いわすれたまま二度寝にはいった風がすこし強かった ジライヤ風になれは昨日に引き続き髪をきるにしても肛門がすこしかゆい風がやっぱり強く 大仏ロードからとすればビッグしかないスプレー缶の処理は慎重に冷蔵庫の音が鳴りはじめたと思ったらすぐに終わった 天空には躍動感あふれる天女が青い蟹になったらしい月とぼんやり岩木山のセットや東の雲が気味悪く 能登の家の青い屋根のなかに差した太陽の光がボットン便所も通りすぎた砂埃や岩のような石の手前で能登は「ヤッター!」と両手だったか片手のこぶしをめいっぱいあげた シュンというよりショウジへのプレゼントの裏をのりで直して欄干にセットしたカーテンは閉めた状態が流れのままとくに見えないヘリコプターが あの頃もその頃も結局同時に存在している雲のさらに彼方もしくは光のようなものをぼくはたぶんまだみていない いや もしかしたらシュンはまたこないかもしれず だったら言うべきことのうちのサヤからの電話がヒサシの顔の何たるか以前に宙に浮いていた顔のごぼう天を3つともぜんぶ食べてしまい シュンがきた中身は結局さんざんだったともいえないルートの計算 アメリカ椅子 ビラ支払いと同時の生保申請までは今週中にやってしまい 久しぶりにみた朝焼けが荻窪の空へ夜行列車からみえた稲穂の線が銀河鉄道スリーナインナンバーから茶色の壁ことディーゼルの試着室をかこむ諸々をさらにかこむ山々やレトロな横断歩道曲の工藤パンの2階が中学生日記だったルートの計算がなんとかなった最中にチャナから電話がきた 用件はサヤから連絡がない状態の最悪を想像するチャナをまず落ち着かせ 無事家にいてマナーモードで宿題をしていたそれがルートの計算になるまでだからまだ5年以上たった中学生のサヤはむかしのチャナのような三つ編みをしていなかった チャナが着ていた黄緑色のパーカーの裏地のブドウ柄が鼻にすっぱく響いたわけもないケロッとサヤにチャナの雷が無事炸裂し 次の火曜日からはコウくんにも必ず電話させるようパチペン大池天津飯対悟空の天下一武道会決勝戦最後のカメハメハも炸裂したその後はまあ適度に消え去り すこし眠れた気がした朝の仕事がまもなくはじまる頃合いに起きたぼくの屁はもちろん我慢されて引っ込んだ 


 自分が書いたこの文章を、僕は良いか悪いかわかりません。しいて言えば、「前半の10行目くらいまでは良しとして、その後は……まあでも、ギリギリ悪くないかもしれない……」と思いながら書いています。

 ともあれ、はっきりと自信のないこんな中途半端な文章をなぜ書き続けているか?というと、僕や僕以外の作家が書くいろいろな文章を、書いたり読んだりすることに、飽きてしまったからです。

 当然ですが、飽きたことを続けても楽しくありません。飽きてしまったものからは、新しい「何か?」を発見できないし、自己の成長を期待することもできません。一方で、熟知しているからこそ飽きるともいえるので、受け手からすれば、作り手が熟知しているもののほうが、完成度も高くなる分、受け入れやすくなります。

 たとえば、どんどん出てくる新しい強敵を、苦しみながら主人公の悟空が倒すドラゴンボールは、多くの人が受け入れやすく、安心して見ていられますが、一方で作者の鳥山明さんは、連載を続けるのが苦痛だったそうです。定番のストーリー展開に本人が飽きてしまって、本当はギャグ漫画路線に移行したかったからと言われています。要は、大きなお金が絡む関係上、そうはさせてもらえなかったということでしょう。

 確かに、定番のストーリーの中でも、工夫のしようはあるだろうし、だからこそドラゴンボールは最後まで読める作品になっているともいえますが、しかし、「目の前にある自分がやりたいと思うことをまずはやり尽くす」ということを続けていかない限り、いつまでたっても不完全燃焼のまま、自己を極める道はますます遠くなります。 

 これは誰にみせても絶対ウケる、もしくはある限られた人たちからの評価は得られるだろうという自信や見込みのある道は、いわば「安心の道」です。「安心の道」というのは、すでに多くの人が通っている道です。多くの人によって踏みならされた楽な道を進んでも、成長は見込めません。自信のあるものをいくらつくっても、自己を極める道は拓けないということです。

 だからこそ僕は、自分でもよくわからない自信の乏しい文章(小説)をあえて書いているのです。とはいえ、完全に自信も見込みもないというわけではありません。「もしかしたら悪くないかもしれない」というギリギリのところを狙って書いているつもりです。ギリギリのところに身をおいてこそ、より自分を刺激し、成長させることができるはずだからです。

 要は、サイヤ人が、死ぬギリギリまで痛めつけられた後に、飛躍的に強さを増すのと一緒です。ベジータが、変身後のザーボンに苦戦した末に戦闘力をあげたそれを狙っているのです。レベルの低いキュイやドドリアと戦っても大して強くならなかったのは、それが「安心の道」だったからです。だからといって、勝てる見込みが完全にないフリーザと戦えば死んでしまいます。今の自分よりちょっと上のレベルでの戦いを繰り返すことで、僕はスーパーサイヤ人になりたいのです。

 そして、今の自分にとってそのちょっと上のレベル(変身後のザーボン)が、ベケットです。いや、実際はちょっとどころではなく、かなり上だと思いますが、しかし、そういうふうに書く気持ちがわからなくもないという、いわば自分の成長線上の先にいる人だろうと、現時点で僕はベケットを勝手にそう位置づけています。ということで、ベケットとは何者なのか?をいちいち説明するより、彼の文章をまず紹介しようと思います。


「書くことなんてもはやない」をまずは知る。

 私は母の寝室にいる。今ではそこで生活しているのは私だ。どんなふうにしてここまでやってきたかわからない。救急車かもしれない、なにか乗り物で来たには違いない。だれかが助けてくれた。一人では来られなかったろう。毎週やってくるあの男、私がここにいるのはあの男のおかげかもしれない。あの男は違うと言う。あの男は私に金をくれて、書類を持っていく。書類をどっさり、金もどっさり。そう、今では私は仕事をしている、昔と同様、わずかずつ、ただもう仕事の仕方がわからない。そんなことはどうでもいい、らしい。私は今では私に残されたことを話して、別れの挨拶をして、死にきりたい。連中はそうさせたがらない。そう、連中はおおぜい、らしい。だが来るのはいつも同じ男だ。それはもっとあとにしたらいいでしょう、とやつは言う。よろしい。もう私にはあんまり意志というものがない、ごらんのとおり。やつは新しい書類を取りにくるとき、前の週の書類を戻してよこす。それには記号が書き込まれているが、私にはわからない。それに私は読み直しはしない。私がなにもしなかったときには、やつはなにもくれないで、文句を言う。しかし、私は金のために働きはしない。じゃあなんのためか?わからない。私にはよくわからない、率直に言って。たとえば、母の死だ。私がここに来たときに、もう死んでしまっていたのか?それとも死んだのはもっとあとか?埋葬できるように死んでしまったかどうかということだが、私にはわからない。あるいはまだ埋葬はすんでいないのかもしれない。いずれにしろ、母の部屋にいるのは私だ。母の寝台で寝る。母の便器で用を足している。母の場所を取ってかわった。だんだん母に似てくるだろう。足りないといえば、息子が一人だけ。それもどこかに一人くらいはいるかもしれない。だがそうも思えない。いたとしたらもうかなりの年、私とほとんど同じくらいだろう。相手は女中だった。本物の恋なんてものじゃあなかった。ほんとうの恋のほうは別の女だ。それはあとで話そう。ところがまたその女の名前も忘れてしまった。ときには、自分の息子を知っていたという気が、面倒をみてやったという気がすることさえある。そしてすぐ、そんなはずはないと自分に言う。私にだれかの面倒をみることができたなんてはずはない。綴り方も言葉も、半分は忘れてしまった。そんなことはたいしたことじゃあない、らしい。それならそれでけっこうだ。そいつは妙なやつだ、私に会いにくる男は。やつは毎日曜日にやってくる、らしい。ほかの日は暇がない。いつでも喉が渇いている。どうもはじめ方がまずかった、ほかのはじめ方をすべきだった、そう言ったのもやつだ。それならそれでけっこうだ。私は、なんとまあ、まるで老いぼれみたいにはじめからはじめてしまったのだ。だがそれが私のそもそものはじまりだった。それでも連中はそれをとっておくつもりらしい、私の理解したところでは。はじめには苦労した。それがこれだ。なにしろ、おわかりのように、はじまりだから。だがほとんど終わりだ、今では。ましだろうか、今していることのほうが?私にはわからない。問題はそこにはない。私のそもそものはじまりというのはこうだ。それでもいくらか意味があるのだろう、連中がそのままとっておくというのだから。つまりこうだ。

 これは、ベケットが書いた「モロイ」という小説の冒頭です。このとおり改行はありません。先に進むほどより改行は少なくなり、紙一面文字がビッシリ埋め尽くされています。ついでにいうと、記憶喪失男の話というわけでもありません。そんなことはどうでもいいくらい、意味のわからない文章がこの後もだらだら続いていきます。

 まあ、僕の書く文章のほうがもっと意味はわからないと思いますが……(笑)だからといって、自分がベケットと同列とか、ましてそれ以上だというつもりはもちろんなく、ベケットがこんなふうに書きたかった気持ちが、僕にはなんとなくわかるということです。というのも一つには、わざわざ自分が書かなくても、古今東西すでにあらゆる名作があるのです……

 だいたい、自分が創るものより優れた小説なり芸術はすでに無限にあって、にもかかわらず自分が書くことに、いったいどれだけの価値があるというのか?仮にも、トルストイやロマンロランの思想信条を世に広めたければ、自分はむしろ何もしない(書かない)で、彼らの作品やその一文を抜粋するなりして直に宣伝したほうが、よっぽどマシである。それじゃあ気が済まないからといって、先人の小説の文体なり思想を模倣しつつ、自らの個性を忍ばせるとか、或いは先人の教えをさもより深く掘り進んだように、何だかよくわからん捻くれを気どったところで、そんなものにいったいどれだけの価値があるというのか?そう、無意味である。いや、無責任である。そんな無責任な本だの芸術だのが巷に溢れかえっているせいで、ただでさえ何たるかが曖昧な人生の真実がより複雑になった挙句、しかもその複雑を紐といたら何もありませんでした……とか、要するにクソの足しにもならないもののために、ぼく自身も無駄な時間と労力(無責任な本をあさり読む時間と労力)をさんざん消費してきたわけで……少なくとも自分は、読み手を欺くこの一連の流れにはできれば加担したくないと思った。(「羊をかぞえる」より引用)

 そう、小説家がしいて書くことなんてもはやないのです。古今東西すでにあらゆる名作があるにもかかわらず、なお自分が書く意味は何なのか?その迷いというか、これ以上なにを書く必要もない世界で、それでもなにかを書こうとする自分に絶望しつくしたあとで、ボソボソなにかをいっている?みたいな……ベケットの言葉は残りカスのような言葉だと、誰かが言っていましたが、確かにそんな感じもします。


読者のためではなく、自分のために書く。

 おそらくベケットは、誰かに読ませるためではなく、自分自身のために書いたのだろうと僕は想像します。だとしたら僕も、もはや僕自身のためにしか書けないことを、ベケットの文章を読むたびに思います。

 とはいえ、自分のための究極は他者のためにもなることを、僕は信じています。というより、究極の自己を介してこそ、真に他者や世界と繋がれるだろうと思っています。

 あるいは、「全宇宙の生物はすべて、わたしの一部であり、わたしの内にあり、わたしの所有である」という古の教え(バガヴァッド・ギーター)を僕は信じているし、人間は究極みんなその悟りへ向かっていくのが、もっとも自然な生き方だろうと思っています。

 いわば芸術をつくることは、悟りのための手段に過ぎないだろうということです。だとしたら、作品の良し悪しは二の次だと考えるようになったのは、ここ二年くらい前からで、同時に今の「自由連想法による文章練習」を書きはじめました。これは僕にとって、悟るための修業でもあるのです。

 自己を極めるにあたって、どの方法やどんな道が幸いするか?は、人それぞれでしょう。ベケットを入り口にしたこの道をこのまま突き進むべきか、それともいったん戻ってまた新しい可能性を秘めた道のようなものが見つかるまで待機するか、あるいはかつて書いていたような、とにかく読めば一応意味はわかる普通にちかい小説?をまた書くべきか……見落としがあれば、やり直しも必要だし、必要なのに知らなかったことがあれば知り、知っていたつもりがそうでなかったら知り直したり……

 と、結局はでも、ただ足掻きさえしていれば良いと思っています。しかし、そうやって一生あがいても、自己を極めるに至れないことは十分あり得るわけで、いってしまえば、ベケットでさえ、悟りには至れなかったんじゃないか?と思います。いや、瞬間的には悟っても、それを継続するために、ずっと書き続ける必要があったのかもしれません。

 ともあれ、ベケットにしろ、僕が書いている自由連想シリーズもそうですが、作品それ自体の完成度を求めるよりも、書くという行為を通じて自己実現を果たす目的が色濃いため、基本的にはどっちも評価の対象にはなりえないのです。

 とはいえ、限りなく悟りにちかいところにいるとか、極めて純粋な心をもっている人からすれば、指摘せざるを得ない違和感を覚えることはあるでしょう。しかし、せっかく指摘してもらっても、その違和感に気づけなかったり、その違和感をある程度繰り返さないと、次の気づきにステップアップできないとか、またその違和感を利用している節もあったりするかもしれないことを思えば、それを修正するのはなかなか容易ではないのが現実です。

 が、ご指摘・ご意見はもちろん大歓迎なので、下記のコメントより何なりとお寄せください。やがて僕がスーパーサイヤ人になるために、ぜひご協力頂ければと思います。


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