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緘黙症だったのかもと思ったらちょっと楽になった話

緘黙(かんもく)症という症状を知ったのは、先日レンタルなんもしない人さんのインタビューを読んだときだった。

インタビューによれば、レンタルさんは小学校でまったくしゃべれなくなった経験があるという。緘黙症になったきっかけについて、

「全然わかんないです。1回喋れなくなると、もう喋れなくなるんです。何でしょうね、「喋っていないな」って気づかれてしまうと、そのあと、言葉に注目されるのが怖くて、もう。」

と答えている。また、小学校のときはクラス、中学では塾、今は実家で場面緘黙症を発症したそうなのだ。

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緘黙という言葉を知らなかったため、読み方を調べるところから始まったが、思い返せば自分もこの症状がかなりあった。家族や親しい友人とおしゃべりできても、外では無口なのだ。


最初は小学4年生から6年生まで通っていたテニススクールでのことだ。市内の小学校でテニススクールは開催されていたが、うちからはその学校は学区外なので、自分と同じ小学校からきている子はいなかった。それでも、4年生のときはひとつ上の子と仲が良くなった。友だちといるときはコーチやほかの子とも少しはしゃべっていた記憶がある。

1年後、友だちはテニススクールをやめてしまった。それから2年間、無視されているわけでもないのに、誰とも話せなくなってしまって練習に行くのが辛かった。人と話せないという理由なので親にやめたいともいえなかった。


中学では部活と塾でしゃべらなくなった。部活は半年ぐらいかかって馴染めたけれど、塾は中3の6月に入塾して卒業するまでまったく話せなかった。塾には地元の同級生がほとんどいない。だからといって、教室にいる他校の中学生には話しかけられない。塾にいるときはずっと黙っていた。ときおり教師に問題を解答するように指名されると、周りに注目されてものすごく緊張した。のどの奥がきゅっと締まって苦しかったのをよく覚えている。


高校生になってもしゃべれなくなったときがあった。高2の冬から高3の夏休みまでの半年、美術予備校に通っていたが、しゃべるどころか声を発することすらほとんどできなかったのだ。小さな予備校だったので夏期講習中は現役生と浪人生であふれて、人がいない場所がない。そして、みんな誰かと一緒にいてひとりの人がいない。昼休みになると誰もいない場所を求めてふらふらした。おにぎりはめちゃくちゃ暑い外かトイレの中で食べた。


知り合いすらいない小さなコミュニティに属さなければならないとき、いつもしゃべれなくなった。人間関係が完成した強固なコミュニティにおいて、よそ者である自分が存在をアピールするのはものすごく困難であるのを今までの経験で知っている。いじわるされているから話せないのではない。仲間はずれでもない。そもそも、最初から仲間になれていないのだ。

どうせ、コミュ障の自分は話そうとしても息が詰まって何も言えないのだから、存在していることすら認知されない「空気」になってしまおう。だが、コミュニティを壊さないように空気を読みすぎて「空気」になっていたら自分が壊れてしまった。

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現在は話したいのに話せない状態になるかというとそうでもない。大学受験で浪人したのがきっかけだ。以前も少し触れたが、予備校に通い始めたころは、あまりに成績が悪かったので覚悟を決めて勉強しなければなかった。勉強に集中していると、誰かと話さなければならないと思ったり、他人を気にしたりするストレスがなくなった。無理して友だちを作らなくてもいい。コミュニティに参加するのもしないのも個人の勝手なのである。こうして「わたしはわたし、あなたはあなた」と自分と他人の境界線がはっきりしてくると、わざわざ「空気」になる必要はないと気づいた。


それでも、話したいのに話せない重度の人見知りだったとか、「コミュ障」という言葉をかつての自分に当てはめてしまうときはある。やめればいいのにこうして自虐してしまうとトラウマが少し蘇る。

だから、緘黙症について知ったときちょっと楽になった。たしかに、病気自体はネガティブなものだ。しかし、今までモヤモヤしていたものに説明がついて言語化されるとスッキリする。別に医者に診断されなくても「もしかして緘黙症だったのかも」と思うだけでいい。これは赦しなのだ。

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だいごろう

昼飯が豪華になります。

ベネ(良し)
8
暴れアルパカ