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オフシーズンに走る日本と、遊ぶ英国

先週の金曜日は、僕にとっての今シーズン最後の練習だった。

シーズン終盤になるにつれて「やっと休める!」という声が、アカデミーオフィス内ではかなり多くなってきていた。選手間でも「俺はドバイのウォーターパークに行くぜ!」などの会話が、よく聞こえるようになっていた。僕は、このオフシーズンを使って東ヨーロッパに2週間ほど行ってくる。同期の木村と白水は1ヶ月ほど日本に帰国予定だ。

英国生活もかれこれ3年目なので、もうこのオフシーズンの過ごし方については慣れたものだが、毎年オフシーズンが近づくにつれて日本でのサッカー経験者ならではの劣等感を覚える。

「中学から高校までの6年間、ほぼ休みなしで本気でサッカーと向き合ってたのに、なんで欧州人よりサッカー下手なんだよ」って。

「真夏に吐くほど走らされてた時に、違う大陸にいる彼らは海でプカプカ浮いてたんだぜ」って。

「お盆での帰省ぐらいしか家族旅行行けなかったのに、彼らは毎年家族旅行してんだぜ」って。

サッカーレベルは問わず、プロアカデミーでもオフシーズンで1ヶ月ほどの休みがある。僕が吐きそうになりながら走ってた時には、歳が1つ下のArsenalのSakaなんかは家族旅行を楽しんでた訳だ。なんだか悔しくなる。

オフシーズンが選手に与える影響は一概には語れるものではない。パフォーマンス面・メンタル面などの事を考慮するとキリがないので、詳しい記事などは自分で探して読んで頂きたい。

所詮、サッカーは生活の一部

「何かを犠牲にしてサッカーをする必要はある・あったのか?」

最近、この問いに対して考える時間が増えた気がする。それも、コーチとしての今の自分と選手としての過去の自分と照らし合わせながらだ。

「サッカーがあるから家族旅行に行けない」「サッカーがあるから学校行事に行けない」「サッカーがあるから…」

この「サッカーがあるから」という理由で、数え切れないほどに予定を決めてきた記憶がある。皆さんもそうだったはずだ。特に兄弟がなどが居た人はもっと複雑だろう。

「じゃあ、イギリスはシーズン中に勝手に休めるのか?」 - 答えはNOだ。しかし、オフシーズン休暇がクラブから確保されているおかげで、後に、そのNOがYESに変換されるのがほとんだだ。「今はできないけど、オフシーズンで1ヶ月休めるからいつでもできるよ」と。

この文化はサッカー界だけでなく、国全体が重視する文化だ。国民ほぼ全員が「夏のホリデーにはできるから、今は頑張る」と言う。僕はその文化に対してはかなりの敬意を払っていて、この確証された休みがあるからこそ「サッカーが社会の一部・生活の一部として在り続けているのではないか」と思う。

「何かを犠牲にしてサッカーをすること」「犠牲にしてきたサッカー外の時間を過ごすこと」の絶妙のバランスが、人々をサッカーが好きで居続け、彼らのモチベーションが下がらないキーファクターなのかもしれない。

シーズン中に激しく消耗した身体と精神面を長時間かけて回復させる。日本だと「サボっているだけ」と思われそうなこのオフシーズン休暇は軽視されがちだが、多くの若い選手の成長において多大な影響を与えているのかもしれない。

少なくともサッカーをプレーすることを辞めた時に「何かを犠牲にしてサッカーを頑張ったのにな… 」と、後悔することは無くなるかもしれない。





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