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期待もしない、希望もない、でも原則は捨てない  イ・クッチョン【後編】/『あなたが輝いていた時』

|私が捨てられない最後の原則

外傷外科医の仕事をして15年ということですが、ご本人にとって仕事とは何ですか?
――韓国社会のドロドロとしたものを全て見たような気がします。私が自分の力量に見合わないことをしたせいで、うちのセンターの同僚たちまで道連れにしてしまったようで、なんとも心が重いです。

今年の秋夕チュソク*連休にも家には帰れないんですね?

*旧暦の8月15日の中秋節。韓国では先祖供養の日にあたる。

――連休が始まる金曜日から、すごい数の患者がやってくるでしょう。連休がいちばん怖いです。

36時間も徹夜で仕事をしていて、いつ家に帰るんですか?
――私は、まあ……一緒に仕事をしているチョン・ギョンウォン先生は1年に4回しか家に帰れなかったこともあります。

そんな働き方では長く続かないんじゃないですか? 健康も私生活も犠牲にしながら。
――無理ですよ。無理に決まっている。それはわかっているんですが、ダメなんです。なんともならないし、私がなんとかすることもできない。

それでも15年間で得たことがあるとしたら?
――悪名? ワンマンだとか、向こう見ずだとか……。

どうしてそんな言い方をされるんですか? 命を救われた人たちがいるじゃないですか? 先生のおかげで。
――……それは、医者なら、誰でもすることです。

やめようと思ったこともあるんですか?
――それはもう何回も。産業人力公団**がサウジへ医師を派遣するときにも志願して選ばれたんですが、国家的にそのプロジェクトそのものが無くなってしまって、とても悔しかったですね。

**雇用労働部傘下の公的機関。人材育成を主な目的としており、海外協力事業なども行っている。

それだって、貧しい人たちが亡くなったり、怪我をしたりする現場じゃないですか。大きな括りでは今と変わらない(笑)。
――でも、レーザーでホクロをとるのも上手いですよ(笑)。1つとれば1万ウォン、13個とれば10万ウォン。

先生がとってくれるんだったら、私も行きますよ(笑)。
無表情だった彼がかすかに笑った。寂しいような虚しいような、そんな微笑みだった。深夜の3時過ぎ、彼はあいかわらず手術着に手術帽をかぶったままだった。

もう一度……聞いてもいいですか? この間に得たものは何ですか?
――(しばらく沈黙)仲間です。いい人ばかりです。まともじゃないともいえますが、バカみたいに純粋で邪心のない人たち……。

彼は感謝すべき人たちの名前を順番にあげていった。家にも帰らずに患者にかかりきりの重症外傷センター専門医であるチョン・ギョンウォン先生、カナダでもっと条件のいい仕事ができるチャンスを捨てて苦楽を共にしてくれた看護師のキム・ジヨンさん、危険なことでも一も二もなく先頭に立ってくれる消防ヘリのパイロットたち、イ・ソンホ、イ・セヒョン、イ・インブン、パク・ジョンヒョク、ソク・フェソン機長……。

イ・クッチョンはクリップできれいにまとめた彼らの写真を見せてくれた。研究室の簡易ベッドの横に置いて、無力感に苛まれてつらい時などには、その写真を一枚一枚見るのだという。

先生が考える「医者としての原則」は何ですか?
――医者でもなんでもプロフェッショナルとしての原則というなら……「誠心誠意」ということです。どんな問題にあたっても真摯に最善を尽くす姿勢、人生を振り返った時に心をこめて真剣に仕事をしたと自分で認められること。

明け方の4時5分、彼は呼び出しのコールに飛び起きた。刃物で切られた急患だという。彼と軽く挨拶を交わして建物を出た。まだ外は真っ暗で、白く光る重症外傷センターの建物はまるで不夜城のようだった。そこではまさに彼と彼の仲間たちによる、死線を巡っての攻防戦が繰り広げられていた。

私は外傷外科の医師だった。彼らを救うことが私の仕事だった。それなのに、私の目の前で彼らは死んでいった。戦えば戦うほど、私がいる戦場が決して1人では戦えないことを思い知らされた。必要なのは「システム」だった。しかし誰もそれが何であるかを知らず、知らせようとしないから知りようもなかった。

(イ・クッチョン備忘録中から)

|イ・クッチョンに再び会った

彼のインタビュー記事が出て2ケ月後、彼の名前が速報で流れた。2017年11月13日、重症を負い板門店パンムンジョムの共同警備区域を越えて脱北した兵士が、駐韓米軍の医務航空隊「ダストオフ」によって亜州大学の重症外傷センターに緊急護送されたからだった。5発もの銃弾を受け死の淵まで行ったオ・チョンソン兵士の手術を執刀し、彼を奇跡的に蘇生させたことでイ・クッチョンは「神の手」「韓国のマックドリーミー」(米国ドラマ『グレイズ・アナトミー』の男性主人公の愛称)として国内外で再び神話的な人物となった。

彼の語録、インタビュー、患者と知人などの証言はもちろん、彼の家族と私生活、彼が使っているブラックベリーの携帯電話と古びた腕時計まで、彼の一挙手一投足が国民の注目を浴び、メディアと各種団体は先を争って彼を「今年の輝ける人物」に選んだ。「イ・クッチョンのような医者が思う存分に働けるように重症外傷センターへの支援を拡大してほしい」という大統領官邸への請願に26万人が参加したことで、パク・ヌンフ保健福祉部長官は亜州大学の重症外傷センターを直接訪問し、彼との3時間にもわたる話し合いの末、診療報酬の改善、人員の補充、予算の増額など外傷センター改善のための総合対策を発表した。2017年よりも40億ウォン縮小されていた2018年度の地域外傷センターの予算は212億ウォン増額となり、ドクターヘリが5台追加導入されることになった。

2018年3月初め、「イ・クッチョン旋風」が少し落ち着いてきた頃に、私は再び彼に会った。押し寄せる患者のせいで彼は以前よりもさらに痩せていて、真冬の極寒の中でも、祝日をはさんだ連休などでもヘリコプターに乗り、夜通し患者の手術をしていて、電話で話す時間すらもままならなかったと言った。何ケ月ぶりかで会った彼の顔は以前にもましてやつれているようだった。2012年に外傷センター設立を制度化した「イ・クッチョン法」に続き、2018年には「イ・クッチョン支援対策」として、再び彼自身の名前が入った画期的制度改革をもたらしたのだが、彼のひび割れた声は依然として果てしない絶望に包まれていた。

「2017年のいちばん会いたい人物」「もっとも尊敬する人物」「韓国社会を明るくしてくれた人物」に選ばれましたね。
――……

ご存知でした?
――いいえ、知りませんでした。

大韓民国3大アンタッチャブルがパク・チソン、キム・ヨナ***、そしてイ・クッチョンだそうです(笑)

***韓国を代表するアスリートであり、国民的スター。

――聞いたことないですよ。そんなふうには思いませんし。私とは関係ない話でしょう。

インターネットで「イ・クッチョン」と検索してみたことはないですか?
――そんな恥ずかしいこと……。

どれほど話題の人物だったか、名声を実感していらっしゃらないんですね。
――名声? そんな大それたこと、考えたこともないです。本当に一度も。病院の中にいると、患者さんの中には私のことを知っている人もいるみたいですが……名声とか人望とか、社会的信望みたいなものは私には当てはまりません。まったく実感がありません。私がしていることは、外国ならば外科の医師が普通にやっていることであって、特別なことではありません。

国民請願****のおかげで保健福祉部の地域外傷センターへの追加支援も出ました。少しは状況がよくなりましたか?

****文在寅政権時代に発足した制度。大統領府のホームページに登録された請願が、30日以内に20万人以上の賛同を得られると、政府当局は何らかの回答をしなければいけない。

――国民の皆さんには本当に感謝しています。直接おいでいただいて、長時間お話を聞いてくれた長官にも感謝していますし。ただ、実際に私が長官に申し上げたのは「いっそのこと地域外傷センターをなくしてしまおう」という話です。ソウル大のキム・ユン教授の言葉を借りるなら、「大韓民国の医療系カルチャーが変わらなければ解決しない問題」ということになります。当初、外傷センターを計画した時から間違っていたのです。2012年に外傷センター設立の議論が始まった時点では、6つの地域に800億ウォンずつ支援するという話だったのが、最終的には17地域に80億ウォンずつ細かく分けて配分してしまった。世界標準に合わせようとするなら、まずは今よりも大規模な拠点センターを試験的に運営し、その後で段階的に中小のセンターを指定していくべきだと言ったのです。

慢性的な人員不足を解決するために、外科系の専門医が地域外傷センターで一定期間トレーニングを受ける法案も政府では検討すると言っていましたね。
――長官には、それは難しいだろうと申し上げました。そのせいで外科学会から何十回も電話がかかってきて、ふーっ……。それでなくても外科の研修医が足りないのに、そんなことができるのかと、抗議が殺到しましたよ。

地域外傷センターの職員の給料を大幅に上げてくれるとか?
――まったく……。あの程度の予算では、地域外傷センターのどこか一つをグローバルスタンダードに合わせるぐらいが精一杯でしょう。今回、増額されるという予算を17ケ所に分けてみてください。うちの病院の看護師は220人ですが、全体の増額分を17分の1にして、さらにそれを220で割ると、一人あたりいくらになるか。そうやってチビチビあげても意味ないんですよ。実際、看護師たちは給料を上げてくれと言ったことはないんです。外傷センターの看護師たちがどうして辞めてしまうのか? 重症患者の場合、国際的な基準では看護師一人につき患者一人が正常なんですが、韓国の場合は看護師一人につき重症患者二人というのが、看護1等級基準とされています。そんな1等級基準にさえ満たない外傷センターなどは、全て指定を取り消すべきです。2等級の場合なんか、看護師一人で重症患者3、4人も看ているんですから。

一人当たりの給料を上げるよりも全体の増員が必要ということですか?
――先進国どころか東南アジアと比べても韓国の看護師一人あたりの患者数はめちゃくちゃ多いんです。ソク・ヘギュン船長をオマーンの病院からお連れしたんですが、オマーンでは看護師1.3人に重症患者一人の割合でした。韓国の看護師はその3倍ですよ。耐えられますか。だから離職率が高いんです。看護協会や看護大学の人たちは何をしているんだか。この問題について国会前で頭を丸めて抗議すると言われたら、私も一緒に頭を丸めるつもりです。看護師は大変な過重労働を強いられているから、燃え尽き症候群が発生するんです。医者も同じです。必要な医師の数の3分の1にしかならない人員で患者を診ている。病院のロビーや外来の空間だけ大理石でピカピカにしてどうするんですか? ICUでは医者も看護師も足らず十分なケアもできずにいるのに、医療スタッフを拡充しなければ文在寅ムンジェインケア*****も意味がなくなります。

*****文在寅大統領が打ち出した健康保険の保障性強化対策。韓国は国民医療費に占める公的医療費の割合がOECD加盟諸国の平均よりもかなり低い。そこで保険適用の範囲を広げたり、医師の指名診療制を廃止するなどの措置を通し、患者の自己負担額を下げようというもの。

文在寅ケアに反対する医療関係者たちはイ・クッチョンの話をよくする。診療報酬が改善されてこそ、イ・クッチョンのような医師がちゃんと診療できるようになると。
――私は医師協会の立場とは少し違います。医師協会では低い診療報酬を問題にしていますよね。低報酬の損失分を保険適用外の部分で埋め合わせているのに、保険適用外の項目を減らすというので医師協会は反発しているんです。私は診療報酬の引き上げよりも、積もり積もった医療業界の積弊を精算することが切迫した課題だと思っています。

医療業界の積弊というと……
――ひどい職場環境をそのままにした状態で、「やればできる」精神で頑張らせようとすること。私が医学生だった頃もモップで殴られたりしましたよ。なぜかって? 殴らないと寝てしまうから。人手が足りないから寝る暇がないんです。医師たちを殴って、看護師たちをいじめて、世界最高の戦士にしようって? 「突撃、前へ」式に推し進めて、表面的な成果を上げることにだけ汲々とする、それって過去の高度成長期の積弊ではないですか? そんなふうに仕事をしていたら、どんな分野でも持続可能性はありません。

地域外傷センターの劣悪な現状だけではなく、最近あった木洞モクトンの新生児病棟事件******やソウル峨山アサン病院の看護師の事件*******なども、同じく医療業界の積弊に起因する問題だというのが彼の主張だ。イ・クッチョンは全国民の偶像となりながら、一方で全国民の非難の的になったわけだが、そんな上っ面だけで物事を見てはいけないのだと、一体マスコミは何をしているのかと彼は声のトーンを上げた。根本的かつ構造的なアプローチ、誤った慣行とシステムを全面的に見直すこと、そういったことに本気で取り組まないかぎり、恩着せがましい、その場しのぎの対策だけでは意味がないのだと。

******2017年12月、梨花大学付属木洞病院の重症患者室に入院中の新生児4名が一晩のうちに亡くなった。医師や看護師7名が業務上過失致死容疑で送検された。現在も係争中であり、1、2審は無罪判決が出ている。

*******2018年2月にソウル峨山病院の新人看護師が自殺した事件。原因として新人看護師に対して教育や訓練の名目で行われるいじめがあったとされる。

JTBCの番組で「変わらない医療現場」について訴えるイ・クッチョン氏(左)

そのために国民は何をすればいいんでしょう?
――さて……、地域外傷センターをなくせと、医療費の無駄遣いをやめろと、請願されたらいいのでは?(笑) いっそのこと全てをまっさらな状態にして、新たに一から始めたらいいんじゃないかと思うほどです。

元からそんなに冷笑的だったんですか?
――子どもの頃はそんなことはなかったと思います。困難にぶつかっても、アニメの主人公キャンディみたいに、「寂しくたって、悲しくたって、私は負けないんだ」という気持ちに酔いしれていましたよ。まるで浮草のように小学校だけで6回も転校したせいで、学校の名前すら覚えていません。食事も与えられない孤児同然の暮らしでしたが、弱みを見せてたまるかと、歯を食いしばって耐えたのですが……。新設の医科大学(亜州大学医学部第1期)に入ったのが間違いだったみたいです。外傷センターの仕事をしたせいで、見なくていいものを嫌というほど見ましたよ。

出身大学による医師同士の序列主義や派閥主義のせいですか?
――世の中の恐ろしさが身にしみましたね。ソク船長の治療にあたった後、私の名前が新聞の片隅に登場したことでイ・クッチョン法を作り、救急医療基金を延長させたのですが、私の名前と引き換えに導入が決まった医療ヘリコプターは他の病院に配置されたのです。それが飛んでいくのを見た時……あの時に経験した病院の中と外の冷たい視線は一生忘れられないでしょうね。今もあの時の夢を見ますよ。診療名簿から私の名前がはずされ、私を誹謗する連判状が回って……、本当に、世の中は恐ろしいものです。

でも信頼できる同僚の皆さんがついているじゃないですか。
――一緒に仕事をしている同僚たちがやる気をなくすんじゃないかと、嫌な話をしないようにしています。でも、あんまりにも話をしないものだから、実は私が四面楚歌の状態になっているということも知らないようで、それはちょっと淋しい時があります。人として。ひょっとしたら、これも全て私のせいかもしれません。そもそも地域外傷センターを韓国社会に導入しようとしたことが、高望みすぎたのかもしれない……


昨年の冬に会った時もこの春に会った時も、イ・クッチョンは「もう見切りをつける」みたいな言い方をしていたが、私は彼がおいそれと引き下がりはしないことを知っている。彼は私と会う前も、会った後にも、地域外傷センター改善計画のために各種討論会や学会、政策発表会に参加して、厳しい意見を述べることをやめなかった。彼は何をしても変わらぬ医療の現実に対して怒り、落胆し、シニカルな態度を見せるが、患者を救うことに関しては、ソク・ヘギュンだろうが、オ・チョンソンだろうが、名も知らぬ無名の人だろうが、火の中水の中へと飛び込んでいく。インタビューの間じゅう、極度の疲労と虚脱感で倒れそうな有様だったが、突如何かが乗り移ったかのように生気を取り戻し、彼の声に力がこもる瞬間も何回か目撃した。それは、一刻を争う患者に向かって走っていく時、そして再び疲れ切った様子で研究室に戻ってきて、壁に貼られた知人たちの写真に目をやった時だ。

「ちょっと、こちらに来てください」。後ろをついて歩いていた私を手招きして呼ぶと、額に入った写真の中の男を指して彼は言った。「この、私の横に立っている人がブライアン・オールグッド大佐です。彼はイラク戦に行って亡くなりました。危険な場所だと知りながら、万死を冒して本人自らが陣頭指揮をとるために行ったのです」

死に瀕した兵士を救助するためにヘリコプターで出動し、死亡した米軍の外傷外科医ブライアン・オールグッド大佐が、日頃から口癖のように言っていたことを彼は覚えている。「私の兄弟たちが、まさにそこにいるのです。何をおいても駆けつける!」と。海軍の古びた小型潜水艦に乗って深海で任務を遂行する友人チョ・ヒョンチョルが言った、「貴い任務を遂行するという事実そのものが、我々にとっては報いとなる」という言葉を引用する時も、「古びた装備と補給の不足に不満などは言わない。我々が置かれた状況の中で最善を尽くす」という海軍時代の先任兵士の話を回顧する時も、彼はそうだった。色濃い疲労もしばし忘れたかのように、彼の目は自負心と使命感でキラキラしていた。

イ・クッチョンにとっての心の支えとなっているのは、彼を国民的英雄として仰ぎ見るファンたちの拍手喝采などではなく、明快で純粋な誠意をもって各々の分野での任務に心血をそそぐ、まさに多数のイ・クッチョンたちではないのか。彼と別れる際に、「先生、頑張ってください」みたいなことは言えなかった。そんな言葉が彼の励ましになるとは思えなかった。彼に向かって、ゆっくりと言った。「私も、最善を尽くします」

彼との追加インタビューを終えてからしばらくすると、大韓医師協会では「文在寅ケア阻止のための国民向け広報戦略」としてイ・クッチョンをモデルにしたドラマの制作を推進するという記事が出た。彼が自分の名前が出るニュースに無頓着で、ほとんどの時間をWi-Fiのつながらない手術室やヘリコプターの中で過ごしているのは、なんとも幸いなことではないだろうか。

ヘッダー写真:イ・クッチョン氏の著書『ゴールデンアワー1、2』(フルㇺ出版)書影

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著者:イ・ジンスン
1982年ソウル大学社会学科入学。1985年に初の総女学生会長に選ばれる。20代は学生運動と労働運動の日々を過ごし、30代になってから放送作家として<MBCドラマスペシャル><やっと語ることができる>等の番組を担当した。40歳で米国のラトガーズ大学に留学。「インターネットをベースにした市民運動研究」で博士号を取得後、オールド・ドミニオン大学助教授。市民ジャーナリズムについて講義をする。2013年に帰国して希望製作所副所長。2015年8月からは市民参与政治と青年活動家養成を目的とした活動を開始し、財団法人ワグルを創立。2013年から6年間、ハンギョレ新聞土曜版にコラムを連載し、122人にインタビューした。どうすれは人々の水平的なネットワークで垂直な権力を制御できるか、どうすれば平凡な人々の温もりで凍りついた世の中を生き返らせることができるのか、その答えを探している。

訳者:伊東順子
ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスJPアートプラン運営中。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』(皓星社)を創刊。近著には『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)、『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)、訳書に『搾取都市、ソウル 韓国最底辺住宅街の人びと』(筑摩書房)等がある。


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