歴史から感じる   ISSA

こんばんは。ISSAです。

今は有給消化中でして、またもや1人旅行を楽しんでいましたw

さて今回のテーマですが、最近ある本を読みました。

日本のお寺について書いてある本です。多くの方は寺ってそこまで興味がそそられないといおっしゃるかもしれません。

そういう私も特段お寺に興味があるわけではありません。ただ、お寺を知るということは日本の歴史を知るということ。

今後、長い人生を送る上で、日本の歴史についてある程度勉強はしておいた方が良いかなと考え、本を読みました。

そこで感じたことを徒然なるままに書き綴ります。(どっかで聞いた表現ですねw)

まず、昔の人々にとって仏さまや神さまは絶対的な存在です。それは命を投げ出せるほど重要です。

平清盛が力を奮っていた時代唯一彼が恐れた対象がいました。

それは僧兵です。当時興福寺や延暦寺が力を持っており、それは神や仏に近い存在だからです。

興福寺を例に挙げるとよく朝廷に対し、物申す時には春日大社の神木(当時は春日大社は興福寺勢力の一部となっていました)を持ち、朝廷のある平等院へ突入。そして仮に朝廷が僧兵たちの申し入れを聞かない場合はその神木を平等院の中に置いていくと脅していたそうです。
これが困るのは、神木を勝手に撤去した場合、神罰がくだると信じられていたからです。

つまり朝廷側は申し入れを聞き入れる他ないということです。

信じられないですよね。それだけ当時は神さまや仏さまが絶対的な存在であったということです。

そんな歴史ある建物が今も保存されているなんて奇跡だと思いませんか。途中南都焼き討ちで興福寺や東大寺が全焼してしまっていますが、それでも当時の人々の弛まぬ努力により再建、そして現在まで語り継がれている。

命のリレーにより後世まで受け継がれている。そんなことがあったのです。
自分の名前が千年後に残っている人がどれだけいるでしょうか。

いやー本当にすごいなと。そもそも昔の記録を解析して現代語訳し、歴史の教科書に記載され、今では義務教育の中で全国の学生が読み親しんでいる。

そんなことってありえるのかと改めて感じました。

以前四天王寺に参拝にいきましたが、そこは聖徳太子が建立したと言われる日本において大変貴重なお寺です。

四天王寺は過去二回ほど自然災害や戦火のため、粉塵に帰したこともありましたが、人々の強い思いにより再建され、今も多くの人々が参拝のため訪れています。

このように日本には数多くの貴重な文化財が存在し、それらは人々の弛まぬ努力により現存しているのです。

私も多くの人々に認知され、後世に残していけるような役に立つなにかを残したい笑

そんな風に感じた昼下がりでした。

それではまた!


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