【無料公開中】庵野秀明はジブリの後継者になれない?写真資料は数千枚以上!押井守監督的アニメ写真論

――政府も後押しするほど、多彩な表現でさまざまな作品が作られ続けている日本のアニメ。その中で、現実世界に近いくらい写実的なアニメーションというジャンルを切り開いたのは、押井守といえるだろう。この度、実写映画を手がけた押井氏は、写真というメディアをどうとらえ、使ってきたのか? アニメーションと写真の関係性について聞いた。

押井守氏。

 好きな写真家について尋ねると、押井守はアンリ・カルティエ=ブレッソン(2004年に没したフランスの写真家)の名を挙げた。禁欲的にデザインされた画面の中に、一瞬の時間が切り取られたその絵は、彼が生み出す映画にも通じる。押井氏はアニメーションの世界にレイアウトという概念を持ち込んだ先駆者だ。それまで作画や動画のリズムを優先して生み出されてきたアニメに実写映画のようなレンズを持ち込み、キャラクター主体のアニメから世界観を主体にした新たな表現を獲得した。そんな押井氏と写真との親和性は極めて高い。彼の創作の出発点には、常に写真があるという。

押井 アニメでも実写でも、僕の場合、まず写真集から出発する。資料として購入するのはほとんどが風景の写真集。いろいろな風景写真を眺めながら、その作品における”世界を見つめる目線”をつかむのが映画を作る初期段階での一番重要な作業なんだよ。最初に写真集でおおまかなイメージをつかんでおいて、その後カメラマンを同伴して実際にロケハンに回り、山のようにスチール写真を撮る。『機動警察パトレイバー2 the Movie』(93年)を作ったときにこの方法論を確立して以来、これは変わらない。

――なぜ、そんな方法を?

押井 まず、”現実の風景の中でアニメを作る”ということは決めていた。その意識は『天使のたまご』(85年)や『迷宮物件』(87年)を作っていた頃からすでに芽生えていたけど、明確に意識したのは『機動警察パトレイバー 』(89年)から。ただ、『パト1』を始めた頃はまだ準備不足で予算もなかったので、東京の風景を写した写真集をいっぱい探してきて、それを眺めながら考えるしかなかった。『パト2』では最初からそこに自覚的だったので、ロケハンでスチール写真を膨大に撮った。

――ロケハンで撮影する写真には、何を要求するんですか?

押井 原則的にモノクロで撮る。カラー写真は一切撮らない。なぜかといえば色のイメージに惑わされるから。大切なのはどういう角度から街を眺めるのか。水路から見上げた風景であったり、高い所から見下ろした俯瞰であったり、あるいは廃屋を探して撮ってもらったり。そうやって撮りためた写真の中から映画のイメージの原型になりそうな写真を自分で選んで、アニメーターに参考資料として配る。それはレンズを意識したレイアウトが欲しいから。

――レンズを意識したレイアウトというのは、具体的にはどういうものなんでしょう?

押井 アニメの場合、作画や動画のリズムをメインに考えると、一番見やすい視線のポジションは自動的に決まってくる。どうなるかといえば、アイレベル(人が立った状態での目の高さ)になる。それが一番描きやすいし、俯瞰にするとキャラクターの情報量が極端に減るから、絵描きはやりたがらない。だから昔のアニメーターが好んで取る構図はほとんどアイレベルで、これは宮さん(宮﨑駿監督)といえども例外じゃない。結果的に映画ではなく、絵本アニメにならざるを得ない。『パト2』では、そこから一歩踏み込んで、レンズの味が欲しかった。要するにディストーション(光学的な歪み)のあるレイアウト。それがあることで、アニメの画面であるにもかかわらず、レンズで撮影したような臨場感が立ち上がる。

――レンズを通したほうが、風景に臨場感が出るものなんですか?

押井 人間が風景を見る目って、実はレンズを通した絵のほうが印象が強いんだよ。そのほうが意識的に見ているから。人間の目って意識的に見たいものを見ているわけじゃない、というか反射的に見たいものしか見ていない。画角は無限で、フォーカスも見たいところに瞬時に行く。だからかえって意識に残らない。むしろフレームで切り取ってやることで強さが増す。なおかつレンズを通した風景でないと”強い風景”として意識されない。

――確かに『パト2』の映像では、キャラクターより風景のほうが印象に残りますね。

押井 だから『パト2』は絵が動いていない。劇場公開された当時、”動かないアニメ"だってさんざん言われたのは、絵が動けば構図が崩れるから。強い風景にナレーションやセリフを重ねていくことで、映画としての説得力を生み出そうと思った。つまり、レイアウトが持ってる力だけで映画が成立するんじゃないかっていうのが『パト2』で試みたこと。

――いまアニメを作るとしても、同じ方法論で作りますか?

押井 僕は動画の専門家じゃないから、アニメの場合はそうやって画角から入るしかない。今さらジブリみたいな緻密な描写で流れるようなアニメを作れますかっていわれても、そういう能力はもともと持っていない。だから余計なことを言っちゃえば、庵野(秀明)がジブリの後継者になるかといったら、あいつも実は画角で作ってる男なんだよ。あいつは過去に見た映画のレイアウトは全部覚えているって特殊な才能を持っていて、それを紙の上に再現する能力も持ってる。それだけは大したもんなんだよ。その代わり、全部何かのコピーだよ。東宝の特撮映画だったりのレイアウトが頭の中に大量にためこまれていて、必要に応じて即座に取り出せる。

――庵野氏は、世間的には動画寄りの監督に見られていますが、押井さんの評価は違うんですね。

押井 俺は、アニメーターとしての庵野なんて評価してないもの。でも、あいつのレイアウト能力はたいしたものだと思ってる。あと彼は、情報量の操作ってことを知ってる。どこの情報量を増やして、どこを省略するか。アニメって、それでしか演出できないから。

――実は『イノセンス』以降、押井さん自身はレイアウト主義で映画を作ることに飽きたのではないかと思っていました。

押井 もう『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(95年)のときにとっくに飽きてるよ。『攻殻』は基本的に『パト2』の応用で、『イノセンス』(04年)はさらにその発展形。『イノセンス』が終わった段階で、自分の方法論で作るアニメは、これ以上にはならないとわかった。だから『スカイ・クロラ』(08年)では全然別のことを考えた。レイアウト作業は通常通りだけど、そこで目指すものから逆算してレイアウトを割り出した。何かと言ったら〈時間を撮影する〉ということ。だから作業自体は変わっていないけど、目指すものがちょっと変わった。

――今は、そこから先の表現のテーマは見つかったんですか?

押井 自分のテーマがあって、それに企画をはめ込んでるわけじゃないんだよ。この企画だったら何をテーマにしようかってところから出発するわけだ。『スカイ・クロラ』って作品は要するに日常性の世界の話だから。キャラクターは死なない、年も取らない。年を取らないってどういうことかといったら、それは時間が止まってること。キャラクターの時間が止まってるんだったら、世界の時間をゆっくり動かすしかない。

――なるほど。では新作『パトレイバー』で目指した表現のテーマはどういうものなんですか?

押井 今は教えられません(笑)。表現っていうのは、なんとなく伝わるだけで、前面に押し出すものじゃないんだよ。ましてや公開前に監督が語るものでもない。物語は時代に寄り添ったものだから、いずれは意味がなくなる。だけど映画の表現それ自体は、いつの時代に観ても成立する。今でも小津安二郎の映画を見る意味がどこかにあるのは、あそこにしか流れてない時間があるから。それは98%の人間にとっては、単に死ぬほど退屈な眠い時間かもしれない。でも、ドラマだけだったらテレビでいい。映画を作る以上は、お客さんに対するもの以外――見えざる表現の部分のテーマが必要になる。それなしに、映画を撮るモチベーションはありえない。映画監督は単なる演出家ではなく、〈映画〉を作っているんだから。

(文/山下 卓)

押井 守(おしい・まもる)
映画監督。大学卒業後、ラジオ番組制作会社等を経て、タツノコプロダクションに入社。84年『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』で映像作家として注目を集める。アニメーションのほかに実写作品や小説も数多く手がける。主な作品に『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』『Avalon』ほか多数。


『THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦』

1988年の誕生以降、日本のロボットアニメの”特異点”として孤高の地位を築き上げてきた『機動警察パトレイバー』。押井守が監督を務めた2本の劇場版の中でも、本インタビュー中に「レイアウト技法を確立した作品」として語られる劇場版二作目は一発のミサイルから日本を覆う”幻想としての平和”が脆くも瓦解し、東京に戦争が起きていく状況を精緻にシミュレーションしたアニメ史に残る傑作だ。今回の実写版シリーズ第一作が公開されたのは、14年4月。以来、全7章13作品に及ぶ新たな物語を積み上げてきた。新シリーズの登場人物たちはアニメ作品から二度の世代交代を果たした「第三世代」。これは「THE NEXT GENERATION」のタイトルにもあるように、実写シリーズの物語を貫く大きなテーマのひとつとなっている。「初代が団塊だとすれば、第二世代はありもしない自分探しで自滅した世代、第三世代は元気はあるけどテーマがない。サッカーでいえば、本田や香川や長友の世代。彼らは〈テーマがない〉というテーマを抱えている。実写シリーズは、そんな彼らがテーマを見つけ出すためのドラマ。これは今の日本社会が抱えるテーマでもある」(押井)。5月に公開される長編劇場版は新シリーズを締めくくる最終章である。前作『パト2』の副題が〈TOKYO WAR〉、そして今回の副題は〈首都決戦〉。この符合は偶然ではない。「今回の最終的なテーマは〈似て非なるもの〉。キャラクターの名前から脚本から演出のスタイルまでアニメ版と似てるところからスタートし、最後にはまったく違う場所に到達する」(押井)。氏の言葉を傍証するように、最終章では『パト2』を幻視するような、姿なきテロリストによる首都襲来が始まる。押井守が仕掛けた壮大な罠――アニメと実写が邂逅する瞬間を見届けたい。
[配給:松竹メディア事業部 制作:東北新社 公開:5月1日から]

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