シンガポールマーライオン

【日記/97】「そのままのあなたを好きになってくれる人は必ずいる」を言い換えると

「そのままのあなたを好きになってくれる人は必ずいる」って、歯の浮くような言葉だ。


20代前半くらいの人が言っているんであれば「はいはいお花畑かわいいね」という感じであるが、20代も後半以降の人が言うと「おいおいお花畑いい加減にしろよ」と思われてしまいそうである。しかし、現在ジャスト30歳である私は、今もなお「そのままのあなたを(私を)好きになってくれる人は必ずいる」と思い続けている。

ここで問題になるのは「そのままのあなた」とはいったいどういう状態を指すのか? ということだけども、このあたりは深堀りすると哲学の迷宮に迷い込んでマルティン・ハイデッガー様とかを引用しないといけなくなりそうである。なので、ここではとりあえず便宜的に「あまり無理しないでいられる状態のあなた(私)」くらいの意味にしておこう。それ以上追及すると哲学の迷宮である。

「そのままのあなたを好きになってくれる人は必ずいる」という思想に、私は基本的には同意している。とはいえ、もちろん(もちろん?)落ち込んでいるときに人から「そのままのあなたを好きになってくれる人は必ずいる」みたいなことを言われたら、「ちゃんちゃらおかしいわこのポジティブバカ野郎が……!」と思ってしまいそうなのも事実だ。基本思想には同意だが、やはり言い方ってもんがある。

「そのままのあなたを好きになってくれる人は必ずいる」ってのは、まあそうでしょうねと思うけども、もう少しポジティブさとバカ野郎さを除いた、客観性とクールさに担保された言い方が欲しい。ということでしばし考えてみたのだが、いや昔の人はよく考えついたものですね、「そのままのあなたを好きになってくれる人は必ずいる」ってのは私が好む言い方に変えると「蓼食う虫も好き好き」ってことだ。


人間という生き物は、我々が想像している以上に業が深い。

たとえば、私は舌がお子ちゃまなので30歳になってもなお「焼きそばとハンバーグが好き」とかヌルいこと言っているのだが、世の中には「ホルモン」とか「サザエ」とか「パクチー」などといった珍食材を好んで食べる人がおり、なんでわざわざそんな変なモン食うんだとお子ちゃま側からするとびっくりである。ただし「ホルモン」も「サザエ」も「パクチー」も現在の日本の状況を顧みるにまだ序の口であり、食の迷宮に迷い込むと「ヒトの胎盤」とか「虫」とか「猿の頭」とかを平気で食すツワモノがうようよいるので、やっぱ世の中変わった人がいるんだな〜としみじみ思う。

しかし食の迷宮について語っていると「おばあちゃん、それは食べ物の話でしょ」と言われてしまいそうなので、じゃあいいよ、性の話をしよう。先日、中村うさぎさんの『壊れたおねえさんは、好きですか?』という本を読み終わったのだけど、これを読むとやっぱり蓼食う虫も好き好き……じゃなくて、そのままのあなたを好きになってくれる人は必ずいるはずだよ、と言いたくなる。

私が爆笑したのはこのエッセイに登場する作家の岩井志麻子氏のエピソードで、岩井志麻子氏は好きな男性のタイプが「エラソーなデブ」なのだそうだ。

中村うさぎが理由をたずねると、「なんでかのぉ〜、金持ちそうな感じがするからじゃろーか」と答える岩井志麻子。しかし、「現代のお金持ちはジムに通ったりして体調管理してるからスリムだし、アメリカあたりじゃむしろデブは下層階級でしょう」と中村うさぎが指摘すると、「そうじゃのぉ〜。わしの価値観は、岡山の貧しい農民の価値観じゃからのぉ〜」とすんなり認める岩井志麻子。なんて素直な人なのかしら。そして、「エラソーなデブ」という不遜な言い方だが〈需要がない×2〉みたいな属性の人間でも、そんなあなたが好き、と言ってくれる人(岩井志麻子)はやはりいるのである。

この本は一貫して品がないというか、ぶっちゃけロクなこと書いてない。

「エラソーなデブ」の岩井志麻子の話以外だと、「市原悦子を畳で犯したい」「でも泉ピン子は犯したくない」「ババア専のデリヘル」「連合赤軍のエロス」とかそんなのばっかりだが、しかしその下品さとは裏腹に、「うんうん、やっぱり人間てそのままの姿でいるだけで可愛らしいし、どんな人にもちゃんと魅力は備わってるんだよね」と逆ポジティブみたいな発想になれる。人間愛を感じる。人間愛というか、人間の業の深さを感じる。大人しく焼きそば食べてればいいものの、「ホルモン」「サザエ」「パクチー」などという禁断の果実にふらふらと手を伸ばしてしまう私たち。食べ物は何だって美味しいし、もっと言えばヒトの胎盤とか、「それ、食材じゃないだろ……」というものだって口に入れることは可能である。世の中には変わったことを考えつく人がいるものだ。


私の言う「そのままのあなたを好きになってくれる人は必ずいる」ってのは、わざわざ多くの人に好かれるハンバーグにならなくても、猿の頭とか「それ絶対食えねーだろ」みたいなのでも食うやついるんだから、別にそのままでも誰か食うだろ、という意味だ。人間の業の深さや貪欲さを侮ってはいけない。

もちろん「俺は岩井志麻子じゃなくてガッキーに好かれたいんだよ〜〜!」ということであれば相応のハンバーグ的努力は必要になるかもしれないけど、私は岩井志麻子さんけっこう好き。ユーモアがあって面白いから。そういう話じゃないか。まあ、それでも確かに岩井志麻子かガッキーかと問われたらガッキーのほうがいいような気もするけど、別に猿の頭は猿の頭でもいいのだと思う。猿の頭をベースにちょっとワインで味付けとかしたらだいぶ食べれる人増えるかもしれないし、いやそんな増えないかな、でも世の中にはやっぱ「一周まわって美味しい」みたいなのあるじゃん、と思う。「ガッキーにモテたいなんて、お子ちゃまの発想だな〜。俺は岩井志麻子のほうが数万倍セクシーだと思う!」とかって言う人、絶対にいる。


「そのままのあなたを好きになってくれる人は必ずいる」ってのは、「蓼食う虫も好き好き」ってことで、私から言わせてもらうとポジティブでもバカ野郎でもなくてただの端的な事実だ。そして皮肉でもある。

ただし、けっこう希望のある皮肉だと思うんだけどな。

※ヒトの胎盤を食す話はこちらのエッセイで読めます※

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