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2022年9月27日 努力の結晶

蓮馬カヨタケ

   何も手につかない人いうものは誰にでも存在する。私の場合非常にわかりやすいのが「本が読めない」というものである。本が読めないと言っても全く内容が入ってこない訳ではない。字面は追えるし、物語も理解できる。しかし空想がちっとも発揮されないのである。私の場合読書そのものがアニメーション映画を見ているようなものに感じられる。よほど実用的なことしか書いていない実用書や自己啓発本はそうではないが、それら以外は基本的に映画を見ているような感覚で読んでいる。人物描写から内面の心の機微を描き出した表情までわりかし繊細に描写される。またSFではよくあるガジェット、これらも想像の範囲であるがある程度描き出すことができる。一種の自己陶酔に近い感覚が読書という行為そのものなのであり非常に心地のいい感覚をいつも私にもたらしてくれる。そうした空想で思いついたこと、ここはこうなのではないかという空想が脳内で溢れ出してくるのでその整理をしたくて、現在一生懸命にイラスト練習を行なっているという次第である。

   しかし今日は起きた時からそうではなかった。空想がいまいち働かない。そういう時はなぜなのかと考えてみることが大事である。(槙島さん曰く紙の本は一種の調律器らしいのだが私にとっても同義である。)答えは単純明快であった。ここ数日で新しい人間関係を構築する必要性に迫られており緊張しているのだという結論に至った。そんな時はこんな感じで頭の中を整理するように一気に書き出してみることで対処するようにしている。以前はそれこそノートに書いていたのだが筆記で書いている間にもモヤモヤがとめどなく溢れてきて結局は深刻化しただけだったということがあった。というわけでこうしてぽちぽちとタイプしている。

   とはいえこうやって空想がうまく機能しないような時でも思考は溢れてくる。特に私の場合文字ではなくヴィジョンとしてたくさん浮かんでくる。それをどうにかヴィジョンを形にするためにイラウトを練習しているが段々と自分で描けるようになっているという実感がある。「ここをこうしたらいいのではないか」とか「ここの描くコツはないのか」と考えながらそれらを改善していく日々を送っていると何だか成長した気になってくる(画力は伴っていないが)。結局はこれはどうなんだろうと自分の頭で必死に考えながらトライアンドエラーを繰り返していくことこそが読書やイラストなどの全てに通ずる真髄なのではないかと思われる。

といったような空想や妄想の類を書き留めておくためにペンと化している私が記事を作成しているのであった。

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