【期間限定無料】“もういらないだろ”批判もなんのその、東京─金沢は夢の2時間28分に! 北陸新幹線と日本の未来――北陸新幹線の"経済学"【1】

――3月14日、ついに北陸新幹線が石川県金沢市まで開通し、観光業界やメディアはどこも盛り上げに必死だ。しかし整備新幹線は常に、巨額の建設費もあって政争の具となり、「作る必要はあるのか?」と批判の対象ともなってきた。そこで考えてみたい。この北陸新幹線開通にはどのような意味があるのか、政治分野からアダルト、はてはオカルト分野にまで手を広げ徹底検証。政治学者から風俗プランナーにまでご登場願い、北陸新幹線を徹底的に問い直す!

 2015年3月14日、ついに北陸新幹線の長野─金沢間が開業し、日本全土を沸かせている。旅行代理店や北陸地方の各自治体は観光需要の急増を当て込んで開業前から北陸ツアーの売り出しに躍起になり、他方、テレビや新聞は軒並み特集を組むなどしてお祭りムードを盛り上げている。

旅行業界は北陸への観光誘致に躍起で、そのためのガイドブックも多数出版されている。

 北陸新幹線は、東京と大阪を北陸地方経由で結ぶことを目的として建設が始まったもので、起点の高崎から長野までの区間のみ、「長野新幹線」として97年に部分開業していた。そして今回、総工事費約1兆7800億円を投じ、長野から黒部宇奈月温泉・富山などを経由して終点の金沢へ至るルートが開通。10年の東北新幹線、および11年の九州新幹線(鹿児島ルート)の全線開通に続く今回の開業によって、ようやく首都圏と北陸地方が一組のレールでつながったわけだ。

 従来、東京から北陸地方へ向かう鉄道ルートとしては、上越新幹線で越後湯沢方面へ大きく迂回し、そこから特急「はくたか」に乗り換えるのが最速の方法だった。それが今回直線的なアクセスが可能になり、東京─富山間の最短所要時間は従来の3時間11分から2時間8分へ、東京─金沢間は3時間47分から2時間28分へと一気に短縮。飛行機で羽田空港から富山空港もしくは小松空港へ向かう方法と比べても、駅─空港間の移動時間を考慮すれば遜色ないほどになった。

 首都圏からのアクセスが飛躍的に向上することについて、石川県の谷本正憲知事は「100年に1度のチャンス」などと手放しで歓迎。かたや新潟県の泉田裕彦知事は、最も停車駅の少ない最速の列車「かがやき」が同県内の駅に停車しないことが14年8月に発表された際、「県が建設費を負担したのに便益がないというのは国の制度の欠陥だ」と憤りをあらわにしている。両知事がそのような反応を示したのも無理はない。なにしろ北陸新幹線開業による経済効果は、石川・富山両県でそれぞれ年間100億~200億円と試算されているのだ。ましてや、現在に至るまでの"苦難の歴史"を知る者なら、両知事の歓喜と落胆とを十分に理解できるだろう。
 そもそも北陸新幹線は、70年に制定された全国新幹線鉄道整備法に基づき、北海道新幹線や東北新幹線、九州新幹線と共に整備計画が決定された整備新幹線5路線のひとつ。しかしこの整備計画は高度経済成長を前提として策定されたものであり、国鉄が巨額の赤字を計上するようになった60年代半ば以降、87年に国鉄が分割民営化されるまで、整備新幹線の建設は約20年間も凍結されることになる。

 北陸新幹線の長野以北の建設が遅々として進まなかった要因はいくつかある。ひとつはレール幅をはじめとする規格の問題だ。新幹線の規格には、東海道新幹線に代表される、高速走行を可能にするものの莫大なコストがかかる「フル規格」のほか、山形新幹線・秋田新幹線で採用された、既存の在来線を改軌することでコストを抑えつつ新幹線の直通運転を実現できる「ミニ新幹線」など、いくつかの方式がある。それらのどの方式を採用するか、またそもそもどういうルートで各都市を結ぶかといった問題をめぐり、政治家や沿線自治体の間で激しい駆け引きが繰り広げられたのである。

 結局、全体的な方針が定まらないまま整備計画は泥縄式に各区間の工事に着手していく形で進められ、05年に全線フル規格化がようやく実現した。ただし、金沢から大阪への整備計画として具体化しているのは、23年開業予定の金沢─敦賀間まで。敦賀以西については、73年の整備計画で提示された若狭ルートのほか、湖西線を利用して京都付近で東海道新幹線に接続する湖西ルート、米原へ乗り入れる米原ルートの3つが検討中で、いまだに結論の出るめどすら立っていないのが現状だ。

 ほかにも課題は山積している。まず、新幹線の開業にあたって必ずついて回るのが並行在来線の問題だ。新幹線を新設する場合、並行する区間の在来線は、90年の「整備新幹線着工等についての政府・与党申合せ」により、JR各社の経営から分離されて第三セクターの運営に委ねられることと定められた。結果、その多くが赤字ローカル線である並行在来線は、運賃の大幅な引き上げによって利用者にも大きな負担を強いるようになったのだ。

 また、いわゆる「ストロー効果」も問題点として常々指摘されてきた。新幹線が開業することによって潤うのは、停車駅のある沿線の自治体ではなく、そこから人やモノを吸い上げる大都市だけ、という現象が起こりがちだ。北陸新幹線に当てはめると、局地的には北陸3県の中小規模都市から北陸最大の商業・観光都市である金沢市へ、大局としては北陸地方全体から首都圏へ、購買・観光・ビジネス客が流出するのではとの懸念がある。

 さらに新幹線は、建設費や経済効果の莫大さから、政争の具として利用され続けてきた歴史を持つ。北陸新幹線の建設においても、石川県出身の森喜朗首相(当時)が、富山までと決まっていた長野から先の着工区間をさらに金沢寄りの石動までに延伸すれば、すでに着工済みの石動─金沢間とつながって直通運転が可能になると主張し、野中広務幹事長(当時)らから「我田引鉄」と非難されている。64年の東海道新幹線開業から半世紀、北陸新幹線もまた、新幹線の負の歴史を塗り替えることはできなかったのである。

 とはいえ、新聞・テレビを中心とするメディア各社は、それらの問題に多少言及しつつも、全体としては北陸新幹線の開業を極めて好意的なトーンで報じている。そこで本企画では、そうした大メディアとは距離をおきつつ、サイゾーならではの視点から、あらためて北陸新幹線開業の意味をとらえ直してみたい。

 そのための論者としてご登場いただくのが、近現代の天皇・皇室研究を専門とする政治学者でありながら、鉄道に関する多数の著作を持つ"鉄学者"としても名高い、明治学院大学教授の原武史氏だ。もうひとりは、本誌ではお馴染み、文学や音楽などを切り口に戦後日本の都市や文化について鋭く考察し続けてきた編集者・ライターであり、また金沢市出身でもある速水健朗氏。次項では、この両者に、過去の歴史を踏まえた北陸新幹線の評価などについて熱く語ってもらう。

 さらに、冠婚葬祭産業や風俗産業など、大メディアでは北陸新幹線開業と絡めて論じられることはまずない"マイナー業界"への影響等について、識者のコメントを交えて詳しく分析する。これを機に、官と民、そしてメディアがこぞって持ち上げる北陸新幹線を、やや違った角度から眺めてみてはいかがだろうか?

(文/松島 拡)

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