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半藤一利「戦う石橋湛山」東洋経済新報社

「石橋湛山の戦いは激流の中の孤舟の戦いであった。この真摯な持続力は類を見ないものであり、エネルギーは超人的であった」

「剛毅という言葉がある。思慮なくして剛毅なら猪武者になる。石橋は軽率な猪武者ではなかった。根底に彼独得の哲学的思索があった」

東洋経済新報で軍部に真っ向から反対の論陣を張り続けた信念のジャーナリスト!経済学者であり、政治家でもあった。小東条が跋扈する報道機関の中で東洋経済新報はその信念を曲げなかった。終戦寸前には88年の生涯で唯一の弱音を吐く場面があるのだが、「真に国家のために」論陣をはる清廉かつ気骨のあるジャーナリストは貴重だ。国家に対する反逆者ではない。彼は実子を戦争に送り出して戦死している。

「新報には伝統、主義がある。その伝統も主義も捨て、軍部に迎合し、ただ新報の形骸だけを残したとしても無意味である。そんな醜態を演ずるなら、いっそ自爆して滅んだほうが遥かに世の中のためになる」

日本軍部による中国侵略の愚を真っ向から批判しつつ、「相手側の民族による自治」を認める形での満州権益維持を主張するなど、しなやかさが際立つ。新時代を向かえる日本のとるべき道を「身を棄ててこその面白味」と表現した。当時、台湾・シナ・朝鮮・シベリア・樺太が国防の垣と軍部がいっていた時代に「その垣こそ最も危険な燃え草」だと表現した。また「資本は牡丹餅で、土地は重箱だ。入れる牡丹餅がなくて、重箱だけを集むるは愚である」と大陸生命線論議に大いなる疑問をぶつけ続けた。

「朝鮮・台湾・樺太・満州」というごとき、わずかばかりの土地を棄てることにより広大なるシナの全土を我が友とし、進んで東洋の全体、否、弱小国全体を我が道徳的支持者とすることは、いかばかりの利益であるか計り知れない」

湛山は軍部の統帥権を「許すべからざる怪物」と呼び、統帥権の野放しを戒める記事を書いていた。また、外交や大陸も問題についても「怖いもの知らずの論陣」を張っていた。

当時、戦中派、毎日新聞や朝日新聞の「国民を煽る報道」が間違った方向を後押ししていたが、

「外交問題の処理に最大の禁物は昂奮と偏見である」

「中国を侮蔑することなかれ」

「満州新国家に対しては一に親切、二にも親切、三にも親切」

と主張。当時、それらは国民の注目を浴びなかったが、今という時代に必要な論点だ。


松岡自身の言に「国際連盟脱退は明白に日本の焦土外交の失敗だった」とある。これを戦前肯定主義者達はどれだけ把握しているのであろうか。ケインジリアンだった湛山は経済政策には一貫性があったが、国際法上の視点が欠けており、それが時折見せる「切れ味の悪さ」につながっていた。そういう弱さもあっていろんな批判にさらされている。しかしこういう気骨あるジャーナリスト戦中にいたということは希望である。俺もそういう気概を持っておきたい。


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