見出し画像

命の価値

僕の編集者人生がスタートしたのは今からおよそ13年前。
都内の出版社に就職したんですけど、そのときは今ほどブラック企業がどうだとかって話もなかったと思います。電通の方が過労死した事件もそれからしばらくしてからだったはず。

働く時間が長くなるのは仕事柄しょうがないとして、それを考慮しても、それはそれは言うのも憚れるような職場環境でした。

午前中から出社し、電話番や荷物番。自分の仕事をこなして、夕方手前くらいからノコノコと出社してくる編集長を含むベテラン社員の顔色を伺いながら、深夜まで会社に意味もなく居続ける毎日。

記事の確認待ちの間、戦々恐々としながらPCのウインドウを大きくしたり小さくしたりして心を落ち着かせ、大声で呼ばれると、怒鳴られるために編集長の席まで小走りで赴く。

これはどういう意味だ?
そんなこともいちいち説明しねぇと思いつかねえのかよ!
なんで確認しねーんだよ!
すみません…じゃねーんだよ! ムカつくんだよ!!
いつまでも突っ立ってんじゃねーよ(嘲笑)

とまあ、こんな具合のことをフロアじゅうに聞こえる声で繰り広げられて、いやホント、情けない日々だったなと今でも思います。

それから数年の間に編集長らベテラン勢が続々と編集部から異動となり、僕はそのまま編集部に所属して徐々に結果をだせるようになって、比較的中心的な立場になることもできました。

部署の雰囲気も数段良くなりました。僕が入ったばかりのころは超危険エリアとして紹介され、他部署の人間はそうそう近づこうともしなかったのに、比較的気軽な交流ができるようになりました。

そんなある日、僕を散々怒鳴っていた元・編集長が、今までなかった校閲の担当として編集部のフロアに戻ってきたんです。


日に日に体が動かなくなって、最後には死んでしまう脳の病となって。


元・編集長は六大学出の秀才。特に校閲能力に優れていて、小さいころから本の誤植を探す嫌な子供だったそう。
そんな頭の良い人が脳の病気になるなんて、なんて皮肉な話なんだろう。

かつての威圧的だった雰囲気はなりを潜め、まともに歩けなくなり、字が読みづらくなり、しゃべることも難しくなり…。

どんどん変わっていく姿を見て、因果応報、ざまあみろ、なんてことはとても思えませんでした。僕はこの人に散々いろんなことで怒られたり辱められたりしたけれど、それを恨んだことはなかったから。
いや嘘つけよって、当時を知っている人だったら間違いなく言うくらいなかなかのアレでしたけどね(笑)。

怒られ方はともかくとして、その原因は、僕が悪かったから。実力がなかったから。間違いなくそうで、だからこそ悔しかったし、ムカついたのもこの人に対してというよりは、できない自分自身に対して。

この人みたいになりたい。そうすれば、この人は怒鳴ることなく仕事ができて、部署の一員として貢献できる。僕の目標でした。

後輩にアドバイスをする時にも、あの日の元・編集長に言われたことが重なったりして、あのとき怒られながら言われたことが、ちゃんと自分の中に活きていて今があるんだなと、思っています。

そうやって暗黒時代を脱却し、部署の中堅として活躍できるようになった僕ですが、その頃から不思議とやりがいというか、モチベーションを維持するのが難しくなってきたんです。

比較的評価をされるとともに、年々仕事は激務化。部署の売上も良くなってボーナスもあがったけれど、タイミングを逃していまだに結婚もできず、自分のためにお金を使うのにはとっくに飽きていて、けど先立つものがないのに貯金というのもモチベにはならないので結局大きいものを買って満足して、ローンを組んではそれを返すために働く毎日。

ここ最近、芸能人の方の自殺をよく耳にします。しかもなんで? っていう人達がそういうことになってるじゃないですか。
全然立場が違うくせに知ったかぶって恐縮なんですけど、なんかちょっとわかる気がするんです。

目に見えて窮地に立たされているわけでもなく、ただ漠然と将来が不安な日々。
朝から晩まで働いて、それなりにお金をもらって、でもそれが未来につながることに使われるわけでなくて、その時のモチベーションのためだけに消えてなくなる。

僕は今、何のために生きてるんだろう。

かといって自ら終わりにする覚悟は持っていなくて、もし今を終わらせて次に行けるボタンが目の前に現れたら、あまり悩まずに押すかもしれない、という感じ。
異世界転生モノがやたらと流行っているのは、僕と同じ状況にいる人がたくさんいるっていうことなのかなって、勝手に思ったりもしています。

先がないのがわかっていながら、なりふり構わず今を生きている元・編集長。
勝手に先が見えなくなって、人生を終わりにしてもいいと思ってしまっている僕。

でも結局僕は生にしがみついていて、フリーランスになった今はそんなことはあまり考えず、日々必死に生きるための算段をつけているという。

命の価値は、一括にできないくらい複雑で、皮肉で、わがまま。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?