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直島誕生 過疎化する島で目撃した「現代アートの挑戦」全記録


 「直島」ってご存じでしょうか?

というのも、岡山県と香川県の間にぽっかりと浮かぶ、「小さな瀬戸内海の田舎島」なのですが、実はここ、日本が世界に誇る現代美術のパイオニア島でありワンダーラン島なのです。。。



今回の読書 【直島誕生 過疎化する島で目撃した現代アートの挑戦】

                              秋元雄史

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第一章 直島まで

 著者、秋元は藝大の出身であり、卒業後はライターとして生計を立てていた。とある日、岡山の福武書店(現Benesse)が掲載した「直島での学芸員募集」という求人票を新聞で目にする。(普通、学芸員とかはツテなどでの求人となるため、新聞での募集なんて 非常に奇妙なことらしい。)その不思議さに心惹かれ、東京シティから、岡山へと身を移すことになる。

第二章 絶望と挑戦の日々

 学芸員として、ベネッセに雇われることになった秋元。しかし、ポストはあれど、当時の社内の雰囲気は「アートなんて二の次だろう」という否定的な環境であった。また、アートの価値は「芸術性」と考えている筆者にとって、「資産」として扱われるビジネス感覚は非常に受け入れがたかった。そんな中、どんなアートが今後の会社にとって必要か考えた結果、現代アートという結論を出す。

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 現代アートは、時代を敏感に感じ、ダイナミクスに反映しているアートである。(上の写真はデュシャンの「泉」これがアートなんて・・・と物議をかもした作品です)当時のBenesseは成長企業であり、忙しい中でも熱意とエネルギーがあふれる職場であったそう。その雰囲気と、現代アートの持つライブ感・エネルギーという面に共通項を見出したというわけ資産面でも、すでに有名な作品を購入するより、投資の成長性があると踏んでいたのだ。現代アートの購入を行い、社内展示によって、社員にアートの芽を少しづつ撒いていく。会社にアート事業を位置付けるため、試行錯誤を行った。

 そのような活動と同時に、直島にできる宿泊施設兼美術館についても建設が進んでいく。建築は安藤忠雄さん、名前は「ベネッセハウス/直島コンテンポラリーアートミュージアム」である。

 外面は施工が進む中、社内ではようやくアートに馴染みが出てきた・・・といった雰囲気である。出来上がった建物を、どのように有効活用するか定まらないままでいた。

第三章 暗闇のなかをつっぱしれ

 ベネッセハウスがOPENし、「三宅一生展」が皮切りとなり事業がスタートした。

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写真はかの有名な「Bao Bao」 

 以降、WANDERING POSITION展、勅使河原宏「風とともに」展・・・と少しずつ展示を行っていく。しかしある日突然、ベネッセハウス館内の展示替え禁止を言い渡される。常設の作品で空間を埋める方向に話が進んだからだ。そこで、「館内」での展示は禁止。なら「館外」ではいいのではという発想に行き着く。

 そのようなとんちから、open air 94 out of boundsー絶景のなかの現代美術展ー が開催されることとなった。

          

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 草間彌生の「南瓜」

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片瀬和夫の「茶のめ」

 直島に来たことのある方なら、わかるであろうこれらの作品はこの展示会でお披露目されたものである。(ほかにも、杉本博司さん、村上隆さん、大竹伸朗さんなど、今では超ビックネームな方々が軒を連ねていたのだ!!)

 この展示会をきっかけに、ベネッセアート事業には国際化路線が生まれ、国外の美術関連者とのコミュニケーションを深めていく。その一方で、「直島らしさ」とは何かという命題が生まれてきた。

 直島の肝は、瀬戸内海を望む風景?古き良き田舎町の雰囲気か?どちらも見当違いである。これらを織りなすものは「人」であり、島民の参加なくしては「らしさ」は生まれないと気付いた著者。直島で理想のアートを展開するためには、地域の人々に目を向けなければならないかったのだ。しかし、そこには大きな絶壁が存在することに気づく・・・・・

第四章 現代アートは島を救えるか

 当時の直島の人々は、バブル時期にリゾート再開発の話で盛り上がったが一転、バブル崩壊後に事業を撤退していく企業に期待を大きく裏切られたトラウマを持っていた。また、島内部では人口減少や空き家問題など、深刻な問題に悩まされていた。当然、このアート事業をいぶかしがる人も多く、島民のなかでも否定的な意見を持つ人も少なくなかった。

 そこで、発足したのが「家プロジェクト」。空き家をまるごと一つのアート作品として再建する試みである。最初のアーティストには、当時スイスで制作活動をし、世界的な階段を上り始めていた宮島達夫さんに参加してもらうこととなった。当時の宮島さんは、自身のキャリアを広げている真っただ中で、直島という片田舎で作品を発表することには難を示していたそう。熱心なオファーとコンセプトの説明により、納得が得られ参加を承諾してもらえたとのこと。

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宮島達夫「角家」

 その後、建築家の安藤忠雄により「南寺」、アメリカの現代アーティスト、ジェームズタレルの「バックサイド・オブ・ザ・ムーン」、内藤礼の「きんざ」など家プロジェクトは拡大していく。空き家でアーティストたちが懸命に作品作りを行っている様子を島民たちは遠くから見守り、少しずつコミュニケーションを深めていく。アーティストたちを家に招き、一緒に茶菓子で休憩をする光景も見られるようになった。

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安藤忠雄 「南寺」

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内藤礼 「きんざ」


 そのような活動を通し、徐々に島の人々も「現代アート」というものを理解し、自分の中に落とし込んでいく。家の庭をきれいにしたり、古い日用品を家から見つけ、もう一度大切に使うようになったという声も挙げられるようになった。その中で開催された「THE STANDERD展」では、直島保母全域を活用して展示を行うという企画の中で、多くの島民ボランティアが参加してくれるようになる。少しずつ、確実に、現代アートは直島の人々の生活に根付いていくのだった。

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家プロジェクト 「はいしゃ」 THE STANDERD展より

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大竹伸郎「落合商店」THE STANDERD展より

第5章 そして聖地が誕生した

  THESTANDERD展の体験を通し、直島アート事業の方向性が明確に決まった。「地域のコミュニケーションとともに現代アートを展開していくこと」その先に直島に未来がある、そう確信したのだ。その矢先、社長の福武氏より、直島にモネの晩年作2m×6m「睡蓮」を展示するよう指示を受ける。モネといえば、印象派の巨匠でありすでに価値が認められた、いうなれば「古い」ものである。モネを直島の目玉として据えるということは、「現代アート」のコンセプトから早速外れることとなる。秋元さんらは困惑し、巨匠作品をどのように直島に当てはめるか苦心することとなる。

 モネの晩年作は、書かれたものの抽象性、大胆な色彩などの点において抽象主義の先駆けだといわれている。これは彼が患っていた白内障の影響の影響といわれているが、1950年代のアメリカ抽象主義の画家たちに高い評価を受けた。抽象主義画家たちは、このヨーロッパ巨匠の作品を先頭に据え、自分たちの作品の正当性を主張していたのだ。このモネの持つ、「アメリカ現代アート性」の解釈を直島に落とし込むことはできないだろうかと考える。

 そこで、白羽の矢が立ったのがすでに直島で作品を展示していた、ジェームズ・タレルと、ランドアートの先駆者ウォルター・デ・マリア、そして安藤忠雄の3人である。ある人は絵を描くことを通じて、ある人は実際の光を扱うことで、ある人は彫刻的なアプローチを通して、そしてある人は建築を通して、「世界のなりたち」について迫る。そんな空間を直島の地に新しく創り出すことにした。

 そして、誕生したのが「地中美術館」である。


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ジェームズ・タレル 「オープンフィールド」地中美術館

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ウォルター・デ・マリア 「タイム・タイムレス・ノータイム」地中美術館

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地中美術館(地面に建物が埋められ、景観が損なわれない工夫がある)

 この地中美術館のオープンの際に、福武氏はこう語る。

"地中美術館は、ある種の聖地なのだろうと思います。美術館で絵を鑑賞するというより、教会に行くようなものです。しかし、教会とは違って、神様にお願いするために行くのではなく、自分が主体となって何をすべきか考える場所です。" ———————福武總一郎 2004

 現代アートの新たな聖地が、瀬戸内海にぽつりと、だがしっかりと根を張り誕生した瞬間であった。

EPIROGUE まだ見ぬものを求めて/感想

 直島のこの挑戦が、日本の現代アート界に与えた影響は非常に大きいことに間違いありません。草間彌生、杉本博司、須田悦弘、千住博など、今や世界に知られるアーティストたちも直島で作品を発表しています。まだ東京でさえアートの実権を握れていなかったなか、このような田舎の島で文化が花開いたのは奇跡のような話であると本作にも記載がありました。

 その後、アートの波は瀬戸内海の多くの島々へと伝播し、今や瀬戸内国際芸術祭を開催する巨大なアート圏へと成長したのは言うまでもありません。現在は北川フラムさん(大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレディレクター)が事業のディレクターを担っています。

 一つ一つの島が、アートの力で輝きを取り戻し、世界へまばゆい光を放ち続けている奇跡のアイランドに皆さんもぜひ足を運んでみてください。きっと素敵な何かを見つけることができる、そう確信させてくれるあなたにとっての「聖地」となるでしょう!


つたない文章ですが、読んでくださりありがとうございました!

カリィ

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