BTSが韓国文学の扉をあけた〜ハン・ガン著『少年が来る』を読んで〜/前田エマ
韓国の7人組ボーイズグループBTS。彼らの音楽と出会っていちばん驚いたのは歌詞だった。
誰かに愛されることを求めるのではなく、まずは自分を愛そうと歌うこと。夢がなくてもいいと歌うこと。メンタルヘルスについて積極的に歌うこと。他にも、アイドルである彼らが、競争や格差といった社会的な問題について、自らの等身大の言葉で歌詞を書いていることにもびっくりしたが、最も衝撃を受けたのは歴史的な事件を取り上げている曲がいくつかあることだった。デビュー当時から、世界的なスターとなった今日まで一貫して、彼らは自分たちを取り巻く社会との距離感を音楽で表現してきた。
彼らの楽曲『Ma City』(2016)は、BTSのメンバーが自らの故郷を、夢やプライドとともに歌いあげた曲だ。韓国の南西部・光州出身のJ-HOPEさん(1994年生まれ)はこの曲の中で、41年前に起きた光州民主化抗争のことを歌った。
※光州民主化抗争とは1980年5月に光州で起きた民主化を求める運動と、それに対する軍事政権による武力弾圧のこと。学生を含む多くの市民が軍によって虐殺された。
光州民主化抗争という言葉を耳にするのも初めてだった私は、ひとまず光州民主化抗争が題材となっている映画をいくつか観た。(※テキストの最後にリストを載せます)
それらの映画は、まさに“まるで映画のよう”で、私はただただ圧倒された。多くの罪なき血が流れ、逃げ出したくなるほど残酷なシーンが画面を覆う。悲惨な光景の数々は現実味がなく、正直私は共感や痛みを感じるところまで心が追いつかなかった。
そんなある日、友人が本を一冊貸してくれた。光州民主化抗争をめぐる小説、ハン・ガン著『少年が来る』。これが私にとっての韓国文学との最初の出会いだった。
この小説は、様々な立場で光州民主化抗争に立ちあった6人の語り手による全6章の物語だ。それぞれの人生がどこかで絡み合っていて、読み進めるごとに話が立体的になっていき、謎解きをしているような気分にもなる。
軍によって殺された親友を探すために遺体安置所で手伝いをしている男子中学生は、次々と運び込まれる遺体の特徴をノートに書き留め整理し、遺族と対面させる日々。腐敗していく遺体の匂いを紛らわすためにろうそくをつける。
もうすでに死んだ親友は、安置所にも運ばれず積み重ねられた死体の山の一部になっている。自分が腐りゆく様子を、魂となった自身の視点から語る。
光州民主化抗争後に逮捕され拷問を受けた人、その後自ら命を断った人、事件を伝えていこうとする人、忘れてしまいたい人。光州民主化抗争が終わってからはじまった本当の痛みと絶望。誰とも分かり合えない思いが、実在したエピソードを基に、異常なほどの温度感を持って描かれる。
生々しい人体描写、想像することを放棄したくなるような拷問の痛み、目の前で繰り広げられているのではないかと思うほどに臨場感あふれる残虐の様子、鮮明に描かれるほどに絶望的な気持ちになる幸せだった過去の記憶、誰もが持っている醜い人間の残忍さ。綴られていることはどれも非常に重く、胸をえぐられる。それなのに並んでいる言葉そのものは清潔で、いつまで経っても美しく、ひとつひとつを丁寧に広げて抱きしめたいと思うほどだった。
つまり人間は、根本的に残忍な存在なのですか? 私たちはただ普遍的な経験をしただけなのですか? 私たちは気高いのだという錯覚の中で生きているだけで、いつでもどうでもいいもの、虫、獣、膿と粘膜の塊に変わることができるのですか? 辱められ、壊され、殺されるもの、それが歴史の中で証明された人間の本質なのですか?(P163-16)
小銃の台尻で子宮の入り口を破られ、こねくり回されたと証言することができるだろうか?(中略)他人と、特に男性と触れ合うことに耐えられなくなったと証言することができるだろうか?(中略)肉体を増悪するようになったと、あらゆるぬくもりとこの上ない愛を、自らぶち壊しながら逃亡してきたのだと証言することができるだろうか? さらに寒い所、さらに安全な所へ。ひたすら生き残るために。(P204-205)
小説を読み終え、机の上に置いてあったコップを取ろうとすると、手が微かに震えていた。口にした水は味のしないドロンとしたかたまりのように喉を通り過ぎていった。皮膚や味覚といった自分の身体のいろいろなものが、音も立てずに変わってしまったような気がした。それでいて繰り返されるいつもどおりの日常に、まるで透明人間にでもなったかのような空虚さを感じた。
それからしばらく経った2021年2月、ミャンマーでクーデターが起きた。テレビのニュース番組から流れる光景に、私は立ち止まった。
「私、これを知っている」
空っぽだと思っていた身体の中で、痛みと怒りとやり切れなさが、ものすごいスピードで渦巻いた。テレビの中では、光州民主化抗争と同じようなことが繰り返されていた。私はそれに懐かしさにも似たものを感じた。
その日から朝起きると、私はまず新聞をめくり、ミャンマーについて書かれた記事を気にした。募金もした。光州民主化抗争では真相が明るみになるまでに長い年月がかかったが、ミャンマーのクーデターは、多くの事実が写真や映像と共にリアルタイムで世界中に共有されている。
『少年が来る』を読んで体験したことは、小さくて大きな私の世界を変えた。
優しさも富も平等じゃない。私は隣にいる手の届く人たちを大切にしようとするだけで精一杯だし、それこそが自分の幸せだと思って生きてきた。今までは、顔を見たこともない誰かのために行動する人を見ても「世の中には立派な人がいるもんだなあ」と、薄情な私とは生きる世界が違う人のように感じていた。しかし、それはただ無知だったのだと思い知った。そのことを恥ずかしながら、ここへ来るまでわからなかった。本当の痛みも喜びもその人だけの持ち物で分かち合うことなんてできるはずはない。だからこそ、私はもっと知りたい。想像できる人になりたい。誰かのためでなく、明日の私のために。
「今の僕は、過去のすべての失敗やミスと共にあります。明日の僕が少しだけ賢くなったとしても、それも僕自身なのです。失敗やミスは僕自身であり、人生という星座を形作る最も輝く星たちなのです。
・・・(中略)・・・
あなたの名前は何ですか? 何にワクワクして 何に心が高鳴るのか あなたのストーリーを聞かせてください」
(2018年 BTS国連でのスピーチより)
https://www.unicef.or.jp/news/2018/0160.html
おまけ
この作品はBTSのリーダーRMさんも読まれているそうです。
今回も、前回紹介した「菜食主義者」と同じハン・ガンさん(1970生まれ)の作品です。彼女は光州の出身です。
「光州で生まれて満九歳までを過ごし、事件発生の数ヵ月前にたまたまソウルに移り住んだ作家は〈生き残った者の一人〉として、複雑に屈折した胸の内をかきむしるようにしながらこの作品を書き上げたのだった」(訳者あとがきより一部抜粋)。
映画リスト
・「タクシー運転手 約束は海を越えて」(2017)
「パラサイト 半地下の家族」でもおなじみ、名優ソン・ガンホ主演。光州民主化抗争の真相を世界に伝えようと奮闘するドイツ人記者と行動を共にすることになったタクシー運転手の話。
公式サイト http://klockworx-asia.com/taxi-driver/
・「ペパーミントキャンディ」(1999)
光州民主化抗争に思わぬかたちで立ち合い、その後人生が崩壊していく男の話。前回紹介した「オアシス」と同じ監督、主演、ヒロイン。大好きな作品です。
予告編 https://youtu.be/tkJsa_zTuOE
・「1987、ある闘いの真実」(2017)
光州民主化抗争そのものを描いたわけではないが、その後に起きた民主化運動を描いた実話をもとにした話。『少年が来る』を理解する上でも役立ちました。
予告編 https://youtu.be/cRJGLk-T-P4
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前田エマ
1992年神奈川県生まれ。東京造形大学在学中にオーストリアウィーン芸術アカデミーに留学。モデル、写真、ペインティング、ラジオパーソナリティなど、活動は多岐にわたる。また、エッセイの連載を多数手がける。
Instagram @emma_maeda
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前田エマさんがコーディネーターを務める「わたしのために、世界を学びはじめる勉強会 ――本、映画、音楽を出発点に」が始まります。
第1回 10月29日(金)19:00-21:00
「BTSの音楽から、韓国を知りたい~なぜ、韓国の人は声をあげるのか」
ゲスト:権容奭/一橋大学大学院准教授)
詳細・お申込みはこちらから
http://hillsideterrace.com/events/11495/
Book Information
新しい韓国の文学15『少年が来る』
著者=ハン・ガン 訳者=井手俊作
http://shop.chekccori.tokyo/products/detail/465
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