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すみわけ

✳︎今日のひとこと

ヨーロッパにひんぱんに通っていると、高いブランドものを買うことがほんとうにアホらしくなってくるのです。
高いブランドものっていうのは、定番(それは私も買うことがあるし、品質がいいから20年くらい平気で使っている)以外は、去年のを持っているとちょっと恥ずかしい、そういうまるで茶の湯のような決まりがある世界でしか本来の意味を持たないんですよね。
ヨーロッパの中流くらいの生活をするなら、おおよそ1万円前後で、すごくセンスのいいものが買えるから。
ほんとうに公の場に出るときに必要なもの、例えば私にとってのコムデギャルソンみたいな、川久保先生を尊敬していて、少しでも貢献したい気持ちもある…人それぞれのそういう大好きなデザイナーがいるブランドは別として、服やかばんや靴にひんぱんに何十万円も出す時代は(少なくとも私には)終わったんだなと心から思います。
海外の高いレストラン、ホテルに招待で行く可能性があるときだけ、そういう店の人たちは驚くほど服の素材と靴と時計を見ているのでホストに恥をかかせないように多少気をつけますが、外に出る仕事も減らしたし、つきあう人たちも選ぶようになったし、そんなにがんばらなくていい年齢にもなりました。

…かといって、アジアの国々の人たちを安く働かせて大量に作られている服に関してもちょっと疑問があるので、どこで何を買うか調べながら、お金の使い道とおしゃれであることをなんとか両立させるゲームができることの幸せ。
時間がなくて、でも人前に出る仕事がひんぱんにあって、だから1時間くらいでひとつの店で上から下まで全部そろえなくてはならない(そういうときは常に青山のギャルソンにかけこんでいた)と焦っていた時代に比べたら、この組み合わせ天国ってなんだか夢のようなのです。
バブリーさはすっかり失ったけれど、とてつもない自由を得たような、そんな感じがします。

前も書きましたが、イタリアでインタビューを受けていると、やってくるインタビュアーのあまりにも多様なファッションが楽しくて、次が見たいからどんどん来い!みたいな気持ちになってしまうのです。アクセサリーやジュエリーが必ずすてきなアクセントになっていて、かといってキメキメではなくてどこかラフな感じで。
本の虫のアニメおたくのちょっぴり太めのメガネっ娘さえも、どこか遊び心がある服を着ていたり、大胆なリングをしていたり、かわいくて思わず抱きしめたくなります。
まるでお花畑のようにそれぞれの個性がキラキラしていて、目は癒されるし参考にもなるし、世界を人間の美しさで飾ることって意味があるなと思います。

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吉本ばななです。やがて書籍になるときにはカットされる記事も含めています。どくだみちゃんは散文、ふしばなはブログ風です。コメントはオフですが…