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みんなの輪の中に入れなくて疎外感を感じてしまったときには?

 1人でいると孤独感
 2人でいると劣等感
 3人でいると疎外感

これは、光林寺というお寺の伝言板に貼られている言葉で、確かにそうだよな~って感じます。

三人のような 奇数 になっちゃうと
息のあったペアどうしで仲良く喋っちゃって
そうすると、どうしても1人は余っちゃって

「何か俺、話す人いないじゃん」

みたいな、
ちょっとした疎外感が生まれやすいのです。

孤独感や劣等感もつらいのですが、

「みんなの輪の中に入れない疎外感」

って、
なんかちょっと種類が違う辛さというか、

「ここにいる意味ないじゃん」

みたいな、

もしかして仲間外れにされてる? みたいな、
なんか自分だけ取り残されてる? みたいな、

どんどんネガティブな方向に考えが進み始めてしまって、最終的には

「自分って必要とされてないのかも」

みたいに、自分の存在を否定されてるかのような、嫌な感情に支配されてしまうのです。

人から必要とされること

生きている中では、いろいろな苦しみがありますが、

「人から必要とされてない」

と感じてしまうのって
一番つらい苦しみじゃないかと思うのです。

ちなみにこの

「人から必要とされてない苦しみ」

って、仏教の8苦の中には出てこない!

ブッダさん、これも「8苦」の中の1つに入れておいて欲しかった!!!
(煩悩の中に含まれてるのかな。。。)

ちょっと話しがそれましたが

「人から必要とされてない」という疎外感を感じやすい人って、自己肯定感が低い人 じゃないかと思うのです。

自己肯定感の低い人

自己肯定感の低い人って、自分を過小評価してるようなイメージがありますが、実は

自分を過大評価してる人ほど、自己肯定感が低いのだと思うのです! 

これって一見、矛盾してるように思えるのですが、

「自分が必要とされてない」

と思うのって実は本音では、

「自分はもっと必要とされるべき存在だ!」

と、自分を強く過大評価してしまっている ので、ちょっとしたシチュエーションでも過敏に疎外感を感じとってしまい、

「必要とされるべきなのに評価されてない」
「何で自分が必要とされないの?」

「自分が必要とされないなんて有り得ない」

みたいな、ネガティブな思考のスパイラルに陥ってしまうと思うのです。

逆に、

「自分はそんなに特別な存在ではない」

と、本心から謙虚に思っている人は、ちょっとした疎外感を感じるようなシチュエーションでも、

「もともとそんなに特別な存在ではない」

と思っているので、疎外感がそこまで苦にはならない、そんなふうに思うのです。

ここでいう「特別な存在ではない」というのは決して、自己否定からくるものではなく

・人と比べることなく
・ただ存在してるだけで素晴らしい
→「生きてるだけでも素晴らしい」

といった、

むしろ強い自己肯定感からくるもの

なので、疎外感などあまり感じない、強い揺るがない心となるのです。

疎外感を感じてしまったら

疎外感を感じにくくするには「自己肯定感を高める」ことが有効です。

プライドを高く持ちすぎることなく

「生きてるだけで私は素晴らしい!」

と、自分を肯定してあげましょう。
そうすれば多少、人から期待されないような事態に陥ったとしても、

「自分は生きてるだけで価値がある」

と思えるので、疎外感も小さくなります。

とはいっても、みんなの集まりの中で、どうしても話しに加われなくて疎外感を感じてしまうときには

無理に話題に参加しようとしないで

「1人でスマホでも見ちゃってください」

俺を仲間外れにしやがって!

なんてプライドが高くなりすぎて、
疎外感に敏感になりすぎるよりも、

もっと、ゆる~く

生きてるだけで幸せ!

と、たくさん自己肯定するような生き方にしたいと、改めて私は思うのです。

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