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源平合戦 其の十七 終わりに

平家の滅びた壇ノ浦へ向かうため神戸の
六甲アイランドから福岡の新門司港へ
ゆっくり一晩かけて阪九フェリーで
今年の夏に訪れた。
当初は新幹線で行こうとしたのだけれど
YouTubeでフェリー旅を紹介していた動画を見て
「あっ!これは壇之浦へ行くのに
めっちゃ良い感じではないか!」
(料金もとても手ごろなうえ、海をみながら朝晩船内の露天風呂につかるなんて非常に快適)

新門司港到着後、連絡バスに乗り
JR門司駅まで行き、そこから門司港駅まで
乗車。
門司港からレトロ列車に乗り和布刈公園駅
終点で下車。ここは関門トンネル人道入口があり
海底トンネルを下関まで歩いて渡ることができる。
そこで、私の興味を引いたのが和布刈神社。
なんとなくお参りし、ふと案内板のようなものに
目が留まった。

海洋散骨(海葬)


えっ!私の愛する平知盛殿が眠っている海に
私の遺骨をばらまいてくれるの・・・!
散骨場所は巌流島の近くなので源平の
古戦場からはやや遠くなるものの
壇ノ浦の強い流れはたちまち知盛殿の
すぐ近くまで流してくれるだろう。
(遠ざかる可能性も大)
真剣に考えて、でもまだもう少し先の話なので
保留にしておく。


みもすそ川公園 碇知盛像

 関門海峡人道トンネルを下関がわにでると
そこはみもすそ川公園。
写真の知盛に会えます。

源平合戦にちなんだことがらに関係する本を
読んだり史跡を、訪ねたりするうち
平知盛という人にひどく惹かれてしまった。

彼は平家のなかでは雅な資質に恵まれなかった。
でも大きな身体で武勇にすぐれ
自分の馬を単なる軍用兵器と見ず
情深いまなざしでその命を尊ぶ様は
「なんて素敵な男なんだろう」
と感嘆のおもいでいっぱいになった。
もちろんこれはフィクションだろう。
でも、平家物語にしろ司馬先生の作品にしろ
こう想像させてしまう資質が
知盛にはあったのだ、きっと。

赤間神宮

赤間神宮で平家の七盛塚をお参りし
宝物殿に飾られている掛け軸の知盛を見て
堂々たる偉丈夫ぶりに納得した。
ここに来るまで平家の供養塚があることや
知盛の御姿にお目にかかれるとは
思っていなかった。
元ツアーコンダクターの知人に教えてもらうまで
旅行直前まで赤間神宮の存在すら知らなかった。


義経に関連する場所で訪れていないところは
まだあるし、(例えば奥州平泉とか)
しばらく中世日本への興味は尽きそうになく、なにか
noteに投稿できる文章を書けたらいいなあ・・・
と思っている。

日本史の知識スカスカの私の文章を
ちょっとでも読んでくださった方々
本当にありがとうございます。


 義経が京都滞在中に住んでいた堀川館跡
この石碑があるのみ











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