【続いてる写経 567日め】〜創作を続ける秘訣

『阿・吽』のおかざき真里先生のトークイベント、記録の最終回。
創作時の工夫について話されたことが、「おお〜!!」ときました。

悩みは見ない

史実を調べながら、『阿・吽』で描くエピソードは、なるほどと思ったものをすかさず絵にするようにしていたそうです。

そして自分の気持ちが折れないように、悩みは見ない
意図的に気分をコントロールされているそうです。

「決め絵」という仕掛け

「描き込み」は楽しい、つくるときは楽しい、でも苦しくなったらどうしようとは思われるそうです。

なので自分で仕掛けを作った、それは毎回「決め絵」をつくること。
いちばん描きたいシーンを決めて、それに集中する時間を設けるために、スケジュールを前倒しするのだそう。
ネーム(マンガの作業工程におけるラフな構成図)の締め切りを3日前倒しすることで、3日間、自分の「決め絵」に時間をかけられる。

こうして描きこむのが毎回の楽しみで、続けられるのだそう。

なお決め絵で気に入っているものであげられたのは2つ
・最澄さんが座禅を組んでいる姿(1巻)
・空海さんが「虚空蔵求聞持法」で修行した時の室戸岬(3巻)

画像1

「写経している気持ち」

おかざき先生の絵を見ると、ほんと装飾が凝っていて描き込みも細かく、よくこんなに描いていけるなあ、、と驚嘆するのですが、こういった細かい作業しているときは、「線を描いているときは写経している気持ちになる」のだそうです。
没頭し、イメージを具現化する作業が、写経のようだということです。

表現は違えど、実際写経している者としては、「わかる!!」。
よくあんなに毎日般若心経よく書けますね、と感想をいただくのですが、私も書いていて「楽しい」と思う瞬間があるからこそ続いてます。

大前提は、「かいてる方が楽しい」

「かき手」が楽しむ、それはマンガだろうが、書だろうが一緒だということでした。

例えば空海さんの書は、おかざき先生いわく「オレ開発フォント」。自由で堂々としてカッコいい文字です。
写経していようが、正式文書だろうが、空海さんの文字は「人に見せることが大前提」で書かれていたと、おかざき先生は言います。
かく喜びがそこにあるわけです。

歴史上の人物はもういい

事前の参加者アンケートで出た「もし歴史上の人物を他に描くとしたら?」との質問に対して、「二度と描きたくない」とのことでした。

最澄さんと空海さんは、名前を知っているけれども、それほど深く知っているわけではないから描けた。
知らない人間がおいそれと描くのはいけないな、、と思われたそうです。

色々と表現やエピソードに難癖をつける人もいるでしょうしねえ。。

ちなみにおかざき先生が『阿・吽』を描いたきっかけは、フリーの編集者の人からそれとなく持ちかけられ、それまで描いていたラブストーリーとは全く違うフィールドのものを、自分につけるために受けたのだそうです。

トップクリエイターの創作への飽くなきチャレンジ精神、頭が下がります。

ありがたい思いで改めてまた『阿・吽』を読むのでした。
この話はきっとアニメ化は出来ないだろうなあ。。


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