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【日記/99】ラ・カンパネラの思い出

大学の同級生で、ミカコちゃん(仮名)という女の子がいた。

ミカコちゃんはいつも、ピンクのチークを頰にぐりぐり塗って、髪の毛をふわんふわんに巻いて、フリルがたっぷりのピンクか白のワンピースを着ていた。色素が薄くて、肌が真っ白だった。

「あと一歩でロリータになりそうな森ガール」とでもいえばいいのだろうか。

何だそれという感じだが、いや、やっぱりミカコちゃんはミカコちゃんひとりで「ミカコちゃん」というジャンルなのだ。ロリータでも森ガールでもCanCamでもJJでもない。とにかく、ファッションとメイクが独特だったので、ミカコちゃんは私たちの中で、良くも悪くも有名人だった。

ミカコちゃんは、見た目もぽわっとしているが、しゃべり方もぽわっとしており、さらに頭のほうもけっこうぽわっとしているようだった。

一年生の最初の頃の話だが、Wordで書いたレポートをA4の用紙に印刷して提出しなければならないところ、ミカコちゃんだけルーズリーフに手書きで字を書いて提出しており、先生が驚いているところを一度目撃してしまったことがある。なんとミカコちゃん、パソコンの使い方がわからなかったらしい。

結局、先生はルーズリーフをそのまま受け取ったのか、Wordで書き直させたのかはわからないが、そのとき「服と頭がぽわっとしているミカコちゃん」は、私の中で確定したイメージとなった。


ミカコちゃんは、友達がいないわけではないようだったが、いつも少しだけまわりから浮いていた。

メイクが派手だから、最初はCanCam系の女子たちと仲良くしていたが、徐々に話が合わなくなってきたのか、次第にもう少し地味な女の子たちと一緒に行動するようになっていた。だけど、地味な女の子たちといると、ぐりぐりピンクチークでふわふわワンピのミカコちゃんは、それはそれで浮いてしまう。

私は芸術学科の映画専攻、ミカコちゃんは音楽専攻だったので、私と彼女は週に一度か二度、顔を合わすだけだった。だけど、私はミカコちゃんのことを一方的に観察しては、「大丈夫だろうか……」と毎週余計な心配をして、一人でハラハラしていたのである。


そんなある日、前の授業が早く終わってしまったので、私は次の「音楽史特講」の授業が行なわれる教室へ、一足先に移動した。扉をガラガラと引くと、見事に誰もいない。

てきとうな場所に座って、授業が始まるまで寝るべしと思い机に頭を伏せると、教室正面左にあるグランドピアノから、ぽろぽろぽろ〜んと音が流れてくる。

誰もいないと思っていたのでびっくりして顔を上げると、ピアノを鳴らしていたのはミカコちゃん。何やら、鍵盤を叩いて音の調子を確かめているらしい。ミカコちゃんはそのあとも、私がびっくりしているのを当然のように無視してピアノの前の椅子に座り、今度は鍵盤の上で指をなめらかに滑らせた。

次の瞬間、思わず鳥肌が立った。

なぜなら、教室の空気が、ミカコちゃんの奏でる音によって、弾けるようにぴんと張り詰めたからである。私は眠気がふっとんで、ミカコちゃんの奏でる音に夢中になった。

彼女がそのとき演奏したのはリストの『ラ・カンパネラ』。超絶技巧曲である。普段のぽわっとしたミカコちゃんからは、とても想像できない曲だった。

とはいえ、私の大学は音大ではないので、ミカコちゃんの腕もたかが知れている。したがって、今聴き直したらたいしたことないのかもしれないが、しかしそのときのミカコちゃんの、まるで何かが憑依したように動く鍵盤の上の指先を、私は今でも忘れることができない。

美しい時間だった。静かで、雪が降っているみたいだった。

そのあと数分して、前の授業の終了を知らせるチャイムが鳴り、おしゃべりな女の子たちが連れ立ってガラガラと教室の扉を開けたことによって、ミカコちゃんは演奏を止め、ピアノの黒い蓋を閉じた。席にもどった猫背の彼女は、ぐりぐりピンクチークのふわふわワンピ、服と頭がぽわっとしている、いつものミカコちゃんだった。

私も小学生のときにピアノを習っていたけれど、ピアノはちっとも面白くなかった。当時の私の夢はマンガ家で、絵を描くことと物語を作ることに夢中だった。だから、ミカコちゃんが弾く『ラ・カンパネラ』を聴いた18歳のその日まで、私はピアノが歌う魔法の箱であることを知らなかった。


2年次になり、いよいよ本格的に専攻で授業が分かれるようになると、私はミカコちゃんと学校で顔を合わせる機会が一切なくなってしまった。最後にミカコちゃんを見たのは卒業式のときである。相変わらずのぐりぐりピンクチーク、そしてピンク色の袴。廊下で一瞬すれ違っただけだったけど、あ、ミカコちゃんだ、とすぐにわかった。

ミカコちゃんはきっと、私のことなど1ミリも覚えていないだろう。というかそもそも、私が一方的に気にしていただけなので、在学中に認識されていたかどうかも怪しい。だけど、私はミカコちゃんの強烈な思い出とともに、今でもたまに『ラ・カンパネラ』を聴いている。

パソコンの使い方がわからなかったミカコちゃん。服とメイクが独特すぎて、どこに行っても浮いていたミカコちゃん。しゃべるところを聞けば、ぽわっとしていて、たいてい相手と話が噛み合っていなかったミカコちゃん。

だけど、そんな彼女が奏でる『ラ・カンパネラ』は、凍りつくように美しかった。あんなに美しい音を奏でられるのなら、他のことなんてどうだっていいじゃないか、と思わされる何かがあった。もちろん、たいした才能もお金も美貌もない私たちはそんなわけにはいかなくて、パソコンの使い方は覚えなきゃいけないし、人との付き合い方だって学ばなきゃいけないのだけど。

私にとって『ラ・カンパネラ』は、変な言い方をすれば、「バランスの悪さ」というか、「欠損ゆえの美しさ」みたいなものの象徴だ。ミカコちゃんには、何かが欠けていたと思う。お世辞にも、バランス感覚のある子、頭の良い子とは言えなかったと思う。だけどもしかしたら、だからこそ、彼女の奏でる『ラ・カンパネラ』は少し崩れそうな危うさを持っていて、あれほどに美しかったのではなかったか。

何気なく起こした行動が、自分は覚えてすらもいないような他人に、その後も一生残るほどの強烈な印象をあたえてしまうことがある。最後まで話しかけるキッカケが掴めず、友達になれずに終わってしまったことを少しだけ後悔しながら、私は今でも彼女の連絡先すら知らない。








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