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心にアイドルをなっしー

✴︎この無料ノートは、有料で連載中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」のふなっしー号から一部抜粋したものです。有料を読んでいる方は完全版が普通に届くと思いますし、ふらりと来た梨友さんは、ここだけ読んでもらえれば!

✴︎今日のひとことなっしー

ふなっしーが武道館のど真ん中にヒャッハーと出現して、みんなが叫びながら泣いているのを見たとき、なんだか歴史的にたいへんなところにいあわせちゃってるな!と思いました。
アバンギャルドというかアナーキーというかシュールというか…
そして自分の目からもたくさん涙が流れていました。ついにほんとうに目の前でふなっしーを見ちゃった!なんてすばらしいんだろうって。

ふなっしーが生きて歌って踊っている奇跡。それに全く手を抜かないで寄り添う高見沢さんや氣志團やゲストの方々(近くで見た沙也加ちゃん超かわいかったです)。

その空間はとんでもない優しさに包まれていました。

中身がなんだろうともうかまわない、ふなっしーが大好きだ!と思っているファンの私たち。
ほんとうの意味でのポジティブなメッセージだけをウィットに富んだ表現と卓越した身体能力で発信している現代の奇跡梨よ。
ほんとうにすごい梨!

初恋の人がドロンパだったというだけのことはあり、私があんな不思議な生き物に惹きつけられたのには理由と歴史ありです。
菊地成孔さんに「そうか、Qちゃんみたいに下があいてたらだめなんだ、ふなっしーやドロンパみたいに、足まで閉じた形がいいんだ!」と分析された私!

子ども「ママがんばってスタッフさんに頼んで楽屋に行きなよ」
私「いや、お疲れのところ申し訳ないからいいんだよ」
夫「そうだよ、あの人は暑いから一刻も早くあれを脱ぎたいんじゃない?」
…あれ、とな?

船橋の梨園にて
梨園の人「ああ…あの…ええと、方はね、呼んだら来てもらえるような忙しさじゃないからね。来たいときに寄ってもらえればね」
船橋のお寿司屋さんにて
親方「あの…ええと、梨はねえ、うちには来たことないけど、友だちは来るんだよね。もっと、あっちのほうに住んでるよね」
お客さん「う、うん、そうだねえ。もう少しあっちのね。公園のほうね」
地元でも優しく守られてる!

全身にグッズをつけた人たちがまるで宗教の集いみたいに、武道館のまわりを青と黄で埋めつくしていました。
その人たちは、決して若者だけではない、もしかしたらひとりぐらし?という淋しい見た目のおじさんや、やっといらした感じのおばあさんや、家族連れや、車椅子の方や。強いて言うならサービスエリアみたいな雑多な客層でした。でもこんな多様な日本の人たちが、毎日ふなっしーの存在に支えられて生きているということがひしひしと伝わってきて、そのことだけはみんな共通で本気なんだということが痛いほどわかりましたので、胸がいっぱいになりました。
夫が「思ったよりもずっといいライブだった。ふなっしーがなにか特別なものだということが、よくわかった」と言ったとき、私はその大勢の、ふなっしーに支えられている人たちの心からの笑顔を周りに見ながら、またちょっと泣いてしまいました。

✴︎ふなふなちゃん

あの夏

同じ街に何回も降りたつと、どんどんその街が好きになってくる。

そこに住んでいる人のおうちに行ったりすると、まるで住んでいるような気持になる。

取材だったから、私はいつでも主人公の気持ちになって街を眺めた。

悲しくて、切なくて、いっしょうけんめいで、気をはっていないと壊れてしまいそうな主人公の気持ち。

駅ビルの地下のスーパーに行って、主人公は自分をふった恋人が別の人といるのを見てしまう。幸せな家族連れや、気楽に食品を選ぶ会社帰りの人たちに混じって、ひとりだけ急に違く悲しい世界に吸いこまれてしまう瞬間だ。
彼女の目で見た食材は全て悲しく見えた。
主人公は泣きながらエビとか牛乳を買う。その動線をたどりながら、私まで泣きそうになった。

主人公が引きこもりの親友とお寿司を食べるシーンのために、お寿司屋さんで席の位置を考えた。あのおとなしい人たちだからきっとはじっこ。そうするとカウンターの中はこういうふうに見えるんだ。
それは、体も少し不自由で引きこもりで外に出たくない親友が、彼女が泣いていたらがんばって出てきてくれた、そんなシーン。
いい友だちがいてよかったね、と私は思った。

全ての取材が終わったとき、私は船橋から電車を乗り継いで、地元の駅に帰ってきた。
ふるさとを後にしたような、だれかと別れたような。ぽかんとした気持だった。

もうすぐ夏が終わるというときだった。
風の中には秋の匂いが少しだけ混じっていた。
それでも空には入道雲が浮かび、駅から歩いてくるとうちにある大きな蓮の葉が風に揺れて迎えてくれるのが見えた。

終わったんだ、と思った。

いちばん幸せだったのは、市場に行ったあと川沿いの長い遊歩道を散歩しながら知人の家に寄らせてもらって、山盛りのとうもろこしをおやつにいただいたこと。
歩き疲れていた私は初めて行ったその家で、私のアシスタントさんとそこんちのちびっこがきゃっきゃ遊んでいる声を聞きながら昼寝してしまった。

目を覚ますと、知人はお母さんらしい優しい後ろ姿で立ち働いていて、アシスタントさんとちびっこはまだいっしょに遊んでいた。テーブルの上にはまだとうもろこしがきれいな黄色で盛られていた。

まるで時間が経っていないみたいに、そのままだった。
私の眠気はすっかり晴れて、世界が違うふうにまぶしく見えていたのに。

目覚めたとき、私は幸せだった。
窓の外には小説に出てくる桐の木のモデルになった木がそびえたってきれいな葉を揺らしていた。
あんなに安心した昼寝をしたのは久しぶりで、そこんちの子になりたいと思った。
そのお母さんにもいっぱい悩みがあって、育児や生活のたいへんさもあって、よく泣いたりしてるのを知ってるのに。
まるで子どもみたいに、おかあさーん、おかあさんにはなにも悩みはないよね、私のためにいつもそこにいてくれるんだよね、と言いたくなってしまった。

✴︎メルマガらしく自著をおすすめ

ばな子、いよいよ本性を出してきたよ!自著を宣伝しだしたよ!
いやいや、ここで裏話を書けるのは私しかいないし、今日はこれしかないと思うのよ。

ふなっしーが人の心を救っている時代を焼きつけておきたくて(ドラえもんがだれの心にも残っているように)書いた小説ふなふな船橋。

ひと夏船橋に通った。船橋に泊まった。船橋を味わった。

ずっと主人公の気持ちになっていたから、なんでもかんでも切なく見えた。ふなっしーの笑顔がどんなに主人公の人生を救ってきたかよくわかった。
いきなりふられて悲しく帰るときに、駅ビルの一階のピーナツのお店でふなっしーのキーホルダーを買って、それに寄りかかって歩いていた彼女の気持ちが。

私はもう若くないので、あんなに身が切れるような失恋はもうしないだろうと思う。でも若かった頃の、生活全部がなくなってしまうほどの衝撃を受けた失恋の香りが、船橋にいたら主人公に沿ってほんとうに蘇ってきた。

おかめ寿司は高いけれどものすごくおいしい。親方とおかみさんのお人柄も最高。それから何でもかんでもざるに盛って持っていくと、むやみやたらに春雨麺を作ってくれる東魁楼の支店の辛いお店(今は新装オープンのため一時閉店ですって)も、たまにすごく食べたくなる。心の中で「青梗菜、鶏肉、イカ、きのこ」など具を考えるのも止まらなくなる。