自ら苦労を取りに行く
そういう事ってないでしょうか。他の人から見ると、大変なのはわかっているんだし何もそれを選ばなくても他の選択肢もあるじゃん、というものだ。別にそれにそこまで拘らなくてもよくないか?もっと楽に生きていいんじゃない?と。
なんでそんな苦労をわざわざ取りに行くのだろう。
魅力的に見える
なぜか惹かれる。普遍的な魅力ではなくても、自分にとってはなぜか非常に魅力的に見える。脳に何か刻み込まれてるのかと思うくらい、そういうモード設定なのかな?と思うくらい何故か惹かれる。
傍から見ると必ずしも必要に思えない苦労
安定した職、それなりの収入があるけど副業や転職して給料アップ。多くの人が挑戦して不可能と言われていることの挑戦。もっと楽な異性関係の構築。関わらなくてもいい人間関係での問題。無帽に思える挑戦。諦めどころと言われて久しい拘り。
やらないと気が済まない
他の人がなんて忠告しようが、本当に合理的で良心的な意見を言われようが、頭ではその意見の正しさはよくわかっている。しかし、何故かやらないと気が済まないのだ。
やり終わったらどうなるかというと、おそらく成功しても失敗してもそれなりに満足するだろう。
手を出すことを辞めたら、ずっと後悔が残る可能性もある。スッパリ忘れ去れたら楽だが、必ずしもそういかないことは多い。だったら色々なものが許される範囲では、気が済むまでやってもいいのかも。
学習していないわけではない
頭では理解している。ああまたこのパターンね、と。「自分はこのパターン好きだなー」とわかっている。他の人から言われて学んでいないのではない。わかっているのだ。そして自分の意志で苦労パターンを取りにいっている。本当は全部わかっているのだ。
めげずに続ける
発明/アイディアや芸術品など、見向きもされないかったことが後々世紀の大発明や偉人として崇められたりする。
そんな大きな話でなくても、みんなに反対されたけど起業・転職・人生の変革を行って、結果はどうなっているかはわからないけど自分は大変満足していたらそれはそれでいいのでは?
仕事でなくても、自分がやりたい苦労を自分で何回も取りに行っちゃってもいいじゃないか。
まとめ
自分が気が済むように生きたらいい。それが一番幸せである。
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