デレアニという“自然公園”は如何にして生まれたのか

アイドルマスター ミリオンライブ!のアニメ化発表に関しまして
まずはミリマスPの方々、おめでとうございます。とお祝いの言葉を述べさせていただきます。

そして、一人のデレマスPとして、羨ましいなと素直な気持ちをこぼさせていただきたい。

なぜと申して、今回のミリマスのアニメ化は白組が制作するということで、これまでのアイマス、デレマス、Mマスのアニメ化を担ったA-1 Pictures制作ではないからです。

A-1 Pictures制作のアイマスシリーズのアニメ化は、いずれも理由は様々ですが物議を醸すものでした。

私はデレマスのPであって、それ以外のアイマスシリーズに通じているわけではないので、デレマスに限って話をさせていただきます。

まずもってして、デレアニはアイドルマスターシンデレラガールズの世界観をアニメ化する以前に、A-1制作のアニマスの世界観を引き継ぐことが重要視されました。

高雄統子さんを監督にすると決めたのも、そういう世界を作れるのは高雄さんしかいないよねということだし、『アイドルマスター』のことをわかっていて、前作でシリーズの演出を担当されていたし、さらに今回は前作との違いとしてある種の女性らしさが全面に出る演出も出したいという意図があったんですよ。
 錦織敦史監督が前作で完璧な“アニメ『アイマス』ワールド”を構築されました。そこを引き継ぎつつ、新しいものにしないといけない。

出典 https://dengekionline.com/elem/000/001/049/1049815/

しかし、冷静になって考えてみればアニマスとデレマスは全く別の存在です。なぜデレマスがアニマスの世界観を引き継がなければいけないのでしょうか。

それは各種インタビューを読めば分かりますが、デレアニはごく少数のスタッフが中心となって世界観やキャラクターの掘り下げて、特に高雄統子の嗜好が優先されたからです。

どういうアニメにしようかという話をするときに、石原さん(石原章弘氏、『アイドルマスター』プロジェクト総合ディレクター)と高雄監督、脚本の高橋龍也さんを中心に主要キャラクターの設定を徹底的に決めようと作りこみました。

出典 https://dengekionline.com/elem/000/000/965/965735/

それを含めて高雄監督の中である種のキャラクター像が当然できあがっていて、この子とこの子の組み合わせだったらこういう物語ができるとか、この子とこの子が組み合わさればこういう化学反応が起きるとか、いくつか事案を出して、それを石原さんと揉んだんですね。

出典 https://dengekionline.com/elem/000/001/049/1049815/

――ユニット曲のアイデア出しから発注、実制作までにかかわる人のざっくりとした流れを教えて下さい。
柏谷 石原総合ディレクターや鳥羽プロデューサー、高雄監督たちからこのユニットでという指定が来て、楽曲の方向性を僕や内田さんも交えて会議します。そこでまとまった漠然としたイメージを作家サンたちに投げて、コンペで集める感じですね。

出典 ニュータイプ 2015年 04 月号 (P35)

――高雄監督、石原章弘総合ディレクターとの現場での連携はどんな感じですか。
藤田 基本的に高雄監督のフィルムであることが前提で、なるべく監督の表現に寄り添う感じで進めています。高雄監督はこの表現やせりふでいいだろうかと迷いながらつくられる方なので、そういうときに石原さんがこれでいいと思いますよと言う感じです。

出典 ニュータイプ 2015年 07月号 (P6)

――清水さんから見て、高雄さんはどういう監督・演出家ですか?
清水 ドラマというか登場人物の感情を大事にする演出家だなと思います。このキャラはこういうキャラでしょう、みたいなところでは納得しない。むしろ「人ってこういうものでしょう?」というか、そこまでキャラクターを昇華してから、ドラマを組み立てていく。もちろん石原さんや鳥羽さんをはじめとする各話の脚本家さんたちからアイデアをもらいながらですけど、劇中の時間軸のなかで、彼女たちがどういう人生を歩んでいるのか。 
そもそも今回の「シンデレラガールズ」は、鳥羽さんや石原さんたちのほうで「しっかりとしたドラマがあるアニメにしたい」と考えられていて、それで「高雄(統子)さんに監督をお願いできないだろうか」と企画をもってこられた経緯があるんです。

出典 ニュータイプ 2015年 01月号 (P14)

つまるところ、デレアニとは世界観も、ストーリーも、どんなキャラクターを掘り下げて登場させるか、どんなユニットを組むのかも
A-1制作のアニマスの世界観を受け継いだ、高雄統子の考える嗜好、感情、ドラマ、これが人間だろ?とやらが優先されました。

デレマスのアニメ化にあたって、原典であるデレマスのキャラクターや世界観よりも
アニメスタッフが高雄統子が「ぼくのかんがえたさいきょうのアイドル」を優先して人間ドラマを作ったつもりになって好き勝手やっている。
それがデレアニでしょうか。

それでもなおキャラクターの掘り下げが原典に準じていれば、まだ良かったでしょうが、実際はどうでしょうか。

いまさらデレアニとモバマスでアイドルたちのキャラが違うという話をするまでもないんじゃないでしょうか。

個性的でまとまりがなく、だからこそ魅力的だったアイドルたちを、高雄統子の考えるアニマスから引き継いだ世界観、人間性という枠にはめて矯正したのが、デレアニではなかったでしょうか。


例え話をさせてください。

あるところに野辺に咲く花畑がありました。一見すると取っつきにくい花や、どんな花が咲くのかもわからない蕾、個性的な花々ひとつひとつを、いつしか愛でる人々が集まってきました。

やがて蕾が花開き、他の花々と共に色鮮やかに咲き誇るようになり、いよいよ花を愛する人達が喜んでいる中で、他所から開発業者がやってきました。

開発業者は花畑を自分の理想のために再開発しました。隣り合って咲いていた花を引っこ抜き、別の花と一緒に植え替え、個性的な枝ぶりを矯正して、花々が持つ個性を殺していきました。

あまつさえ開発業者は土をほじくり返した末に、これが自然なんだとうそぶいて“自然公園”としてオープンしました。

オープン後にやって来た人々は、これこそが自然なんだと、植え替えられた花を、矯正された枝ぶりを喜んで鑑賞していました。

しかし、元からの花畑を知る人達は、こんなものは自分たちが愛した花畑ではないと歯噛みしております。

これがデレアニです。

花畑がデレアニ以前のデレマス、花々がアイドルたち、開発業者がA-1、“自然公園”がデレアニです。

A-1という軛から外れたミリオンライブのアニメ化は“自然公園”にならないことを願っています。


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