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私は社会不適合者だったようだ

タイトルの通り、私は社会不適合者だったようだ。

先日、彼と婚約したことを両親へ報告した。
私の両親は彼との婚約を本当に喜んでいた。

しかし、「弟には『残念ながらお姉ちゃんは仕事で生きていくようだから、お姉ちゃん(私)よりも先に結婚してもいいよ』と伝えていたのよ。弟に『私達の老後はよろしくね』ってお父さんが何度もお願いしてたわ。だから、まさかお姉ちゃんが結婚するなんて!」というような言葉が会話の端々にあった。
このような言葉から透けて見えるのは、
・仕事で生きていくお姉ちゃんは不憫だ。
・上の兄弟より先に結婚してはいけない、
 と思っていた。
・自分達の老後のために子供は必要だ。
という令和らしからぬ思想だ。

一つ一つに私が思うことは
・仕事で生きていくお姉ちゃんは不憫だ。
 →そもそも仕事をすることは現代を生きていく
  上で必要不可欠なものだが、、、。私が男
  だったら仕事をして生きることは良しとされ
  たのだろう。
・上の兄弟より先に結婚してはいけない、と
 思っていた。
 →何とも常識や世間体に支配されているような
  雰囲気が漂う発言。
・自分達の老後のために子供は必要だ。
 →子供には生き方を自分で決める権利がある。
  親の人生を都合よく彩る為に存在するのでは
  ない。
といったところである。

私は常識に沿って器用に(無理して?)生きている人達が大半であることに気が付いた。
まず、弟は「長男」という称号を過度に押しつけられているようである。婚約報告の電話の会話で途中弟も入ってきたのだが、「どうせ金融一般職のお姉ちゃんはどんなに勤めても給湯器メーカー総合職一年目の俺と同等の給料だろう」という地方の男性がよく言いがちな言葉が出てきていた。
この言葉から推測するに、
・実家で「あなたの仕事は凄いのよ!だからあな
 たの稼ぎはたくさんの人を支えることが出来る
 のよ!」とヨイショされている。
・財閥系金融の給料の高さを知らない。
のではないだろうか、と安易に想像ができる。
弟はひどく裸の王様だし、周囲の勝手な希望に振り回されていて、正直可哀想だ。しかし、弟は昔から勉強の出来などで私と比較され差別されていたから、やっと俺の時代が来た!という優越感が生まれているのかもしれない。

最近子供が生まれた従兄弟のお嫁さんは、親族の集まりの時に、「頑張って働くなんてナンセンス。公務員だから長期間育休取れるし、最高だわ」と言っていた。その方は大学時代に英語を話せるようになりたくて、一年間アメリカ留学などをし、キャリア志向だったはずだ。
同級生の友達は子供嫌いだったのに不妊治療もして子供を産んだ。私に「男の人は先に死ぬ。一人ぼっちの老後を送る人生を決断できなかったから、子供を産んだ」と言っていた。子供を産む決断をした友人に私は「子供がいても一人ぼっちな老人はいるし、はたまた子供がいなくても人に囲まれている老人もいる」という正論は言えなかった。

私の憶測でしかないが、上記の人達はどうも周囲の人の
・女は結婚が大事。
・子供を産むのが当たり前。
・仕事はセーブして家庭を守るべき。
・長男は仕事をして、家を守る。
の意味がオブラートに包まれた言葉をたくさん浴びているのではないだろうか。
そして、周囲の期待に沿えるように(意識的か無意識かは不明だが)生き方を器用に変えているように思える。

私にはそれが器用に出来なかった。女は仕事をバリバリしても幸せにはなれないと思っていたから、社会人4年目くらいまでは男性の仕事から3歩下がる姿勢で働いていた。そうすると、私自身を男性達は見下しはじめ、私を無能扱いするようになった。正直、見下してくる男性達が自分より頭が良いとは普段の仕事ぶりから一ミリも思えなかったのが実際のところだ。器用な人はそこで自分の中で上手く折り合いをつけて生きていくのだろうが、負けず嫌いの私はそれができなかった。周りから求められる人物像と自分の長所や気持ちのギャップに耐えられなかったのだ。
そう、社会不適合者の誕生である。

そう思うと私の今のチームの女上司は本当に凄いと思う。
今40代後半の女上司は今よりももっと常識が大切だ、という風潮だったであろう世の中でゴリゴリにキャリアを築いてきている。
そんなゴリゴリ生きてきたであろう女上司は人生を十二分に楽しんでいるし、十二分に楽しむ努力をしてるように見える。
女上司は結婚にも子供にも仕事にも全部に全力だ。(人生の中で辛いこと悲しいこと理不尽なことも誰よりも経験しているとは思うが、、、)

思うに、周囲の人の言葉に従って自分を曲げて行動すると、行動の結果が悪いと周囲のせいにしてしまうし、どんどん自分の人生の主導権を自分で握らなくなる。
でも、行動の結果、人生のどん底に落ちた場合に周囲の人達は自分を助けてはくれない。自己責任となる。周囲の人達は「あなたの為に」と言葉を投げかけてくるが、結果にはいたって無責任である。

社会不適合者でもいいじゃないか。自分に正直に、自分に本気で向き合って生きていく方がきっと楽しいし、後悔もない。

でも、私のように世間と自分のギャップに苦しんでいる人はたくさんいると思う。ダイバーシティの重要性は身に染みる。
もっと自由に生きれる人が増える世の中にしたい、と思う今日この頃である。

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