卒業式

目覚まし時計が鳴った。時刻は7時。
スマホを握ったまま布団の中でまた目をつむる。

「起きないの?」と母が様子をみにきたのが7時20分。そもそも7時がギリギリの時間なのに二度寝なんかするから寝坊したということになる。なんだかやる気が出ない。


居間のテーブルには目玉焼きが置いてある。子どものころは目玉焼きが嫌いだったけれど、最近はよく食べるようになった。

「卒業式、行かなくていいよ」

目玉焼きをもぐもぐしながらつぶやいた。
今日は卒業式なのだ。


結局、のんびり準備しながら抵抗したものの、この訴えは聞き入れられなかった。小雨の降る中、しぶしぶ出発する。間に合う時間ではまったくない。到着したころには答辞がすでに終わっており、最後に校歌を合唱するだけだった。


・・・


大学に進学する意味とはなんだったのか。


学歴をつけるためなのか。
やりたいことを探しにいくというモラトリアム期間によくある漠然とした目的のためなのか。

なにより、自分の大学生活は意味のあるものだったのか。

サビのワンフレーズしかわからない校歌をぼんやり聞きながら考えごとをしていた。


・・・


高校3年生の夏まで美大にいきたかった。

夏休みは美術予備校とよばれる美大受験者が通う予備校の夏期講習で一日中絵を描いていたが、あるときぱったりいかなくなった。目標を見失ってからは抜け殻のようになってしまって何もできなかった。

高校を卒業してからも、生きているのか、死んでいるのかわからないぐらい無気力で毎日ぼーっとしていた。みかねた兄に予備校まで引きづられなければ今の自分はいないだろう。本当は何もできない情けない自分をどうにかするきっかけが欲しかったのだ。


覚悟を決めたからには、高校の友人と連絡できるLINEもツイッターも消して友だちもつくらず11ヶ月間必死に勉強した。それまで何もしていなかった分、成績は最後まで右肩上がりで伸びていったが、第一志望の大学は補欠で落ちた。


大学の入学式も雨が降っていた。

初めて大学の校歌を聞いたとき涙が頬をつたった。感動したからではない。悔しくて歯を食いしばりながら泣いていたのだ。

ここの校歌が聞きたかったんじゃない。

4年前の自分はそういった。


・・・


世の中には自分の力ではどうしようもないことが存在する。それは挫折であったり、不条理であったりさまざまである。

そういうどうしようもないことに対抗しうる力が「教養」や「思考力」なのではないかと思う。


そして、大学は教養と思考力を身につける場だ。答えがあることを教えてくれるわけではないが、自分さえその気になれば、いくらでも知識を蓄えられ学べる環境が整っているのが大学の素晴らしいところなのである。むしろ、無知であるせいで、「理不尽」に気がつかなくなるのは罪だといいたい。


4年間、よく学び、よく考えた。すると、狭かった視野は広がり、過去に経験した挫折を受け入れられる心の余裕が生まれた。初めて自分のあり方をよしとすることができた。何者でもない、ちっぽけな自分でもいい。無意味なことなんてなかったのだ。


ひとは教養を積むことで豊かになり、深く考えることで自由になる。

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だいごろう

昼飯が豪華になります。

ジョセフ・ジョースター! きさま! 見ているなッ!
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暴れアルパカ