Absolute Beginners

 十代の終わりから二十代の初めにかけて住んでいた都会で、私はあまりにも眩しい世界を見つめていた。もともと悪かった目はさらに近視になった。
 手を伸ばし足を運べばすぐ届いただろう。でも私みたいな何もできない若者には、そこへ近づく資格などないと思っていた。心の中に自分自身で植え付けた茨は、気が付くと生い茂り、行動を縛り付けていた。

 …などと書くとおおげさだけれど、要は、さまざまなことに関心こそあっても素直に飛び込むことができなかったというだけの、よくある話だ。例えば高校生の頃に映画『ビギナーズ(Absolute Beginners)』などで観て惹かれた50年代~60年代の英国の若者文化。けれど雑誌で知って憧れていたMODS MAYDAYには、大学の先輩から「一見さんが行くようなイベントじゃない」と釘をさされて怖気づき、上京後の4年間行けずじまいだった。同じバンドが好きだった子に打ち明けた思い出話に至っては「ふーん。でもさ、○○くんも、もうそんなこと覚えてもいないと思うよ」と一蹴された。そんな断片的でネガティヴな埃っぽい記憶はいくつもある。

 那覇に住んでいた1990年代半ば、タワーレコードで、当時台頭してきたインディーポップのシングルやアルバムを数多く目にしながらも、なんとなくそれを避けていた。かつて好きだったバンドの流れも汲むような、聴けばきっと好きになるだろう音楽だったというのに。なんというか、インディーポップやネオアコは心の綺麗でお洒落な人たちのものだと思い込み、距離を置いていたのだ。
 そんな折、偶然知り合った沖縄本島の少し歳下の方たちが『クッキーシーン』などの雑誌に影響を受けてZINEのような冊子を作っていたり、国際通りにあったGET HAPPY RECORDSがミニ新聞を発行していたりして、そこで声をかけていただき、少しずつ文章やイラストを書かせてもらった。メンバーは皆シャイだけど好きな世界をきちんと持っていて表現方法もそれぞれユニークで、とても楽しかった。自分でも2号だけ自分だけのフリーペーパーを作った。
 そのあと再び島に戻ってからは、沖縄の出版社の発行している雑誌に時折文章を書きながら、地元に仲間のいない寂しさをメーリングリストで解消していた(90年代の終わり頃、雑誌Oliveの愛読者だった方々が参加していたMLで話が弾んだのだった)。そのML参加者の繋がりで、むかし一蹴された思い出話を長い文章にまとめてファンジンに掲載していただいた。
 結婚して育児真っ最中にはSNS(mixi)で思いの丈を書き、その後Twitterなどに移行し今に至る。そこで書ききれない分を、こうしてnoteに載せたりしている。

 考えると十代からの長いこと、紙媒体とSNSを通じて知り合った方々のおかげで、なんとか人生楽しくやってこれたのかもしれない。まさか五十代を目前に、小さい頃からノートの端に描いてきたイラストやマンガを下手なりに描き続けているような今がくるとは思わなかったし、それを少しでも必要としてくれたり、見てくださる人がいるというのは、なんという幸せだろう。そして遅ればせながら今ごろようやく、MODSやインディーポップについて、まったくの初心者(Absolute Beginner)として素直に楽しむことができるようになった。まだまだ知らないことがたくさんあり、知らなかった才能に触れて新鮮な驚きがある。これからはもっと自らの地元の歴史文化も学び、できる形で伝えていきたい。

 魔女の呪いを王子様に解いてもらうのは、お伽話の世界のこと。私が自分にかけた呪いの茨を取り払うことができたのは、遠くから、そして近くから、声をかけてくださった優しい方々のおかげだったと、そんなふうに感じている。

最後に

昨年から今年にかけて、マンガやイラストを依頼してくださった方々ー『pense à moi』『march to the beat of a different drum』編集発行人の高田さん・サロさん、ライブイベント『indie pop lovers』主催の嶋田さん(Swinging Popsicle/The Caraway)、ディスクブルーベリーレーベル中村さん(小林しのさんやdiogenes clubの木村さん・小野さん)、リスペクトレコード高橋さん、FG30を企画した大久保さん・照井さん、ネット配信音源のジャケットを描かせてくださったlovelesさん。

勝手にあれこれ描いたファンアートを温かく見てくださったショットガンランナーズの皆さんや、ex.The Maybels吉田カズマロさん。

そしてここには書ききれませんでしたが、ご感想をくださったり、励ましていただいたたくさんの皆様、ありがとうございます。

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