【師匠と弟子の読書会】「コロナ禍と出会い直す 磯野真穂」本を読んで口惜しさがにじみ出る

師匠と弟子の読書会

弟子: 師匠、今日もこの読書会に参加できて感謝しています。しかし、今日取り上げる「コロナ禍と出会い直す」について、何とも言えない悔しさが胸に残っていて…どう言葉にすれば良いのか…。

師匠: うむ、弟子よ。その感情、よく分かる。私も同じだ。この本を読んで、コロナ禍で我々が経験した社会の混乱や不確実性、それに対する無力感が何度も思い起こされた。私たちがあの時に抱いた不安と恐怖、そしてそれに対する対策が本当に正しかったのか、答えは今も出せぬままかもしれない。導入から「責任を取る」という言葉があった。これがどういう意味をなし、我々がどのような足跡をたどったのか、考えさせられた。いろ葉代表  中迎聡子氏の言葉が引用されている。

「責任を取る」とは、なぜ自分がそれをやったか説明できることだと思う。
みんながそうやっているからやる。上からそう言われたからやる。こういう姿勢ではケアは成り立たない。

コロナ禍と出会い直す 磯野真穂

弟子: はい、師匠。責任とは、を考えながら、事例が挙げられています。例えば「県外リスク」や「アクリル板の設置」のような対策が次々と導入された時、私は「これでいいのか?」と何度も自問しました。結局、私たちが行ったことがどれだけ効果的だったのか、疑問が残っています。それでも、あの瞬間に選択肢は他にあったのか、振り返ると悔しさでいっぱいです。まさに、次の言葉のように、あおったけど、どうだったのか考えたくなりますね。

新しい病気を「新型コロナ」と名付け、後は治療法も考えずに放っておくようなものだ。

コロナ禍と出会い直す 磯野真穂

師匠: そうだな、弟子よ。この本は、まさにその「悔しさ」を私たちに突きつけてくる。それが「あなたの無自覚な行動が人を殺す」というフレーズに象徴されている。私もその言葉に、当時感じた強烈な罪悪感が蘇ってきた。まるで戦時中の国民のように、自分の行動が誰かを傷つけるかもしれないという恐怖に縛られていたのだ。以下のような言葉もあったと記載されていた。

マスクをしていない人を時々見かけるなど、気の緩みを感じる。改めて感染防止対策を徹底する。(2020年11月13日 山形県・吉村美栄子知事)
懸念するのは、今「脱マスク」の議論が進むことに伴う気の緩みだ。(2023年1月21日 昭和大学・二木芳人客員教授)

コロナ禍と出会い直す 磯野真穂

弟子: 師匠、それは私も感じました。このフレーズは、理性を超えて感情に訴えかけるものでした。私たちがその言葉に押され、他人を責めることも、自分を責めることもありました。結果として、自分自身の判断力が鈍り、ただ指示に従うことしかできなかった…。その時の無力感、今思い出すと本当に悔しいです。

師匠: その無力感、悔しさ、そして歯がゆさが、この本を読み進めるたびに胸に迫ってくる。特に「名誉心を装った虚栄心が生み出す言葉の凄惨さ」というプロローグの一節が、今の社会における言葉の持つ力の恐ろしさを改めて教えてくれた。我々が恐怖に支配される中で、どれだけ多くの人がその言葉に傷つき、苦しんだことか…。

名誉心は極めて容易に虚栄心に変ずるものである。
世の中において名誉心から出たもののように言われていることも実は虚栄心にもとづくものが如何に多いであろう。

コロナ禍と出会い直す 磯野真穂

弟子: 本当にその通りです、師匠。あの時、私たちがもっと冷静に、理性的に対応できていたら…。でも、それを言うのは簡単で、実際にはあの状況で何ができたのか、考えるたびに悔しさが募ります。

師匠: それが人間の限界でもある。過去の自分を責めても何も変わらない。だが、この本を通じて得た教訓を胸に刻み、次に同じような危機が訪れた時には、少しでも冷静で、理性的な対応ができるように努めよう。それが、私たちがこの悔しさを無駄にしない唯一の道だろう。

「なんらかの理由があるならマスクをつければいい。でもみんながつけているからつけるというのはおかしいのではないか」

コロナ禍と出会い直す 磯野真穂

同じような時、このような言葉が言えるかじゃのう。私は、迎合していた。みんなが言っているし、そこで逆らおうと、従おうと、同じじゃと思っていた。

弟子: はい、師匠。この読書会で話し合ったことで、少し気持ちが整理できたように感じます。私たちが感じた悔しさと無力感を次に繋げるために、これからも学び続けます。まだまだ、語りたいですが、あと一つだけ。「不要不急」という言葉。自分たちは不要不急ではない、君たちは不要不急だ、と発信していることに、何も感じないのでしょうか。悔しいですね。今日は終えます。

私たちは「不要不急」の外出を避けろといわれていますが、「不要不急」と言われたその先に、仕事をしている人たちがいて、その仕事をしている人たちにとって、その場所は「不要不急」どころか、「必要火急」です。そして、その生活が回らなくなれば当然かれらの命は真綿で首を絞められるように危険に晒されていくでしょう。

コロナ禍と出会い直す 磯野真穂

師匠: それでいい、弟子よ。この悔しさを忘れずに、常に学び、そして進んでいこう。次の危機に備え、今日の学びを糧とするのだ。


この読書会では、師匠と弟子が共に「コロナ禍と出会い直す」から感じた悔しさや歯がゆさを共有し、次への教訓とする姿を描きました。

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