見出し画像

韓国文学の読書トーク#07『どきどき僕の人生』

「新しい韓国の文学」シリーズをテーマ本にした、読書会形式の連載です。語ってくれるのは「100年残る本と本屋」を目指す双子のライオン堂の店主・竹田信弥さんと読書会仲間の田中佳祐さん。
お二人と一緒に、韓国文学を気軽に楽しんでみませんか?

竹田:みなさんこんにちは。今月も本屋さんの片隅から、僕たち二人の読書会の様子をお届けしたいと思います。
田中:そういえば、竹田さん大学で小説を書く学科で勉強してましたよね。
竹田:僕は文芸創作学科を卒業しました。書くこともしますけど、いかに本を読むかを学ぶところでした。
田中:韓国やアメリカの現代小説の作家には、大学で創作を学んだ人が多いですよね。
竹田:今回の本の著者のキム・エランも韓国芸術総合大学の劇作科を卒業しています。
田中:というわけで、今回紹介するのは「新しいの韓国文学」シリーズの7冊目『どきどき僕の人生』(キム・エラン著、きむ ふな訳)です

画像1
キム・エラン作家

父と母は十七歳で僕を授かった。
今年、僕は十七歳になった。
僕が十八歳になれるのか十九歳になれるのか、知るすべはない。
そうしたことは、僕たちが決められるものではない。
僕たちが知っているのは、残された時間が多くはないということだけだ。

子どもたちはすくすくと育っていく。
そして僕はすくすくと老いていく。
だれかの一時間が僕には一日と同じで、
だれかの一ヶ月が僕には一年ぐらいだ。
僕はもう父より老いてしまった。

父は自分が八十歳になったときの顔を、僕を通して見る。
僕は自分が三十四歳になったときの顔を、父を通して見る。
訪れない未来と経験できなかった過去とが見つめ合う。
そして互いに尋ねる。
十七歳は親になるのにふさわしい年齢かどうか。
三十四歳は子どもを亡くすのにふさわしい年齢かどうかを。
(中略)
これは最も幼い親と最も老いた子どもの物語である。

(『どきどき僕の人生』「プロローグ」より)

『どきどき僕の人生』あらすじ

竹田:じゃあ、あらすじをお願いします!
田中:今回の物語設定は、とてもシンプルです。若い夫婦とその子供アルムのお話です。彼らが普通の家族とちょっとだけ違うのは、アルムが早老症だということ。実年齢は17歳なのに、身体は80歳。父親と母親よりも早く成長し、そして、早く亡くなってしまうであろう体を持っています。
    小説はアルムの誕生前、高校生だった両親が子供を妊娠するエピソードから始まり、アルムの短い人生の終盤を描きます。物語に特別なシーンはあまり出てきません。お金に苦労して、アルムがドキュメンタリー番組に出演する話やアルムが恋をする場面、若い両親たちの大人になり切れない描写、いずれも読者が予想できそうなお話です。これらを、「特別な病にかかった子供とその家族を書いた物語」と簡単にまとめてしまうと「そんなストーリーよくあるじゃん」と思われてしまうかもしれません。しかし、そんな不安を打ち消すほど、素晴らしい作品です。また、前評判を聞いて、高い期待感を持って読み始めた人でも満足できる小説だと思います。現代の私たちの抱える不安に対するリアリティーと生きるということのユーモアが、たっぷりつまった魅力的な作品です。
竹田:『どきどき僕の人生』って、最初、ちょっとベタなタイトルだなって思ったんだよね。でも、全部読むと、何でこのタイトルなのか分かるし、「僕の人生」って言葉に、いくつかの意味が重なって、やられたぁってなっちゃった
田中:少年アルムが作中で書いた小説のタイトルだから、子供っぽさが重要なんだよね。
竹田:タイトルが気になって、原題を調べたら「두근두근 내 인생」って書くのね。「두근두근(トゥグンドゥグン)」っていうのが「ドキドキ」や「ワクワク」って意味だから、邦題は意訳じゃなくて、原題に忠実みたい。
田中:日本語のドキドキって擬音語のニュアンスと似てますね。トゥグンドゥグンという音も似てる。

作品を読んで

竹田:田中さんの感想から聞きましょう。
田中:この小説は、ジブリ映画の『紅の豚』と同じ物語です。
竹田:ん?どういうとですか?
田中:同じなんです。『紅の豚』では、主人公のポルコが、自分で魔法をかけて豚になる。ポルコは、俗世から離れて生きているように見えます。『どきどき僕の人生』のアルムは、とても珍しい病気にかかっていて、人とは違う道を生きているように見えます。どちらも”普通”の人間であること、性的な身体を持っていることに執着せずに、悟っているようにも思える。
竹田:なるほど、でもポルコは映画の最後で、ちょっとだけ人間に戻りますよね。
田中:ポルコは少女のキスで呪いが解けて少しの期間だけ人間に戻る。アルムも恋をすることで、心の中に何かが戻ってくるんです。
竹田:なるほど、序盤はアルムが超然としているシーンが続きますけれど、物語が進むにつれてどんどん共感できる、悲しみや喜びのエピソードが増えていきますよね。読者にとって普通じゃない少年だったアルムが、普通の少年に見えてくる

田中:一方で、普通の少年とは違うエピソードもあります。
竹田:「早く老いてしまう」という、メインの設定以外での話ですよね?
田中:そうです。ゲームで遊んでいるシーンです。
竹田:プレイステーション・ポータブル(PSP)で「リトルビッグプラネット」を遊ぶところかな。
田中:アルムがゲームにハマりすぎて、お父さんに怒られるんです。体に悪いからやめなさいと。
竹田:僕たちも経験がある。ゲームやりすぎて家族に怒られて、「ゲーム捨てるよ!」ってお母さんに言われたりして。
田中:僕たちだったら、お母さんに謝ってゲームを許して貰うけど、アルムは体に障るから、本当に遊ぶのをやめなくちゃいけない。そこで最後に1日だけ、何時間もかけて「リトルピックプラネット」をクリアするんです。
竹田:そして、クリアの感動で涙をながす。
田中:僕も「FF10」をクリアしたときに泣きましたけど、その時の涙ときっと違うんだと思う。アルムには人生の残り時間が少ないから、本当の意味で最後のゲームを遊んでいる。こんなシチュエーション、子供に訪れることはめったにない。
竹田:田中さんはゲームが好きだから、特に気になったんでしょうね。
田中:他にも普通の少年でありつつも、何かが違う、と読み取れるシーンはたくさんあります。
竹田:読者ごとに、感情移入のポイントが異なる作品なのかもしれませんね。

大人が出てこない小説

田中:竹田さんは好きなシーンとかありますか?
竹田:シーンじゃなくて、キャラクターだけど、途中で出てくるじじいがめちゃくちゃ良いのよ。
田中:良いじじいが出てくる物語には、ハズレがないよね。映画の『酔拳』とかね。

 しばらくしてチャン爺さんがやさしく僕を呼んだ。
 「アルム」
 「はい」
 「おまえはなぜ、同じ年頃の友だちと遊ばないんだ?」
 事情をよく知っているチャン爺さんにそんなことを聞かれ、僕は少し寂しくなっておじいさんをじろじろ見つめた。
 「それが……」
 「友だちがいないのか?」
 僕の顔は思わず赤くなり、声もうわずった。
 「いいえ、たくさんいます。最近は友だちになりたいと連絡してくる子も多いんです。だけど、なぜか……レベルが合わなくて。幼稚で」
 チャン爺さんは僕の顔をじろじろ見つめて、満足そうにワハハハと笑った。
 「そうか?」
 「はい」
 「だがな、今、おまえが話してる様子は、おまえの年頃の子とまったく同じだよ」
 「ええ?」
 「幼稚だよ、おまえ、十七歳そのまんま」
 「そういうおじいさんは、どうして他のおじいさんと遊ばないんですか?」
 チャン爺さんは平然と答えた。
 「そんなことも分からないのか? レベルが合わないんだよ! あのジジイらと」

(『どきどき僕の人生』P292-293)

竹田:アルムは、隣に住むチャン爺さんと親友みたいな関係になる。両親とも同世代の友達とも違った距離感の友達。
田中:親あまりいい顔をしないけど。こういう人いましたよね。子供と仲良くなってワルいことを教えて、親たちからちょっと煙たがられている大人。
竹田:いたなぁ。僕の体験だと小学校の美術の先生がそういう人だった。美術準備室で、こっそり生徒にコーヒー飲ませてくれたり、本格的な弓矢を作ったり、ワルいことを教えてもらった思い出がある。
田中:弓矢が気になるけど、チャン爺さんの話に戻しましょう。どこかテンポがズレてるんだけど、憎めない。
竹田:アルムがドキュメンタリーに出ることになって、チャン爺さんが撮影におしかけてくる。放送日に、チャン爺さんが家に来て絶望した顔でひとこと言う。「わしが出てない……」って。ここ好きでした。
田中:カットされたチャン爺さんのコメントがいいんですよ。ぜひ、読んで欲しい。

竹田:他にも、お酒のやり取りがよかった。
田中:僕もあそこ好きでした。つまらない言い方かもしれませんが、構成がうまいですよね。お酒を飲みたいアルムのお願いを1度目は断って、2度目にお酒を持ってきてくれるじゃない。最初は子供扱いしているんですよね。でも、アルムの人生の終わりが近い、という事実をチャン爺さんが受け入れてお酒をこっそり飲ましてくれる。
竹田:お父さんがPSPプレゼントする場面も終わり方も好き。これも、とても良い構成。
田中:チャン爺さんのことを話してたけど、この小説には”大人”が出てこないと思います。
竹田:アルムの両親も大人っぽくない、不完全な存在。
田中:そう、不完全な存在だらけ。子供が大人を演じていて、大人が子供を演じている。
竹田:でも、僕たちの現実社会にも大人なんていないのかも。

田中:ここまで隠してましたけど、ぶっちゃけ、これを読んで泣きましたね。サブウェイで「照り焼きチキンサンドイッチ」食べながら読んでたら、急に涙が出た。
竹田:泣くよね、これ。全俺が泣いた。
田中:大恋愛とか、大冒険とかは無い。主人公が小説を読んで感動したり、勘違いして舞い上がったり、ゲームをクリアして感動したりする。
竹田:それなのに、泣けるんだよな。
田中:「お涙頂戴のストーリーかも!」って警戒して読んでたのに、泣いちゃった。
竹田:田中さんあらすじ話しているときに、ちょっと涙声だったからね。

田中:そうそう、アルムが妄想していた文学者野球、我々もやりましたよね?
竹田:アルムが頭の中で「古今東西の著名人とスポーツを楽しんだ」やつね。

[…]幼い頃からこの病気のせいで、あまり外で遊ぶことができなかった僕は、古今東西の著名人とスポーツを楽しんだ。フローベールがフォワードで、ホメロスがミッドフィールダーを、そしてシェイクスピアがゴールキーパーを務める仮想のグラウンドで、僕はサッカーをした。それに、プラトンがキャッチャーで、アリストテレスがピッチャーとして出場するスタジアムで野球をしたことだってある。スタジアムの光景は、だいたいこんな感じだ。プラトンが空に向かって指をさすと、くちゃくちゃとガムを噛んでいたアリストテレスがうなずいて見せ、指で地面をさす。そうすると、美しい曲線を描いた変化球が、古代から途方もないスピードで飛んでくる。僕は自分の背丈よりも長いバットをぶざまに振り回して空振りをする。もちろん哲学書はかなり難しくて、今でも何の話なのか分からないところがたくさんあるけれど、僕はそれを優雅で長い一編の詩だと思って読んだ。今すぐに理解できない部分は、いつか自らの足で僕に近寄って来て、「おれだよ……」と微笑みながら挨拶をしてくるはずだ。人生の大切な教訓のほとんどが、あとから辿り着くように。詩人とのテニス、劇作家との囲碁、科学者とのバレーボールでも同じだった。こんなふうにして僕は、実際に走らなくとも、心臓が早く脈打つ方法を学ぶことができた。

(『どきどき僕の人生』P72-73)


田中:僕たちは「パワフルプロ野球」ってゲームで、文学者名前の選手をつけて試合しました。無駄に気合い入ってました。
竹田:久しぶりにやりますかね。
田中:今夜は、長くなりそうですね。
(このあと、文学妄想野球の話に花が咲く二人だった)
.........................................................................................................................................................

BOOK INFORMATION

新しい韓国の文学07『どきどき僕の人生 』
キム・エラン=著/きむ ふな=訳
*ためしよみはこちらから
*CHEKCCORI BOOK HOUSEでのご購入はこちら

PROFILE

田中佳祐
『街灯りとしての本屋』執筆担当。東京生まれ。ライター。ボードゲームプロデューサー。たくさんの本を読むために2013年から書店等で読書会を企画。企画編集協力に文芸誌「しししし」(双子のライオン堂)。好きな作家は、ミゲル・デ・セルバンテス。

竹田信弥
東京赤坂の書店「双子のライオン堂」店主。東京生まれ。文芸誌「しししし」発行人兼編集長。「街灯りとしての本屋」構成担当。単著『めんどくさい本屋』(本の種出版)、共著『これからの本屋』(書誌汽水域)、『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』(朝日出版社)など。FM渋谷のラジオ「渋谷で読書会」MC。好きな作家は、J・D・サリンジャー。
双子のライオン堂 公式サイト https://liondo.jp/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?