選択肢があるという贅沢

あるマレット製作家の方に定期的に辛めなご意見が来ているということを聞き、ちょっと思うことを書かせていただきます。

この日本という国は、西洋音楽においては極めてアウトサイダーであり極東と言われる地域です。でも何故かティンパニマレットの製作者が多く、奏者のマレットに対するリテラシーも世界的に見て高いと思います。

ではそのリテラシーってどうやって得たものなのでしょうか?

それらは数多の製作者並びにその製品があるが故でしょう。

例えば、日本にマレット製作をする方が一人しかいない場合、あなたはどうやってその良さを判断しますか?良し悪しというのは比較の中から生まれる概念です。色々な方がいて、色々なものを作る人がいて、自分の中に基準が生まれ、良し悪しや好き嫌いが判断できるわけです。

また、今は個人での情報発信がしやすい時代です。製品を買わずともその製作者の方々が発する発言や情報を得ることが増えたことと思います。これは自戒も込めてのことですが、極めて贅沢な時代だと思います。労することなく色々なことを知ることができます。ただそれは発信者がいてのことです。

何も製作者を贔屓しろというわけではありません。厳しい発言をするユーザーの存在は我々には必要だと思います。それをどう捉えるかはその人次第ではありますが、イエスマンばかりでは良い変化は起こせないと私は思います。

あなた、ウィーンのマレットってどんなのかご存じですか?知っているのならそれはカウフマンやフロンメのおかげでしょう。それらの工房になんら貢献していないかもしれないあなたでも彼らから恩恵を受けているんですよ。

あなたの中の基準は、あなたの周りで形成されていることは忘れないでほしいです。無くなって後悔するのならば、日本人らしい無能さですね。0から1を生み出すエネルギーってとても超大です。次に0から1が生まれるのはあなたが寿命で尽きてからかもやしれませんね。


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