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春場所よもやま

春場所も始まったが元関脇明武谷が亡くなった。86歳で老衰。力士として最年長の部類だったはずだ。

北海道の阿寒出身で大鵬とは近い。今存亡の危機の宮城野部屋所属で、189センチ、110キロほどで筋肉質の体とアイヌの血を思わせる風貌、どこか仁王像のような姿で人気があった。米軍の将校夫人がほとんど明武谷好きだったという話まである。起重機のニックネームで吊りを得意とし、同時代の若浪の吊りとは異なり、引きつけて腕力で持ち上げる相撲で知られた。

外国人を思わせる風貌。


優勝決定戦に2度出場(優勝経験なしでは他に双羽黒のみ)、大鵬に5勝、北の富士に14勝12敗など単なる関脇以上に大関に近づいた力士だったといえる。しかし柏戸に全敗などどこか脆さもあったのが大関に届かなかった一因ではないか。性格は内向的でケチだったといい、ある意味力士らしい豪快さはなかったようだ。ちなみに1960年代を通じて関取以上に在位し続けたのは大鵬と明武谷だけという。


無駄のない彫刻のような体躯だった

引退後年寄中村となり審判も務めたが、エホバの証人に入信し格闘技は教えに反するとして廃業した。やはり相撲界の空気に合わなかったのか。その後清掃員ののち建設業に従事して布教に努めていたという。訃報がすぐ入っただけに平穏に暮らしていたと想像する。やはりソップは長生きだ。ご冥福を。


審判委員を務めた

その明武谷が所属した宮城野だが、閉鎖という話が報道された。場所中は一門預かりという措置で外出禁止という厳罰だったが、やはり場所後に閉鎖され力士と親方が分散して移籍のようだ。宮城野は一門の伊勢ヶ濱付き、力士は大島部屋という話がある。閉鎖となれば昭和33年に、吉葉山が吉葉山道場を興して以来続く部屋が途切れることとなる。


しかし報道は完全閉鎖といった扱いだが、浅香山(元魁皇)が閉鎖は一時的であるとした回答をしている。過去木瀬部屋が不祥事で閉鎖の際も2年で再興されたが、当初よりいずれ再興といった話があった。これに倣うと数年で戻るのか。まだ議論の段階でよく分からない。


春場所を見ると早々に横綱大関が敗れるという通常通りの場所。初日はモンゴルばかり3人で場所前の騒動も影響していたか。2日目には初日勝った貴景勝琴ノ若に続いて霧島も敗れ、これで横綱大関が2日目で全員黒星という体たらく。琴ノ若も優勝が近いかと期待したが、もはや停滞の朝乃山に当たり負けとは先も暗い。これでは技巧の照ノ富士には勝てまい。霧島はすっかり元に戻った印象。横綱昇進も見えていたが尚早すぎた。2勝は10人でまだ読めないが若元春、大の里、尊富士は残りそうだ。

新弟子も27人。合格者が発表されたが身長がやはり低い。180センチ以上は8人で175センチ以下が16人。かつての第一検査では不合格扱いとなるのは10人。27人の平均を調査すると身長175センチ、体重137キロ。体重だけは立派で100キロ以下の新弟子は3人のみ。やはり肥満体質なのも相撲を志望する理由なのだろう。

一方で春日野部屋の幕下2人が揃って休場。栃武蔵は十両から陥落しての今場所だった。暴力関係で引退との話がある。何かまた一騒動おきそうだ。


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