ソ連MSX物語⑩秋葉原のお買い物・最新兵器を超えたMSX
「これが苦労して経理から分捕ってきた20万円だ。これで最大限の買い物をするんだぞ。」
「Поняла了解!」
研修で日本にやってきたソ連のMSX技術者たち、その最大の目的はMSXフロッピーディスクドライブを入手することでした。しかし秋葉原のPCショップには無尽蔵のお宝が眠っています。果たして彼らは浮気をせずに目的を達せられたのでしょうか。
皆さんは初めてパソコンショップに赴いたことを覚えていますか?僕は毎回店ごと持って帰りたいと思っていました。ソ連の技術者達も全く同じ心境だったようですが、僕との違いは『もう二度と来れない』ことでした。
かつて彼らの母国アゼルバイジャンはシルクロードの重要な中継地でした。時を超えてシルクロード終末の地、黄金郷日本に辿り着いた彼らの欲望が爆発するのでした。
指南役は前回の日ソMSXサミットでソ連技術者の絶大な信頼を得た大学生のバイト君。まず彼の講義が始まります。
「いいかMSX-DOSを使用するにはメモリーが64KBなきゃならん。お宅らのYamaha CX11は32KB、ここが問題だ。」
「ダメなのか?」
「MSXの拡張性をなめるなよ、こいつがMSX用増設メモリカートリッジだ。」
「おおおお!」
「これが増設MSXフロッピーディスクドライブだ。ちゃんとMSX-DOSのディスクも付いてるぜ」
「うーん、しかし89800円か…本体より高いな。」
「おい!こっちに34800円のディスクドライブがあるぞ!これにしよう。」
バイト君が渋い顔でたしなめます。
「そりゃクイックディスクだ。FDDみたいな形はしてるが中身はカセットテープと大差ない。やめとくんだな。」
ある技術者が質問します。
「私の機種はYamaha CX5Fだが大丈夫だよな。」
「残念だがダメだ。CX5Fは1スロットだからな。」
「そんな、ひどい…」
「そう嘆くなよ、こんなのもあるぜ。」
「これはカセットテープデッキ?こんな小型なのか。」
「お宅らは音楽用デッキを使ってるんだろ?こいつなら読み取りも正確だし倍速モードも付いてるぞ。」
「何とMSX専用のカセットデータレコーダーがあるとは!」
「このプリンターはMSXに接続できるのか?」
「ああ、それもMSX専用だ。」
「我々はPC8801用のプリンター1台しかないんだ。これさえあれば!」
「ただしお宅らの自作品質管理ソフトはそのままだと印字できんぞ。自分で改造しないとな。」
「やってやるぜ!」
「おい、このSONYのMSX。10000円と書いてあるぞ!」
「そりゃ2年落ちのHitBit HB-55だ。展示品だったからボロボロだし、カートリッジスロットは1つでメモリも16KBしかないぞ。」
「じゃあ少しオマケしてくれないか?」
バイト君があきれ顔で苦笑します。
「お宅らもう秋葉原の流儀に馴染んでるな。」
「やった!俺はSONYの製品を使うのが夢だったんだ。」
こんな調子で買いたいものは無尽蔵に膨れ上がるのでした。ソ連技術者達は10日間の滞在中でショップに入り浸るうちに、完全に「秋葉原流」に染まっていきます。
「展示品でいいから安くしてくれないか?」
「フロッピーディスクをオマケしてくれ、中古でもいいから。」
「この美しい少女のポスター貰えないか?」
「まとめて買うから〇〇円でどうだ?」
しまいにはソ連共産主義で眠りについていたシルクロード商人のDNAが完全に覚醒してしまいます。
「来年また来るから安くしてくれよ。」
「嘘つけ!次何時来れるか解らないって言ってただろ!」
毎日彼らに付き合って通訳した父はとんだとばっちりでした。
最終日のこと、やはり大幅にお足が出てしまいます。そこでついにソ連MSX技術者は北の最終兵器を取り出しました。
「どうだ、カスピ海産の最高級キャビアだ、友愛の証に受け取ってくれ。その代わり…」
「こいつは美味そうだな。」
とバイト君。
「品質は私が保証する。日本で購入すれば1缶数万円はするぞ。」
と父。
「そんな、保証されると言われましても・・・」
困惑する店長さん。
しかしまだ1985年の秋葉原パソコンショップは個人商店的な色彩も強く、結局大幅に値引きしてくれたのでした。
大戦果を挙げたソ連技術者達は大はしゃぎで総武線に乗り込んでいました。彼らの両手には持ちきれないほどのMSX周辺機器が・・待ちきれずに箱から出してマニュアルを読みだす輩も出る始末です。ここら辺の心境はパソコンユーザーあるあるですよね。
更に今夜は我が家で大宴会が催されるのでした。笑顔が絶えない彼らでしたが、リーダーのゲンナデの一言が彼らに冷や水を浴びせました。
「ソ連はもうダメかもしれんな・・・」
「ああ」
「そうだな・・・」
当時の共産圏の親玉であるソ連は米国と世界を二分する覇権国家であり、軍事超大国でもありました。
ソ連政府は国民にプロパガンダ報道を徹底し「我々ソ連共産主義が爛れた資本主義を淘汰する」と信じ込ませていたのです。
しかしソ連MSX技術者達がみた秋葉原は想像を絶する世界でした。
積み上げられた最新パソコンの数々
それを手足の如く扱う10代の少年
世界最高のPCと信じていたMSXは入門機に過ぎなかった現実
そして何よりソ連社会で失われていた人々のエネルギーに彼らは圧倒されました。
最新兵器や核ミサイルを山ほど保有していたとしても、それは羊頭狗肉の帝国であることを優秀な技術者である彼らは見抜いていたのでした。
父はこれらの体験から85年頃には「ソビエトは近いうちに必ず崩壊する」と断言するようになります。しかし当時の世論やマスコミ、有識者は「冷戦構造は当分は続くだろう」と言う論調が圧倒的で、父の言葉を信じる者は誰もいませんでした。
しかしその僅か4年後、ベルリンの壁はあっけなく崩壊したのです。
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