○○さんは優しいよね中毒

私は基本的にペシミストだ。
自分の悪いところばかり目に入ってしまう。
人から「○○君はもっと自信持ちなよ」とか、「○○君はいつもネガティブだなぁ」とか言われるので客観的に見てもそうなんだと思う。

ネガティブな人は他人の欠点も見つけやすいと言われるけど、
自分は、職場仲間や友達を見るときに、
余りネガティブなところに注目がいかない。
みんな得手不得手あるしなぁ、まぁ仕方ないよな、とか自然に思える。
多数の人が「あの人はこの仕事でこんなミスして~」とか
そんなことが職場内で話があったとしても
あまり加わっていない気もする。
そういう陰口が好きじゃないというのもある。
勿論合わないと思った人は居るけどね。
でも、その母数自体はかなり少ない方だと思っている。

私が何かについてキレる時というのは大体、
機械やゲームのNPCぐらいな気がする。
だって自分のコントロール内の物だと思っているのに、
思い通りに行かなかったら腹立つじゃん。
でも人間は違う。
性格、価値観、環境は人の数がいるだけ変化するし、複雑なのだ。
何より本音を言ったら怒られるじゃん(こっちが本音か)
臆病だから正直にものを言えないのはそれはそれで問題はあるので、
本当に嫌な時は断るよう意識している。

そういう角が立たない振る舞いをしていると、
「○○君は優しいよね~」と言われる。
そうして私の次の言葉は大体こうだ。
「そんなことないですよー」
私の謙遜アッピル。いつものパターン。
でも、心の中ではガッツポを決めている自分が見える見える。
そんな打算的な感情を抱いてしまう自分が嫌いだが。

いつからだろう
「○○さんは優しいよね~」が心地良くなってきたのは
多分、最初の頃は本当に純度100%の混じりっけない謙遜心から出た言葉だと思う。
でも言われるたびに段々、自分って優しい人間なんだな。
と自覚し始めてくる。
どうしようもない感情が。
優しい人間の俺サイコー的な感情が芽生え始めてくる。
更にどうしようもないのが、
褒められても謙遜している俺かっけーみたいなクソ気持ち悪い感情もある気がする。
悲劇のヒロインぶりたいみたいな。

特に私のようなペシミストは自分の自己肯定感を保ってくれる拠り所が少ないので
○○さんは優しい、という褒め言葉に弱いのだ。
優しい、というアイデンティティは、
何もない空っぽの自分を埋めてくれる気がする。

そういった打算的な優しさは相手には誤魔化せたとしても、
自分ただ一人は誤魔化せないし、しつこく付きまとう。
だから私は正直この感情の動きが好きじゃない。
それに褒められたときは素直に
「ありがとう。よく言われます。」でいいじゃないか。
褒めた相手もうれしいし。

でも辞められないんだよなー、美味しくて。
困ったもんだ。
ニコチン中毒、ギャンブル中毒、砂糖中毒、カフェイン中毒、スマホ中毒
世の中色んな中毒が叫ばれている昨今、
○○さんは優しいよね中毒というものを提唱したい。

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