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【初学者のための世界史(幹)】2-13.中世のフランス・イギリス

前回は、教皇と皇帝の派遣の移り変わりについて解説しました。
今回は、中世におけるフランスとイギリスについて解説します。


中世のイギリス

まずは、イギリスから解説します。

ノルマンディー公ウィリアムが建てたノルマン朝は男児が生まれ断絶しました。

新たにフランスからヘンリ2世が招かれ、プランタジネット朝を開始しました。ヘンリ2世はフランス西部の土地も持っていたので、フランスとブリテン島に領土を持つ国を気づきました。
ヘンリ2世の後は第3回十字軍に参加した、獅子心王ことリチャード1世


リチャード1世

獅子心王の跡を継いだのは、欠地王という何ともダメそうなあだ名のジョン

ジョン

彼はフランスのフィリップ2世にフランス領の大半を取られたり、ローマ教皇の絶頂期にいたインノケンティウス3世に破門されたりと失政が続きました。貴族たちは、ジョンがこれ以上に勝手しないように念を押しました(マグナカルタの承認)。
ジョンは歴代のイギリス王の中で常にワースト1位であり、「ジョン」という名前の王は彼以外に現れていません。
その後は、王の意思で国を進めるのではなく、会議によって進める議会制が整えられていきました。


中世のフランス

続いて、フランスについて解説します。
断絶したカロリング朝を継いだのはカペー朝でした。第3回十字軍に参加した端麗王ことフィリップ2世は先ほど解説した通りジョンに勝利し、西フランスを獲得しました。


フィリップ2世

フィリップ4世は、教会の課税を巡りローマ教皇ボニファティウス8世と争いました。教皇は皇帝の手下に突然顔面を殴られ幽閉されました。その後、教皇はあまりの悔しさと怒りで死んでしました(アナーニ事件)。
イギリスとは違い、王権は強い状態を保っています。


このような両者が100年間争う事態が起きました。

百年戦争

百年戦争の興った原因は主に二点あります。

・毛織物工業地帯であるフランスのフランドル地方の取り合い
・フランスのカペー朝断絶後の後継者争い

前半戦は、イギリスのロングボウ(長弓)が威力を発揮し、フランスを圧倒しました。フランスのクロスボウよりも速射性が高かったことと、地形の利が有利に働いたそうです。

クレシーの戦い


後半もイギリスの進軍は止まることなく、フランスの領土はどんどん削られていきました。

赤がイギリス領、青がフランス領


困った国王の下に参上したのは神のお告げを聞いて助けに来たという少女、ジャンヌ=ダルクでした。

ジャンヌ=ダルク


「奇跡の子ジャンヌ」の援助もありフランスは勢いを取り戻し、イギリスをほとんど排除することに成功して、長かった百年戦争は終結しました。
百年戦争前は、イギリスとフランスは一国のようなつながりがありましたが、終戦後は完全に分離しました。

余談ですが、「ジャンヌ・ダルク」という映画がミラジョボビッチ主演であります。ジャンヌの少し狂人的な部分と英雄な部分が混ざり合って面白い作品でした。


次回は、中世のイベリア半島とドイツやイタリアなどの国について解説します。


最後までご覧いただきありがとうございました!



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