マーティン・スコセッシの映画『沈黙』は嘘だらけ!? 学校では教えてくれない“日本のキリスト教”史

――2017年に入り、日本でも公開されたマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙─サイレンス─』。江戸初期のキリスト教弾圧下の長崎を舞台とした同作に対して、宣教師やキリシタンの描き方が一面的だという声も上がっているようだ。一方、学校の教科書にはイエズス会、伴天連追放令、島原の乱といった単語が出てくるが、その背後にヤバい史実が隠されている !? 伝来した戦国時代から鎖国が続いた江戸時代を中心に、日本のキリスト教をめぐる本当の歴史をつまびらかにしたい。

映画の原作である遠藤周作の小説『沈黙』(新潮社)は、1966年に書き下ろされた。

 遠藤周作の小説を原作に、マーティン・スコセッシ監督が日本人キャストを起用して撮った映画『沈黙─サイレンス─』。日本でも2017年1月より公開され、おおむね高評価で受け入れられているようだが、あの作品だけを見て「日本の戦国時代~江戸時代におけるキリスト教受容」を理解した気になるのは問題だらけではないだろうか。

 師匠であるパードレ(司祭)のフェレイラが日本で棄教(信仰を捨てること)・帰化したとの知らせを聞いたイエズス会の司祭ロドリゴたちは、キリスト教徒が弾圧されていた島原の乱(島原・天草一揆、1637~38年)のあとの日本へ渡り、フェレイラを探す──といったあらすじの映画が『沈黙』である。この作品の問題点の詳細はこちらの記事(29日公開予定)以降の識者による対談を読んでいただきたいが、ここでは『沈黙』の虚実について迫る前提として、日本のキリシタン史をおさらいしよう。

 まず、そもそも日本にキリスト教をもたらしたイエズス会とは何か?1534年、イグナティウス・ロヨラを中心にフランシスコ・ザビエルを含む7人によって結成された、プロテスタント普及に対抗するカトリック側の体制内改革運動である。日本イエズス会は大航海時代を迎えたポルトガル国王の保護下にあり、ポルトガルの国家的事業として日本布教を推進する任務を課せられていた。そして、ポルトガルが世界中に貿易拠点と植民地を広げる動きと一体になり、東インド(ゴア)からマカオ経由で(時に海賊である倭寇船に乗り込んで)日本にやって来たのである。日本に来る前はゴアやマラッカで布教活動を行っていたザビエルは、初め天皇を教化するべく京都に向かったが、天皇に権力がないことがわかって失望して方針を転換、有力大名に接触していくことになる。彼らはガードが堅い大国・明(中国)の支配層に室町幕府を通じてアクセスし、教化できるのでは──という期待を抱いていたこともわかっている。つまり、日本布教は中国布教の足がかりにすぎなかったのである。

 そんな背景を持つパードレたちが、映画『沈黙』では強い友情や師弟愛で結ばれた高潔な存在として描かれている。しかし実際には、スペイン人はスペインの利益を図ろうとしてポルトガル人と対立したり、日本人キリシタンの女性から密室で告解を聞いたり一緒に酒を飲んだりしているうちに堕落していった宣教師も一部にはいた(岸野久・高瀬弘一郎訳『イエズス会と日本』岩波書店)。あるいは、戦国時代にはいわゆる一向一揆のように、一部の宗教勢力が為政者に対する反乱を起こしたものの、基本的に仏教の各宗派同士は武力衝突などはせず共存を志向しており、各大名もそれを推奨したが、宣教師や日本人キリシタンは寺社を破壊し、貴重な労働力である牛の肉を食べるなど問題行動をしていた。そのため、寺社仏閣の人間には快く思われておらず、1587年の豊臣秀吉の伴天連追放令でも釘を刺されている(神田千里著『戦国と宗教』岩波書店)。

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