シカゴ3

【日記/93】成人式の振袖の色

この前読んだこの記事が、けっこう面白かった。

ピンクが女の子の色になったのはいつ?

いわく、昨今では「女の子の色」として誰も疑問に思うことなく定番になっているピンク色、実は「女の子の色」としての認知が広まったのは1953年であるとのこと。時のアメリカ大統領ドワイト・D・アイゼンハワーの妻であるマミー・アイゼンハワーがピンクをお気に入りの色として着ていたのを、メディアや小売店が「ピンクは女の子の色」とキャンペーン的に囃し立てたのがきっかけだったという。ほーう、なかなか目から鱗である。私はてっきり、「ち、乳首の色だから……?」などといういやらしい理由しか考えていなかった。むっつりスケベなのである。

一時期(今も?)「ダサピンク現象」などという言葉があったように、ピンク色と女性は因縁が深い。といってもその歴史はたかだか64年しかなかったことが判明してしまったわけだが、ピンク色を抵抗なく好んで身につけることができた女性、ピンク色を身にまとうことにずっと抵抗を感じてきた女性、それぞれいるのだろうと思う。

と、私がここで思い出したのは、成人式のときに着た振袖の色である。読者に女性の方がいたら一緒に思い出してみてほしいのだけど、私は成人式のとき、黒の振袖を着た。

なぜ黒を選んだのかというと、19歳当時の私は、ダークヒーローみたいなのが好きだったのである。「だったのである」というか、今もそういう存在には憧れがある。「黒」という単語が連想させるものが好きだ。大学と大学院ではブラックユーモアの研究をしたし、『黒魔術の手帖(澁澤龍彦)』なども愛読していたし、社会に喧嘩を売っている感じ、太陽と月に背いている感じ、人をおちょくっている感じ……そういうのが大好きだったので、19歳の私は黒の振袖を選んだ。

しかし今思うと、そもそも「成人式に振袖を着て出席する」という行為自体が振袖の色云々の前に全然ロックンロールじゃない。タイムスリップして10年前に戻れるなら「お前、そんなしゃらくせえイベントに出るんじゃねえ」などと恫喝してやりたいところだが、なんだかんだでおつむの弱かった私はきちんと振袖を着て、当日も酒を飲んで暴れたりせずお行儀よく市長さまのお話を聴いていたのである。

……なんの話だっけ。

そうそう、ピンク色である。真面目な話にもどると、19歳当時ほとんど迷うことなく黒を選んだ私だったが、一瞬だけ「あれ、ここでピンクとか着なくていいのかな?」と思わなかったこともなかった気がする。

だけど結局、「もし誰も見ていなくて、絶対に誰にも何も言われないことが保証されてて、その上でもなお私は〈女の子の色・ピンク〉を着て自分が女であることを実感したいだろうか? あるいは女の子が云々とかいうめんどくさい文脈を取り払った上で、ただの純粋な色として、ピンクが好きと言えるだろうか?」という問いかけを行なった結果、答えは否だったので、自分の好きなダークヒーローと黒魔術と皮肉の色・ブラックをそのまま選んだ。


「もし◯◯◯だったら」。

これは無意味な問いかけのようにも思えるけれど、私は人生において何かを選ばなくてはいけないとき、思い返せばしつこいくらいこの「もしも仮定」を行なっている気がする。もしも今宝くじで4億円手に入ったら何がしたいか。もしも絶対に失敗しないとわかっていたら今どうしたいか。もしも誰からも批判されないと保証されていたら今日どんな服が着たいか……。

その答えは誰にも教えなくていいし、そこで出た答えは実行してもしなくてもいい。自分の心の中に、そっととどめておけばいいのだ。ただ、自分の欲を「ほうほう」と大事に抱えて持っておくだけで、そこから先の景色はけっこう違って見える。

人間は誰だって自意識過剰である。周囲の期待に応えたいし、周囲に嫌われたくないし、なんなら周囲に褒めてもらいたい。だけど、一度でも熟慮の末に「ほんとうにじぶんがしたいこと」を選ぶことができれば、「なんだ、みんなそんなに私のこと見てねーな」という絶望と希望が、同時に頭の上から降ってくるのである。


その後、私は大学の卒業式も黒い袴を着て出席した。本当に黒が好きだったのである。こちらも、もしタイムスリップして8年前に戻れるなら「お前、だからそんなしゃらくせえイベントに出るんじゃねえって言ってるだろうがもっと魂の底からロックンロールしろ」とかなんとか言ってやりたいが、当時の私はそこまで頭がまわらなかったので、黒い袴を着てやはりお行儀よく学長さまのお話を聴いていたのである。

ちなみに、私のアイコンの背景が緑色なのは「目にやさしいから」という理由である。これは皆さまへ向けたささやかな親切心なのである。そんなわけで、ピンクと色にまつわる話はこれにて終了だ。





شكرا لك!