【想田和弘】技術革新で撮影の手法も変わる! 元ナチスの証言を盗撮しGoProで戦場を撮影

想田和弘(映画監督)

1970年、栃木県足利市生まれ。『選挙』(07)や『精神』(08)などで知られる。10年には「DMZ国際ドキュメンタリー映画祭」で妻の父母が介護サービスに従事する様子を追いながら、父がエサを与え続けている野良猫の共同体の成り行きを撮影した『Peace』を上映。

今回多くの識者からタイトルが上がった『ゆきゆきて、神軍』。(発売元:アドネス/販売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント/税別4700円)。

 そもそも戦争というのは、よく考えてみると実に不条理な現象なんですよ。だって、生き物は普通、自分が生き残ることを最優先に行動するものでしょう。

 ところが戦争になると、「国」のためだとか、「民族」や「家族」のためだと言って戦地へ行きます。そして同じような大義名分で動員された、個人的には恨みもない、見知らぬ「向こう側の他人」と殺し合う。引いた視線で眺めてみると、いったいなんのために市民同士が殺し合わなくてはならないのか、まったくわからないんです。その馬鹿げたメカニズムを、映像を通して観察、直視することは、戦争を失くしていく上で有効な手段のひとつだと思っています。

 そんな戦争を題材にしたドキュメンタリー作品として、真っ先に思い浮かぶのは原一男監督の『ゆきゆきて、神軍』(1987年)です。戦時中、ニューギニアに出征し、奇跡的に生還したアナーキストの奥崎謙三は、神戸市で妻とバッテリー商を営んでいる。ところが、敗戦直後に現地で起きた日本軍兵士処刑事件の噂を聞きつけてからは、事件に関係した元戦友たちの元へ、アポなしで押しかけ、時には暴力を振るいながら、真相を究明していく。

 そこから明らかになっていくのは、食糧が底をつき飢餓が蔓延する中、日本兵同士が仲間を殺して食べていたという恐ろしい事実です。実際、戦争で亡くなった日本兵のうち、6割強は餓死したといわれています。近年では戦死者を「命を懸けて祖国を守ってくれた英霊」として、賛美する人が政治家にも一般にも多いですが、実態はそんなに勇ましい話ではないのです。本作は、奥崎という人間を媒介として、戦争の本質をありのままに描き出します。

 また、クロード・ランズマン監督の『ショア』(85年)も必見の映画です。本作は9時間30分という大長編で、制作に12年をかけたという超大作。ナレーションや資料映像を使わずに、生き延びたユダヤ人、元ナチス親衛隊員、収容所近くに住むポーランド人など、当事者たちの証言だけでナチスによる「ユダヤ人大虐殺(ショア)」を鮮烈に描き出したため、ポーランド政府を激怒させ、激しい議論を巻き起こした問題作でもあります。

 ユダヤ系フランス人であるランズマン自身、戦争中はレジスタンスに身を投じ、ナチスと戦ったことで知られています。本作にはユダヤ人虐殺に関与した元ナチスの証言を盗み撮りする場面があるのですが、カメラが回っていることを知らぬ被写体は、自らの犯罪行為を滔々と語ります。いくら相手が元ナチスとはいえ、倫理的に問題をはらんだ手法です。現実的な危険も伴うでしょう。

 しかし、ランズマンにためらいはありません。パスポートを偽造して身分を偽り、小型カメラをバッグに隠して盗撮を敢行する。その毛の生えたような心臓と倫理観、サバイバルのスキルは、きっとレジスタンス時代に培われたのでしょう。彼の本質は、銃をペンやカメラに持ち替えた「闘士」なのだと思います。そして、その結果できた映画は、ホロコーストをなかったことにしたい歴史改ざん主義者たちの主張を、木っ端みじんに打ち砕く、資料的価値の高い作品です。

 ところで、これまで技術革新があるたびに、ドキュメンタリーの歴史は大きく動いてきました。現在ドキュメンタリー映画が一種のブームのように盛んに作られ、劇場公開されているのは、95年に始まったデジタル革命が端緒となっています。同年、ソニーからVX1000というデジタル・ビデオカメラが発売され、高価な16ミリフィルムを回さなくても、劇場公開可能なドキュメンタリーが撮れるようになりました。これはまさに革命的なことでした。

 そんな中、最近はGoProが戦場撮影での定番と化していて、米軍に兵士として所属しながらアフガニスタン戦争を撮った『Combat Obscura』(19年)という、日本では未公開の作品もGoProを駆使して撮られています。僕は本作をドイツの映画祭で観たのですが、あまりの臨場感に観客の男性が失神してしまって、上映が中断されてしまいました。映像と音の、疑似体験を作る力ってすごいなあと、改めて思いましたね。

(構成/古寺雄大)
(構成/編集部)

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